21路盤って結構打たれてたのね

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最近というか今日のことですが、
21路盤は多くの人が考えていて、実際に対局したりしていたのですね。ちょっとショックです。
2007年8月8日記

Googleの検索サイトで1050件。
6年前には結城聡九段と吉田美香七段で記念対局まで打たれていたなんて…

21路盤は実物も存在していて、プロ棋士も対局している。たいして面白くないとかいう感想などもあり、私の考えた理屈にしても、よく似た考えを紹介している人までいる始末。

知らなかったな~
…………

う~ん… せっかく考えたのに、
囲碁を覚えて1年くらいの頃、自分だけで思いついた。もしかしたら凄い発見なのか!とか思っていたのに… 恥ずかしい…

21路盤を考えた人がいる。実物もある。
しかもプロ棋士がイベントで対局している。たいして面白くないという感想。

だから広がらない。なぜなのか?
囲碁のプロ棋士が、21路盤に対して全く乗り気じゃないからです。

だから私も知らなかったのです。

う~ん…… あれ!待てよ…
広まっていない… ということは、失敗?
ならば、私が広めればいいんじゃないか?

21路盤を考え出した人は結構いる。
そして広めようとした人もいる。でも実際には広まっていない。つまり成功してはいない。

光触媒だってそうじゃないか!
発見は30年以上も前。当時は全く評価されず、現在は専門家を中心に評価はされている。そして期待されてはいるものの、現在でもまだまだ一般の人には浸透していない。              

2007年8月8日了


新しいこと、新しい考え方というのは、
簡単には受け入れられないことは、よくある普通の事。それどころか、ものすごい反発を招くことも、よくある話です。

ガリレオの地動説など科学関係にしても、
政治や思想、宗教関係でも弾圧がされたりと、そんな傾向にあるのは歴史が証明しています。

考えてみればそりゃそうだと思います。
今までの方法でも別段問題ないし、そのことについては、そういうものだし、昔からそうだと決まっているんだから、それでいいじゃないの!

新しい考え方を一人の人間が示しても、
たとえ現行の考え方に多少問題があって、新しい考え方が正しくて、問題を解決できると分かったとしても、簡単に受け入れられる訳がない。

急に変えろと言われても、今まで自分達が信じていたものを、やってきたことを、簡単に捨てることはできないし、第一自分がその人にバカにされているような気がするでしょう。

何が何でもその人に反発しようとすることは、当たり前のような気がします。

何だかとんでもなくスケールのデカイ話をしていますが、囲碁の話をしています。もちろん囲碁のスケールも大きいですよ。だけど命の危険はありません。ただの遊びだから。

2007年8月25日了


プロとはどういう意味でしょうか?もちろん英語でプロフェッショナルの略語で、

プロフェッショナル:専門的であること。職業として行うさま。あるものごとを、生計の手段として行う人。自分の職業であるとの強い自覚をもってそれにうちこむ人。くろうと。

アマチュア(対語):職業としてではなく、趣味として、物事を行なう人。愛好者。しろうと。

という意味です。(ネット調べ)

プロ棋士ってすごいですよね。
テレビでプロの対局をただ観ているだけでは、さっぱり分からない。

でも解説を聞いてみると、こんなに読んでいるのかと感心するし、なるほど… だからこの一手なのかと分かったような気にはなります。

アマチュアは、プロにはとてもかなわない。
つい今しがた、パンダネットで囲碁を一局打ちました。結果は私の2目半勝ち。

勝ったから結果は良かったのですが、最後の方はなんだかひどかったような…

そこで対局の後、形勢判断機能で確認したら、中盤まで私は20目も勝っていたのです。何となく良い感じだった気はしてました。でも寄せはボロボロ。終局時はもうヘロヘロでした。

ふ~疲れた。プロ棋士はすごいですね。

2008年2月11日了


プロ棋士になるような方は、子供の頃に囲碁を覚えます。そしてすぐに他の人とは、比べものにならないくらい、どんどん強くなっていきます。

そして囲碁で生活の糧を得る専門家、
つまり囲碁のプロ棋士となります。そしてそのプロの中で選ばれし、ほんの一握りの才能の持ち主が、囲碁を打つだけで、巨万の富と名声を得る超一流の棋士になります。

