収録文章

📝焼肉店にて  06年4月11日
📝煙草とあまあまコーヒー  06年6月7日
📝続煙草とあまあまコーヒー  22年1月19日
📝イボ痔  06年8月25日
📝同窓会  06年7月10日
📝アリンコ理論  08年9月2日
📝歯車  22年8月1日
📝ファンなら欲しい?22年12月31日

焼肉店にて
2006年4月11日記載

10年ほど前のこと。
大学の同級生と二人で焼肉店に行きました。チェーンですが、店内はかなり落ち着いた雰囲気。初めて来た店である。

入店したのは夜遅くでした。
確かオーダーストップの10分前くらい。店内には我々以外に1組しかいない。

店内には店員は二人。
一人は普通の学生風。もう一人は茶髪でおしゃれを楽しんでいそうなOL風である。

焼肉定食などを注文。
よもや話をしながら食べていると、コップの水を全部飲んでしまいました。

私は普段から水をよく飲むタイプで、
食事に行くと必ず2、3杯は飲んでしまう。一緒に来た相手は、ほとんど飲んでいない。

水を飲まずに、よく焼肉を食べれるな。
などと思いつつ、近くを通り掛った学生風の店員に水を頼みました。

ところが5分経ち10分経っても、
水を持って来ない。もう料理はほとんど食べてしまった。水なしで焼肉を食べるのは、私にとっては苦痛と言ってもいい。

気づけばもう1組のお客はいない。
店が満員ならともかく、我々しかいないのに、なんで忘れるのだろう。

などと思いつつ、仕方なく、
ちょうど側を通り掛ったOL風の店員に水を入れるように頼みました。

閉店時間まで30分くらい。店内は、かすかにゆったりとした音楽が流れている。

それにしても店員の二人は、
お客のいない店内をずっとうろうろしている。そんなマニュアルでもあるのだろうか?うろうろしても仕方ないのに…

… とそこにOL風の店員がやってきた。
「はい、どうぞ」と水の入ったコップを二つテーブルの上に💥ガン💥と置いた。

「えっ!」我々は顔を見合わせた。
「普通は水差しでコップに水を入れるよな」
「変わった店」
と笑いながら話していると、たまたまそばを通り掛った学生風の店員が、我々の方を見て、

「あっ!」と小さな声。早足で店の奥へ。
「うん?」と思っていたら、

「お待たせしました」と水の入ったコップを二つテーブルの上に💥ガン💥と置く。

テーブルにはコップが6個。
空っぽなのは私が最初に飲んだ1個で、相方は最初のコップも半分しか飲んでいない。

この時点で我々は声が出なくなり、お腹を押さえて笑わずにはいられなくなった。

と、ここでとどめの一発!
その店の女亭主風のおばちゃんが、ニコニコしながらやってきて、

「もう食べ終わりましたね~」とお茶の入った湯のみを二つテーブルの上に💥ガン💥

と置いて去っていく。多分… この店の決まり事なのだとは思うのだけど…

テーブルの上には、お客二人にほとんど水の入ったコップが6個に湯のみが2つ。

しばらく我々は声も出ずに笑い続けた。目から涙が出る始末。何とか話せる状態に戻り、

「絶対にドッキリカメラに違いない!」
しばらくの間、隠しカメラをさがした覚えがある。もちろんありませんでしたが…


一カ月後、私は別の友人にこの話をして、再びこの店にきました。もちろん…

あの日の再現目当てに、てす。
金曜日の夜遅く。店内にはお客はなし。同じ場所に座り、同じものを注文。

私はコップの水を飲み干して、あの日と同じOL風の店員にお願いした。ただ水を頼むのに、こんなにワクワクしたのは初めてである。

果たして果たして…
我々二人が期待に胸を膨らませていると、水差しを持った店員登場!🥺🥺🥺

は~あ😱😱来なきゃよかった😂🤣😭
あの日はいったい何だったのだろうか?


