宗教をのほほんと書いてみる⑰

2025年05月23日 00:01
カテゴリ: 社会思慮歴史

2025年5月23日記載

⭐PART⑰

有史以来、人類社会の推移は、紆余曲折を描いて現在に至っている。つい1世紀前は2つの世界大戦があったり、現在でもロシアのウクライナ軍事侵攻にパレスチナ・イスラエル戦争など… でも、

それでも人類は良い方向に進んでいる。平和な世界に幸せな人生を求める方向に… だ。

人類社会の歴史を紐解いて、その進むべき道は連続する分かれ道の絶え間なき選択。

この世の中には様々な人がいる。
つまりどの分かれ道にも行きたい人が必ず存在して、だから全ての分岐点の全ての分かれ道を、人類は必ず一度は試してきた。そして、

欲望の思うままの振る舞い、肥大化したエゴのぶつかり合いを繰り返した歴史。その度に痛い目に遭い、苦しい体験をしてきた。その全てが、

人類という種の魂に刻まれていく。

その道は苦しみだけだ、間違っている、してはいけない、こりゃ地獄の一丁目だよ… 云々

そんな道に導こうと扇動する輩は、やがて淘汰され消え失せる。あるいは少数派の小さな影の薄い存在に格下げられて左遷していく。

分岐点にて立ち止まり、多大な悲劇や犠牲を払って全ての分かれ道を体験し、導き出した正しい道を歩み続ける我ら人類。それこそが、

我々望む人類の進むべき正しい道であり、平和を望むアッラーの意志とも一致する。そして科学でいう人類という生命の進化に他ならない。

いい感じ😁のほほん!っと続きます。

⑱へ



⭐PART⑱

過去から未来へ人類の歩んでいる道が、
平和な世の実現に向かって続いている。妖しく光り輝くまやかしの道、いきなり崖とかのトラップロードなどの分かれ道で、その都度痛い目に遭いながらも、どうにか進むべき道を歩んでいる。

そう私は信じたい。平和な世の実現が、
人類共通の意志だと思いたい。それが人類の進化する方向であると信じたいのである。

平和を望まない人も登場する。

そんな人は分かれ道を過ぎる度に、少数派となって影響力は少なくなっていく。けれどそんな人にも、平和の実現に対して役割があると思いたい。

この世に生を得た全ての人には、何かしらの役割がある。未来永劫どんな人にでも… だ。

人類の進化は、平和を望むアッラーの意志に反する人の淘汰と縮小にする方向にある。

科学技術の発展で巨大な力を得た人類。平和を実現しなければ、自身が滅びてしまう。

つまり人類の進化する方向と平和を望む唯一神アッラーの意志の一致する必要がある。これが、

私の思慮『進化論と神の意志』である。
そろそろ仏教の話をしないと、のほほん!

⭐PART⑲

無宗教の私にとって、そしてイスラム教に馴染みがなく、良いイメージを持たない私にとって、

遺伝子と運命 進化論と神の意志

最先端の科学的な理論とは、関係性があるかもしれない?と直感した、イスラム教の定命(カダル)に関して ”いいね” と思った理由なのですが、

確かになるほど!と、でもだから?とも、

あらゆる物事はリングしている。宇宙の果ての理論物理学と日常の些細な出来事は、似たような理屈で考えられる風に思えたりする。結構多々ある。

なるほど確かに、だけど、だから?だ。

運命や神の意志との言葉に対して、確かに ”いいね” と思うけれど、無宗教の私にとって、遺伝子や進化論の方が信用や信頼度が高いように感じる。

凄いことなのか?ありふれた話なのか?

イスラム教が現在まで存続し、世界で一番信者の数が多い所以なのでしょうが…

やはり武力行使や政教一致、イスラム教に対する私の負のイメージを、軽減することはあれど、逆転するまでは至らない。だけど、

なるほど確かに、そういうことか…
イスラム教に対して思ったことも事実である。

世界三大宗教の創始者はどんな人か?
イエス・キリストは聖者と呼ぶに相応しい人。仏陀は身分の高い元一国の王子様。そしてマホメットは、元商人で家庭も持った普通の人です。

私も普通の人。どんな人にも役割があり、人生とはその役割を全うすることである。

この辺もイスラム教に対して、少なからずの親近感を得たことは、良かったかなと思います。

では次回から仏教について、のほほんと!


*定命(カダル)
死を迎えた人間が、天国と地獄のどちらへ至るかは生前の行状によって決まるのですが、イスラムではさらに『定命』の存在を示しています。

*人間を含む全ての被造物は、創造主たるアッラーによって予め運命が定められており、アッラーの望みを人間は変えることができません。

*アッラーに帰依することは、平和をもたらすアッラーの意志に従って暮らすことを示す。

記事一覧を見る