収録文章

📝散髪  05年12月11日
📝生きること  06年3月23日
📝Iさん  06年4月10日
📝奥村土牛の記事を読んで  06年5月23日
📝十六年間の思い込み  06年5月29日
📝しゃべりた~い!  08年3月12日
📝信じてみる  22年3月4日
📝一人でいること  22年5月4日
📝自販機のジュース  24年9月23日

散髪
2005年12月11日記載

我輩は若ハゲである。名前はもちろんある。

初めて気になりだしたのは23才の時。
それから床屋に行くのが恥ずかしくなり、30才の頃から自分で髪を切るようになった。

しばらくそのような状態だったのですが、
よく考えてみると、床屋で髪が切れるのは、今のうちだけではないか。そこで思い切って4年ぶりに床屋に行くことにしました。

近所の安くて評判のところだ。
中に入ると朝から10人ほどのお客がいた。なつかしさと共に少々緊張して待つ。案内されて席につくと、見事な若ハゲ頭の人が現れました。

前面から上部まで髪はなく、すそは短く刈上げてある。この床屋の店長のようである。

この店のサービスなのか?偶然なのか?はたまた嫌がらせなのか?

私は戸惑ったが、思い切って聞いてみた。
「頭が少し薄いんですが、どうしたら?」
店長はニコッと笑い、
「目立たないようにするか、もしくは私のように逆に目立たせるか… どうしましょうか」
「ウ~ン… どうしましょうか… プロの感性ってやつでお願いします」

この『プロの感性』という言葉にムッときたのだろうか、店長の話口調が変わった気がしました。
「いきなりはどうかな。12月だし、 最初はオールバックが出来るくらいにしておこうか」

私は承諾しつつ、まずかったかな?
と思っていたら違っていました。どうも私のことを気に入ってくれたらしく、散髪中いろいろと話をしてくれました。

髪は出来るだけ短いほうがいい、常に清潔にしておくことなど… また、

この店の定員で、スキンヘッドにした人が、社長から謹慎をくらった話(髪の毛のない者がプロの理容師になれるか!ということ?)とか、

店長の親父さんのバーコード頭をハサミ一閃!ジョキッと切った話などなかなか面白かった。

散髪が終わり仕上がりを見て、
「自分で切るのとは全然違う」
やっぱりこれからは床屋に来よう。そして、
「若ハゲなんか気にせず堂々としよう」
と思いました。
店長は帰りがけ私にこう言った。
「夏頃に竹中直人みたいな髪型にしましょうか」

我輩は若ハゲである。
でも今はまだ、その度胸はない。

Amebaブログに投稿

生きること
2006年3月23日記載

ここ数年いわゆる
『ニート』と呼ばれる若者が増え、大きな社会問題になっています。

私も去年までそうでした。
就職しても何かとストレスを感じて、仕事に身が入らない。周りの人との違和感も感じる。

精神的につらくなり、ちょっとしたきっかけで会社を辞めてしまうことの繰り返し…

ついには30才になる直前から、4年近くも自宅に引きこもってしまいました。

引きこもりの間は、自分を変えようとかの努力も全くせずに、ただテレビを見たり、暇つぶしに覚えた囲碁と将棋を楽しんでいる日々。

いったい自分とはどんな人間なのか。なぜこうなったのか。それすら、いつしか考えなくなる。

つらい、くるしい、なさけない… という思いと、重くのしかかる無力感を感じていました。

そんな日々を過ごしていた私も、
いろいろなことをきっかけに、自分とはどういう人間なのか?なにがしたいのか?の答えを見つけ、社会復帰することができました。

かつてその答えが分からず苦しんだ人間として、今苦しみ悩んでいる人に、私はこう断言したい!

みなさんは一生懸命に生きようとしている。
胸を張ってほしい… と

自分のことしか考えず、平気で人を騙したり、世の中なんぞこんなもんてな感じで適当に生きたり… そんな舐めきった人生を過ごすことの、いったい何がおもしろいのか!

俺は一生懸命に生きてやる!

人にはそれぞれ怖いもの恐ろしいものがある。
それを認識し、勇気に換え、一歩前に踏み出すことが、その人を成長させる。

何もしなくてもいい。
考えることよりも、ただ思うことです。

自分とはなにかと…

みなさんが恐れているもの。
それは自分自身をさらけ出すことである。だから前向きに生きることが出来ない。 

自分自身をさらけ出すこととは、自分の弱さや恥ずかしい面を、さらけ出すことだと思う。

他の人からどう思われようが、笑われようが、嫌われようが、どうでもいいのです。

自分自身をさらけ出し、前向きに生きることはその人を全ての面で強くさせる。弱い立場の人に、やさしくできる。間違ったことには、敢然と立ち向かうことができる。

そして苦しみを乗り越え、強くなった人間は、人の上に立つことができる。

一生懸命に生き頑張っている人を見ると、
私は思わずにっこりしてしまう。焦らず自分を見つめなおし、その答えを見つけてください。

そして勇気を持って一歩前に踏み出した時、全てのことが、今までとは違って見えるはずですよ。

自分が本当にやりたいことをしている時、
楽しいし、どんなに大変でも、失敗して人に笑われようとも、全然苦にならないんだよな~

自分自身をさらけ出し、生きていくことは、その人の幸せにつながると思う。

人生ってたのしい!

