2025年6月14日記載
分かる人と分からない人。
世の中には2種類の人間がいる。
と思っているんだけど… 気のせいかな。とりあえずはそのテイで話を進めてみます。
私は分かる人を自負している。33歳の頃から20年近くそう感じている。キッカケは4年間の引きこもり。それ以前は分からない人でした。
以前の頃も苦しみを感じていたが、それが何か分からない。ただ満たされない重苦しい苦しみ…
だけど若さもあったし不安はさほどなし。原因が分からないから、仕方ないじゃん!と思えた。
ところが苦しみの原因が分かると、とんでもなく苦しみが増大する。こうしたら、ああすれば…
でもこうしたら、ああすれば…
なぜかそれを躊躇する自分。頭で思えど身体が動かず拒否してしまう。仕方なく冷静に対処…
しばらく経ち、その時を振り返り、少し先の未来を見つめ、自分の行動の正しさを理解する。
そうか… それで良かったのか。でもまた振り出しに戻り再スタート、の繰り返しで20年間。
苦しみや不満の原因が分かれば、一応の解決をしなければならない。心身ともに疲れる。
私の場合は何でも真に受けてしまう。
嫌な思いをして、人の期待を裏切り、安易な未来に歩を進めず、何とか乗り越えて得たものは…
ほんの少しの自信と深いため息だけ。いつか進展するのかな… ダメかな… と自問自答。
最近になっても変わらない。スタートが定位置で全く進展なし、得た自信も確信を得ず…
でも少し楽になった気もする。経験や知識が冷静さを保ってくれる。年齢が行動範囲を狭めてくれる。少しづつ得た自信を試せている。
分かったことを還元できている。これまでのことは無駄ではなかったのかな。そして、
スタートからゴールに向かうのではなく、
スタートがゴールなのではないか?私はその場を動くことはなく、周囲に影響を与える。その範囲は少しづつ広がっていく。そうか…
これまでに得た自信が本物ならば、手の届く範囲に伝えるだけで、自然と広がっていくのだ。
得た自信を試せれば確信に変わる。これが分かる苦しみへの最高の緩和剤となるのである。