煙草とあまあまコーヒー
2006年6月7日記載

私は、あまあまのコーヒーが好きである。
家でのコーヒーも、砂糖を最低小さじでニ杯入れる。あまあまの缶コーヒーも好きだ。

煙草と相性がいいように思う。
私にとって『コーヒーは甘いもの』である。甘いものは好きだが、普段は食べたくて食べたくてしょうがない!と言うわけではない。

最近の新聞で、徳島県は13年連続で、糖尿病患者の人口比率で第1位ということを知った。

今日は私の誕生日。34才になる。
いつまでも、自分に甘いようではダメだ。と言うわけで、今日で、あまあまコーヒーに、缶コーヒー、そして禁煙をすることにした。

この文章が、いつかホームページからなくなっていないことを、私は願っています。

続煙草とあまあまコーヒー
2022年1月19日記載

現在2022年1月19日。私は49才。
あまあまコーヒーはあまり飲まなくなり、微糖が好みになる。ブラック、またお茶などもたまには飲むようになりました。

しかし残念ながら、煙草は吸い続けている。
身体に悪い。百害あって一利なし。分かっているけどやめられない。依存症もある。だけど一番は健全になるのが怖い。

もしも煙草をやめれば、
血の巡りが回復、顔色が良くなるだろう。タンも出ないし、たまにある息苦しさもなくなる。体力は回復。最近感じる倦怠感も和らぐだろう。

….冗談ではない…

煙草のヤニで黄色にコーティングされた部屋は、やがて白く輝く清潔感に満たされるだろう。

….やなこった…

何より禁煙することで、自信になり停滞していた生活が一変、全てがいい方向に向うだろう

….そうなりたいな…

何度となく禁煙を試みるも失敗。
『何もしないで一人悩んで落ち込んで、イジイジすること繰り返す。これでは人生楽しくない』
である。

禁煙することで、全てが上手くいく。何度想像したことか?でも絶対にそうなる保障がない。

悪いこと間違ったことをする。
そういう魅力をどうしても捨てされない。書いてても… ウソでも禁煙しますとは言えない。

この文章のオチはどうしよう?
禁煙のこと考えていると何も浮かばない。だからオチはなし!キッカケがほしい。私に誰か厳しく言ってくれないでしょうか?

「煙草をヤメなさい!」とね…


イボ痔
2006年8月25日記載

私はイボ痔である。
発症したのは10年程前。なかなか直らない。たまに痛い時はボラギノールを使用している。

薬屋の方に聞くと、イボ痔とは上手に付き合っていくより他になく、規則正しい生活をすることがベスト!だそうである。

季節の変わり目に痛むことが多く、
実はこれを書いている今日も多少痛い。薬を塗っておけば、生活に特に影響はないが、今まで2回強烈に痛い経験をしました。

2回目は去年の10月頃のこと。引きこもり生活終盤戦で3日間苦しみました。症状は下記で詳しく説明しますが、1回目と同じ。

とにかく痛い。歩けない。寝れない。
そのうち痛みは収まるだろうと我慢してもダメ。3日目に我慢できずに、普段なら歩いて1分のスーパーマーケット。死ぬ思いで10分歩いて、中にある薬局でボラギノールを購入。

塗って幾ばくか、ようやく痛みが収まりました。あまりの痛さにこのまま死んでしまうのではないか?と思ったほど。

余りの不摂生な昼夜逆転の生活が、原因なのは明らかで、すぐに今度は人生初の便秘になり、社会復帰するきっかけになりました。

引きこもり イボ痔悪化に 初便秘 
社会に復帰 するっきゃない

あんな痛い思いをするくらいなら、
立ち直った方がまし!と思ったほど。半分は冗談ですが、とにかく強烈なんですよ!痛さが…

さて本編で書きたい1回目です。
それはイボ痔になりたての8年前のこと。当時私はある会社に勤めていました。今の木工所勤務とは正反対のデスクに座って仕事をするホワイトカラーの職場でした。