ただし一つだけ注意点。
お世話になった方、迷惑をかけた方に感謝して、恩返しをする謙虚な姿勢が必要です。

Iさん
2006年4月10日記載

前に勤めていた会社にIさんという人がいた。私の親父と同い年である。

とても面倒見のよい方で、
休憩中にみんなが飲むコーヒーやお茶、アメなどを持ってきてくれたり、誰に対しても温かく気さくに声をかけてくれる。

休憩中疲れて誰も喋らない時、
Iさんが入ってくるとその場が和むのだ。そのIさんと初めて仕事をした時のこと。

聞けば若い頃は瀬戸内海などを中心に、海上運搬業をしていたそうで、気分のいい時には必ずと言っていいほどその話をする。

話の内容よりも楽しそうに話すIさんにみんな思わずにっこりしてしまう。

ところが20数年ほど前、
どういう理由なのかはわからないが、船から離れざるをえなかったそうで、その後いろいろと苦労をしたそうである。

私も将来つらく苦しい経験をするかもしれない。でもそういう経験も、決して無駄にはならず、生きていく上での糧となる。

Iさんを見ていて、そう思いました。


奥村土牛の記事を読んで
2006年5月23日記載

徳島新聞朝刊5月21日付け一面に、
『鳴門よ心の渦を描く』と題した記事が載っていました。主人公は奥村土牛。

16年前に101歳で亡くなった画家で、日本画壇の重鎮だった方です。

記事の内容は、70歳の頃に描いた土牛の代表作である『鳴門』に関してのもの。

夫人の法事で徳島に来た折に、鳴門の渦潮を見て描きたいという意欲が湧いた云々から、その作品の素晴らしさを論評している内容。

土牛とは土に牛と書きます。
歩みはのろいが、地面を一歩一歩踏みしめて進むという意味だそうで、奥村土牛は文字通りそういう画家人生を歩んだ方です。

若い頃により画家を目指すも芽が出ず、38歳にして院展に初入選。47歳の時に、第一回帝展で『鴨』という作品が推奨第一位となり、ようやく画家としての評価が定まる。そして、

60歳を越えてから作風が変わり、その真骨頂を見せ始めたという大器晩成型の方です。

私もこの奥村土牛のように、一歩一歩着実に成長していきたいと思っています。


十六年間の思い込み
2006年5月29日記載

私には十六年の間ずっと、
思い込んでいたことがありました。それは『私は水虫である』ということです。

高校生の頃に、足の指の皮が剥けるので「水虫になってしまった」と思い込んでしまったのです。

水虫なんて恥ずかしいということで、
病院には行かず、たまに水虫の薬を塗ってたりしてましたが、長続きはせず、今までほったらかしにしていたのです。

ところが今年になり、足だけでなく手の指の皮も剥けるようになる。さすがにマズイなと思い、一週間前に皮膚科の病院に行きました。

そこの病院の診察室は、
看護士が数人院長先生の後ろに立って、診察の様子を見ているというスタイル。

水虫の治療に来た私にとって、ちょっと恥ずかしいものでした。しかし診察結果は意外でした。なんと水虫ではないというのです。

誰でも汗をかきます。その汗が、
私の場合は量が多く、足や手の指の皮の下に溜まってしまう。結果皮が剥けるという単なる体質であることが分かったのです。

なんて名前かは忘れましたが、
子供に多い症状だそうで、気になるようなら、塗り薬で症状を抑えることが出来るし、体質が変われば直るとのことでした。

高校生の頃に、思い切って病院に行っていれば、悩むことはなかっのに…

私はどうもこういうことが多い。
何もしないで、一人悩んで落ち込んでイジイジすること繰り返す。これでは人生楽しくない。

人生を楽しく豊かにするために、思い立ったら即行動!自分自身で切り開こう!

水虫ごときでこんなことを考えました。


しゃべりた~い!
2008年3月12日記載

しゃべりた~い!
もうつまんない
頭の中で面白いこといっぱい浮かんでくる
もうこの退屈感にはうんざりだ!

