宗教をのほほんと書いてみる⑧

2025年02月21日 00:01
カテゴリ: 社会思慮歴史

2025年2月21日記載

⭐PART⑧

それはなぜか?教えや救いの言葉に、
ほんの僅かでも打算的な何かがあれば、その宗教はいつか必ず廃れるだろうからである。

俗っぽくネジ曲がった例え話。

その宗教の創始者自身が実際に経験した、
苦悩や苦痛の解決案を考え思いついて、その哲学的とか道徳的とかの類いの結論を、人々に素直に受け入れて貰えるように、悪く云えば、

名声を得たいがために、あるいは、

単に生活の種とするために『神の名を借りた、あるいは仏を気取った』とします。

そんな宗教もあったでしょう。でも、
仮にその教えが善意あるものだとしても、長くは続かずに消え失せたでしょうね。

ほんの少しでも創始者自身に、ひねくれたりネジ曲がった感性があれば、その教えや悟りにもその要素が反映されるだろうからです。

ということは少なくとも、

創始者がその宗教を開く上で、たとえ善意あるものだとしても、ある種の計算がある場合は、長くは続かず衰退すると予測できる。

つまり長く続く宗教のその創始者は、一点の曇りもない純粋な心の持ち主となる。

そんな宗教の代表が、世界三大宗教とされるキリスト教、イスラム教に仏教となる。

つまりこの世界三大宗教を理解できれば、宗教とは何ぞやを知る理屈となる。

でも私にはそこまでは無理なので😁

次のパートから、その三大宗教について、のほほんと書いてみたいと思います。

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