その日は朝から、肛門に違和感がありました。プクッという感じ。それまで何度かあったのですが、すぐに治っていたので、その日も仕事中はあまり気にしていませんでした。

ところが会社の寮に帰ってもイボ痔は治りません。違和感から痛みに変わり、幹部が恐ろしいほど膨れ上がってる感がします。

怖くなって手鏡を漬かって幹部を見ると、おばあちゃんの梅干のようになっています。今にも破裂しそう!冷や汗がタラタラ流れます。

とにかく痛い。寝るしかない。
うつ伏せになり、足をV字型に開いて、痛みに耐えていたのですが、夏場でもあり、汗が滝のように流れます。

寝れない!定期的にお通じが来て痛い。
あっけらかんに言うとウンコが押すんですよ!破裂しそうな肛門を…

夜中の2時3時… 刻々と時間は過ぎていく。
つらくて苦しい… 痛さを我慢していると、体中が痛くなります。

「ア~モ~どうすりゃいいんだ~!」
と思って、目を開けると朝になっていました。いつのまにやら寝ていたようです。

朝になっても痛みは相変わらず強烈。
何がつらいかと言うと、体に力を入れるとすさまじい痛みが襲うのです。

人は立ったり座ったりする時に、肛門に力を入れます。イボ痔が悪化すると、立ったり座ったりがたまらなく億劫になるのです。

どうにもならない。会社を休んで、病院に行くことにしました。隣町の赤十字病院です。

まずは歩くのがつらい。ひょっこひょこのスローなガニマタ歩き。そして体が痛い。

スポーツ選手が右足を怪我して、かばっている間に左足を痛めてしまうなんて聞きますが、体のいたる所が痛いのです。

車に乗ることモ~大変!なぜって、
座席にお尻を触れられない。オートマじゃなかったらどうなってたでしょう。

病院も大変!患者さんがいっぱい!
待ち時間は1時間以上。ずっと立ったまんま。席が空いても座れないもん!痛いから。

診察中は恥ずかしい!
お医者さんだけでなく、看護師さんにも肛門を見られちゃう🤍

「ぅ~あっ!ふ~ぃった~」
声も出ちゃ~う!もう恥ずかしい。とにかく恥ずかしい!ったらありゃしない。

診察結果は練り薬でOK!だそう。
帰りは何とか痛みは治まりました。薬の軟膏の痛み止め効果のおかげです。

痛みが強烈になってから一日近く、
ようやく安堵感に包まれたのですが、話はここで終わらなかったのです。

家に帰ってから気づきました。
そういやここ2日ほど大便をしていない。下腹がちょっと張っています。

「何とか今日中に出さなきゃ!」

私はそう決心しました。
軟膏の痛み止め効果のおかげで痛みはない。と言うよりも麻痺している状態。幹部はまだまだ膨れ上がったままです。

「試しに行ってみるか!」
便座にすわり、初トライ。

「怖い!破裂しそう…」
怖さと暑さで滝のように汗が流れます。30分置きに2度3度挑戦も失意のうちに終了。

「頑張っているのにな~」
自分のふがいなさに腹が立ちます。暫し休憩。

「んっ!何とかなるかな」
随分治まってはいたが、膨れ上がった幹部。恐る恐る力を入れます。感覚が無い。でもなんかヌルッとしたような…

「よし切ってみるか!」

… ポトッ …

便器には小さいながらも立派なものが…
うれしかった。とにかく感動しました。そのとき初めて思いました。

自分で自分をほめたいと!