信じてみる
2022年3月4日記載

私は派遣社員。50歳目前のひとり者。
引きこもりから社会復帰して十数年。前向きに生きてはいるが、世間は厳しく冷たい。

色々な目に遭ってきた。良いことなんてほんの僅かで、嫌なことばかりである。

私は生き方が下手なのだ。それが邪魔をして、世間から評価されることも出来ず、今だに自信を持てずに生きている。

若い頃から認められた人や、生き甲斐を見つけて邁進している人を羨ましく思う。それがない、見つからない自分を腹立たしく思う。

何かを始める。目標を立て頑張るも、合わない出来ないで失敗。諦めて新たに始めるも挫折。次第に自分を、そして人を信じられなくなる。

どうせまたダメだ。ここ数年は最初からそう思ってしまう。でもそう言えば…

ここ最近、嫌な目には合っていない。
少しつづだけど、自分の思うように、事が運んでいる気がする。

自分に自信を持ちたいと思い続けているうち、知らない間に自分に合う環境の中にいることに、最近気がついたのです。

理想には程遠い。でも嬉しい。久しく忘れていた感覚。そろそろ人を信じてみようかな。

一人でいること
2022年5月4日記載

私はひとり者。
もちろんふたり者になりたい。

自慢はできない人生を歩んでいる。
自分なりに真剣に生きている。
何かを経験し目標を設定。
達成感を得る。少しは自信になる。

その何かを続ければいいのに…
ヤメて別の何かに向かってしまう。
だからずっと一人…

少しづついい方向には進んでいる。
でもいつまで経っても…
満足できない。自信が持てない。
だからずっと一人…

こうなら…こうしてああして…
これは…こうすればああすれば…
頭でイメージ…でも身体は動かず…
だからずっと一人…

一人でいるのは楽だ。のんびりと…
でもさすがに飽きてきたな…
どうすればいいか?その答えは…

社会復帰するときに決めている。
いつ何時も前向きに真剣に生きる。

そんな私を見て「好きだ」
と言ってくれる人。それが、
私の理想のタイプの女性である。

現れるだろうか?無理かな…
だからずっと一人… ずっと一人…
じゃあ… 嫌なんだけど…

一人でいるのに飽きてきた…
飽きてきたからもうすぐ現れる!
… 訳ない… じゃあ… 嫌なんだけど…

ずっと一人… 飽きてきた… 現れる!
… 訳ない… じゃあ……

… 頼むから早く現れてよ。
無理かな… でも決めたことだから…

*せっかく書いたのだから、
*目立たない所に載せよう。

自販機のジュース
2024年9月23日記載

*ブログで3回に分けて書いたものを、編集してまとめました。

⭐PART①

缶やペットのジュースを買う方法は、
色々な手段があります。自販機かコンビニがメインでスーパーもたまに、でしょうか?

値段はスーパーが安くて、自販機とコンビニは高い。感覚的に五割増くらいですか。

以前ジュースは、自販機かコンビニでしか買わなかった。スーパーで買うとなると、一本だけ買うなんて、できないからである。

できるんだけどね。なんか違うんです。恥ずかしいとか億劫だとかも、あるんだけど…

割高ったって、ジュースなんて、
たかが一本百数十円。そして飲みたい時に、サッと気軽に一本だけ買うもの。

私にとってジュースとはそんな感覚。

スーパーでまとめて買って、
家に置いて飲んだり、外出する時持って行ったりという習慣は私にはないんです。

コンビニはお気軽に一本だけ買える。
そして自販機は至るところにあり、いつでもどこでも、コンビニ以上に便利である。

飲みたい時に、すぐにお気軽に、
その分の割増。でもたかが百数十円。もちろんちりも積もれば山にはなる。が、

⭐PART②

スーパーで安く買ったジュースと、自販機やコンビニで割高で買ったジュース。

物は一緒、味も一緒、なのに、
不思議なほど味が違う。スーパーより、かなりコンビニより、それ以上に自販機で買ったジュースが美味しく感じてしまいます。

最近ではすぐ近くにできた、セルフレジに24時間営業のスーパーマーケットで、気軽に安いジュースをよく買うようにはなったが、その感覚は以前とあまり変わっていない。

スーパーよりコンビニ、は分かる。
お気軽感に加えて、各コンビニには、そこでしか買えない魅力あるジュースがある。スーパーは安いが普通のジュースばかりである。

あっあるな。スーパー独自のやつ。

缶コーヒーで30円くらいのヤツ。でも個人的には、安過ぎることに不安感が否めない。健康に良くないかも、みたいな。そして当然ながら、あんまり美味しくは… ない。

それはともかく…

⭐PART③

スーパーやコンビニより自販機。
なぜか美味く感じる。種類は少なく普通のばかりだ。自販機独自のジュースなんてない。あっ赤マムシはあるか… は置いといて、

お店ではない。外にあり、どこにでもある、思えば不思議な四角い箱にお金を入れて、ボタンを押せば、簡単に手に入るジュース。

田舎の自販機で、不味いなと思って、
底を見たら賞味期限が過ぎてたり、ホットを選んだのにキンキンに冷えてたり、夜中お金を落として無くしたり、でも、誰かが釣り銭を取り忘れていて得したり、二日連続で当たったり、やたらカエルが引っ付いてたり、小遊三してたら見られて恥ずかしかったり、夏場ノドがカラカラで、探して見つけた自販機が輝いて見えたり、

子供の頃から数え切れない思い出。

私にとってジュースなんて、飲みたい時にサッと気軽に一本だけ買うもの。

外にあり、どこにでもある、思えば不思議な四角い箱に、自分でお金を入れて、好きなのを選んで買う自販機のジュースに、

私はいつまでも魅力を感じます。

*ノスタルジックに書いてみたが、
そんなことないな….理屈上の話として、自販機はどこにでもあって便利だということ。