もちろん血がにじみます。
でも超一流という世界には努力という言葉は存在しません。そこにあるのは…

ほんの一握りの才能の持ち主

才能… 私には縁遠いもの… くやしいから、私は才能という言葉を使う時、いつも性格という言葉に置き換えたいと思っています。

ほんの一握りの性格の持ち主…

… 話を戻しましょう。

当然の当たり前の話をします。
プロ棋士は、アマチュアに比べて、囲碁がやたらと強く、囲碁に関して、やたらと詳しい。

やたらと定石を知っている。やたらと詰め碁が解ける。やたらと手が読める。いろいろ読んだ上にそれぞれの図の形勢判断もやたらと正確。

やたら抜群の大局観。やたら寄せがすごい。
小寄せに入って、一目半差なら勝敗はもう、やたらと動かないなど… プロ棋士は、囲碁に関して全てにおいて、やたらとすごいのです。

ところで『やたら』って何?

だから一般のアマチュアは、囲碁に関してはとてもプロ棋士にはかなわない。

テレビ対局の解説を聞くと、読みの深さや考え方に「なるほど」と感心するばかり。

大棋士のインタビューなどで「囲碁とはこういうものなのですよ」とか言われると「そうか~そうですよね」とそれをそのまま受け入れます。

こんなすごい方が言ったことなのだから、正しいのに決まっている。

「21路盤は知っているし興味もあります。でも19路盤の方が面白い。奥が深いと思いますよ。21路盤は広すぎてね、焦点がよく分からない。まあ楽しむ分にはいいかもしれませんね」

「そうなのか」プロ棋士がそう言うのなら…

普通の人はその時点で思考を止めてしまう。でも私はそういう訳にはいかないのです。

今から二年とちょっと前のこと。
私が約四年間の引きこもり生活から社会復帰する時に、いくつか目標を立てた内の二つが、囲碁と将棋に関するものだったからです。

囲碁は、21路盤を普及させること
将棋は、新しい本将棋を作ること

2008年3月8日了


私はこれを目標にしました。
当時なにもやる気にならなかった私が、唯一興味を持ったことが、この囲碁と将棋のことだったからです。他にすることがなかったから、囲碁と将棋のことばっかり考えていました。

そして 2005年12月 4日から7日の間に、このフレーズを思いついたのです。

囲碁とは、
『人類が、未知なる世界へ挑戦する様を見て喜んでいる神の創った究極のゲームである』

将棋とは、
『人間が、人間の世界で、人間の本質を表現するために作った究極のゲームである』

*将棋の方は『新しい本将棋の構想』に記載

これを思いついたときに書いたメモが、今も残っています。書いた当時このメモを眺めいたら、なぜか涙が溢れてきたのを覚えています。

今から考えると、少し頭が変になっていたのかもしれません。他にすることがなかったので…

このフレーズすごくいい。なぜ私がこんなフレーズを思いつけたのだろうか…

それまで何一つ自信が持てなかった私。
初めてほんの少しだけですが、自信を持つことができた瞬間でした。

2008年3月11日了


さて4月29日のことです。初めてこのホームページ宛てにメールが届きました。うれしかったですね。何事も続けてみるものです。

内容は囲碁に関してのもの
「級位者が21路盤を普及することは大変でしょうが、地道に頑張ってください」
という感じのものでした。

*うれしかったので紹介しましたが、これからはこういうことをするつもりはありません。

私の欠点はいろいろと考えたり、思ったりすることは得意なのですが、そのことに対して地道に努力することが苦手なのです。

だから囲碁と将棋への思いや考えを、
ホームページに載せて紹介したことは、私にとってすごい進歩です。

それに対して意見をしてくださった方がいた。月並みですが最高です。

ただ私は現在働いています。
一応前向きに人生を歩んでいます。目標は達成しているように思うのです。

だから… 囲碁と将棋のことは別に…

… まあね… 人生は長い!というわけで…
その… まあ… 書いた以上はね… とりあえず… 頑張るしかないか!やれやれ… 面倒くさ~


……我ながら、ひどい終わり方だな。

2008年5月6日了

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