*この5年後に最初の手術。その6年後に2度目の手術をして現在に至っています。

*手術は幹部に注射をして小さく固めるという簡単なもので、痛みは全くなし。但し完全な処置ではなく再発の可能性もあります。

*昔は大変だったでしょうね。
奥の細道で有名な松尾芭蕉って、痔のために亡くなったそうです。痔とは怖い病気です。
2022年2月2日記


同窓会
2006年7月10日記載

11年前私は阪神淡路大震災で、不慮の死を遂げた高校の同級生の葬式に出席しました。

多くの同級生が来ていましたが、
私はすごく嫌な思いをしました。ほとんどの同級生が亡くなった彼の話をしないのです。

正確には話していた人もいた。でもまるで他人事のように話す者。さらには彼の友人の弔辞にチャチャを入れる者。

一番腹立たしかったのは、ワイワイと同窓会をしようか?なんて盛り上がっていたことだ。私はその場にいることが嫌になってきました。

そんな時ある同級生が、みんなに聞こえるように大きな声で話を始めました。それはなんと彼のナンパの自慢話だったのである。

「大学入ってからナンパし始めたけど、最初声かけるときは緊張したけど、そのあとは平気にできるようになったわ!」
廻りは少し静まり返る。でも少しの間だけ…

葬式が終わる。外に出た所で、
「同窓会のこと話すから○○のファミレスに集まってください」との声に、
「わしは用があるから同窓会行けへんわ!」

当時の私は、彼の常軌を逸脱したこの言動がよく分からなかったのですが、ただ何となく気分が良かったことを覚えていました。

11年経った今、そのことを思い出し、
もしかしたら彼も、私と同じ嫌な感じがして、我慢していた私と違い、彼なりに行動で示したのではないか?と思うようになりました。

同級生の葬式で、同窓会の話で盛り上がるぐらいなら俺のナンパの話をする方がましやろ!

『同級生の葬式でナンパの自慢話をする』

何とも爽やかで、心地良いフレーズだろう。
一つ一つの言葉には、そんな要素は微塵も含んでいないのに、このフレーズを心に思うたび、私は爽やかでいい気分になる。

私はこの時の彼の行動、言動が大好きだ。

彼とは高校時代、ほんの少ししか話したことがないし、この葬式以来会っていない。

去年の年末のこと、
私は初めて同窓会に出席した。15周年記念とのことで参加者も多かった。しかし…

あの震災から10年目。同級生で唯一亡くなった彼の話題など一切なし。あの時と同じ、うわべだけの盛り上がり。何ともつまらない、かなしい思いしかしなかった。

次の同窓会は5年後だそうだ。
もしその時の同窓会も同様ならば、私はその彼とタッグを組んで、大暴れしてやろうかな。


アリンコ理論
2008年9月2日記載

アリンコ理論とは何なのか?
暇でしょうがなかった大学時代のある日、私が頭の中で空想した理論のことです。

まあ… どうということはありません。
当時気に入っていて、今でも覚えていたので、書いてみたいと思います。

CMソングだったでしょうか?
♫アリンコの涙、いつかきっと見えるよね♫

アリンコとは蟻のことです。
歩いていて意図なく知らない間に、蟻を踏み潰してしまった。そしてその事実をたまたま知ってしまった時に、どのようにすればいいのか?

というのが、空想の始まりでした。

蟻を踏み潰した事実を知らなかった場合は、何もありません。何もなかったことになる。でも知ってしまったら…

私の場合はこうです。
蟻なんて小さな存在であり、いっぱいいるし、どうでもいいじゃないかと思います。でもほんの少しですが、やはり罪悪感も感じます。

何の罪もない蟻を、知らないうちに踏み潰してしまった。それは厳密には罪になります。命ある蟻を殺害したのですから…

だからと言って、
「取り返しのつかないことをした」
とその場に蟻の墓を作り、線香の一本でもあげて蟻の冥福をお祈りする。

なんてイチイチやっていられない。徳川綱吉の生類憐れみの令など出ていない。

そんなことをしなければならないのなら、
小さな生き物が気になって、自分自身が何もできなくなります。

それでは「蟻なんかどうでもいい」と踏み潰した蟻を見ても、何も感じずに素通りする。

こういう人が大多数でしょう。
普通だと思います。できればそうしたい。一番楽だからです。でも私はこういうドライな行動に、少しだけ抵抗があります。

私はいい人ではありません。
誰かに対して、良いことをしたいとはあまり思いません。でも悪いことはできるだけしたくないなと思っています。

「蟻なんかどうでもいい」と思うこと。
「悪いことしたかな」と感じること。

些細なことを気にし過ぎてはいけないが、
些細なことでも全く無視する訳にもいかない。この両方をミックスした行動をすることが、最善であると私は思いました。

歩いていて意図なく知らない間に、蟻を踏み潰してしまった。そしてその事実をたまたま知ってしまった時に、どのようにすればいいのか?

私の思う適切で正しいと思う行動とは、

踏み潰した蟻を見て「あっ!ごめん」と心の中で一瞬だけ思い、また何事もなかったかのように歩き始める。である。

簡単なことを複雑に考えて、
結局簡単な答えを導き出す。私には学者としての資質があるのでしょうか?


歯車
2022年8月1日記載

社会の歯車になる。
一体どういうことなのか?生まれて随分になる。一度は真面目に考えてみよう。

頭ではもちろん分かっている。
でもこうして文字にして改めて考えてみる。そうすれば今まで思いつかなかった新たな発見があるかもしれません。

その人が生きているとは必要だからだ。
社会の歯車として必要だから生きている。では亡くなった人は社会の歯車として必要がなくなったからなのだろうか?

産まれてすぐに亡くなる。交通事故で亡くなった小学生。不治の病で亡くなった20代の人。戦争で虐殺された民間人…

生きているとは、社会の歯車として必要だからである。これは正しいと思う。生きている人で不必要な人はいない。これも正しいだろう。

では上記のような不慮の事故や病や非業の死を遂げた人はどうなのだろうか?

人は生まれて生きて必ず死ぬ。
私も今生きている全ての人も必ず死ぬ。今生きている人も生きていた人になる。

その時はなぜだと思うこともある。
でも時間が経ち、その人を覚えている人は、こう思うだろう。いや思いたい。

やがては必ず死ぬ自分のために…

その人は懸命に生きてその役割を果たし、人生を全うしたのだ。生まれてすぐ死んだ赤ん坊も、極悪非道の殺人鬼でもその被害者でも… だ。

全ての人は生まれたことに意味がある。生きている全ての人は、社会の歯車なのである。

私は今生きている。そしてまだまだ死にそうにはない。でもいつか… は必ずやってくる。

いつか… のその日まで、
自分に与えられた役割を果たし、社会の歯車の一つとして生きなければならない。

書いているうちにこんな感じになりました。〜しなければならないか… 私は苦手だ。

Amebaブログに投稿

ファンなら欲しい?
2022年12月31日記載

*ブログで2回に分けて書いたものを、編集してまとめました。

私の仕事は交通誘導警備員。
最近時々競輪の場外売場での車の出入り誘導をしている。道路の交通量は多く、お客さんは高齢者が多いので、結構神経を使う。

普段はさほどでもないが、
年末は大きなレースがあるため、お客さんの入りも上々である。それはさておき…

年末は大掃除の時期でもある。
開店中駐車場の柵には、ガールズ競輪の宣伝用の旗を3本掲げている。

半年に一度交換することになっており、
本日交換しました。遠目には目立たないが、よく見ると端っこなどは結構傷んでいる。

交換後、古い旗は捨てる。ここで閃く。
古い旗を常連のお客さんにプレゼントしたらどうだろうか?欲しい人いると思うけど…

しかし警備員という立場。提案することは控えることにしました。それにしても…

ファンなら欲しい?

そんなことを考えていたら、
大学時代の出来事を思い出しました。あるポスターのことです。

私は映画『男はつらいよ』の大ファン。
当時主人公寅さん演じる渥美清さんが、郵便局のCMに出演していました。

そんな折、近くの郵便局のATMに、
お金を下ろしに行くと、ドーン!と寅さんのポスターが貼ってあります。

一目欲しいなと思いました。

そう思ったら即行動。窓口で交渉です。
今月末まで貼っているから、その時来てくれたら差し上げますとのこと。

その時頂いた寅さんのポスターは、長らく私の部屋で飾られることになります。

数年後、渥美清さんは亡くなりました。いい思い出として私の心に残っています。