震える手に思うこと 09年2月1日
王将戦を見に行く 11年6月2日
『最強の棋士』 23年1月5日
『最高の名人』 23年1月9日
震える手に思うこと
2009年2月1日記載
⭐2009年初版
⭐2022年1月改訂1
⭐2023年1月改訂2
去年行われた第66期名人戦。
4連覇中の森内俊之前名人を4勝2敗で破り、羽生善治新名人が誕生しました。
名人通算5期となり、19世名人の資格を得たという歴史に残るシリーズでした。
対局のテレビ中継、後日この名人戦を扱った番組が、NHKで放映されて拝見しました。一番の話題になっていたのは、
『羽生善治の震える手』でした。
NHKの番組では、30代の頃から終盤の勝負どころで手が震えるようになったと、本人は語っていました。
なぜ手が震えるのか?
本人もその理由がよく分からないと話す。私はそのことを考えてみたくなりました。
実は私も昔から、手や声が震えるという体験を何度かしてきました。
学生時代に教壇に立って、何かを発表する時に必ず声が震えました。大学の卒論発表の時は特に悲惨なものがありました。
なぜ手が震えたのか?
理由は分かります。発表すること自体やその内容に、自信がなくて緊張したからです。
それが『羽生善治の震える手』の理由なのか?そんな訳がない。
将棋の歴史に名を刻む大棋士が、例え将棋界最高峰の舞台である名人戦であれ、
『対局で緊張する』などありえない。
自信がなくて緊張していたのであれば、指し手を間違えて負けてしまう。羽生挑戦者の手が震えた時は、全て勝っています。
第3局は、森内名人の名人戦史上に残る大失着があり、羽生挑戦者の大逆転勝ちとなる。挑戦者の手が震え出したのは、大失着の後、最後の寄せに入ってからです。
駒をうまく持てないのに、指し手は正確。見事な勝ちを収めてました。
つまりあの場面で、羽生挑戦者は自信がなくて緊張するなど絶対にない。むしろ逆である。勝てる自信があり、そして誰よりも冷静だったと思います。
ではなぜ、手が震えたのでしょう?自信があって冷静だったのに…
私の思う答えは『恥ずかしかったから』
これを読んでいる方多くは、
何を言っているの?と思うでしょう。私もそう思います。ではなくて、これから説明してみたいと思います。
本当のことは御本人しか分からない。もしくは御本人も分からない。もしこんな理由だったらいいなと私が思ったことです。
私が最後に手が震えたのは、3年ほど前に営業の仕事をしていた時でのこと。初日研修がてら先輩と二人で営業先を訪れて、名刺を渡した時に、手がブルブル震えました。
その半年前まで4年近く自宅に引き込っていたのですから、当然と言えば当然です。
『羽生善治の震える手』に思いを馳せていた私は、このことを思い出しました。その時の私は緊張してたから… ではないような…
何もかも全てがイヤになり、一人で過ごした4年間。その絶望から抜け出し3年。
今は人と接することに、喜びを感じる日々。
今も悪戦苦闘中。でも以前とは違い、何事も前向きに考えるようになりました。
震えるような思い。それは喜び。
したいことができる。したいことをしている。私にとってのそれは、社会の一員として人生を全うすること。
名刺を渡す時に手が震えたのは、自分自身の意思ではない。体が勝手に反応したのです。
その時は気付かなかった。今は分かります。私の体が教えてくれたのです。私にとって一番苦手な人と接することが、私にとって1番したいことなのだと。
歴史上最強の棋士と云われる羽生善治。
平成8年には7冠王となり、現在は通算タイトル獲得数も、史上1位の大山康晴15世名人に肉薄しています。
その大棋士羽生善治が、将棋に関して唯一苦手にしているのが名人戦です。なかなか永世名人の称号を獲得することができない。
もたもたしている間に、同い年のライバルの森内俊之が18世名人資格保持者になる。
他の棋戦の戦績は圧倒的。
最大のライバルである谷川浩司九段にも、タイトル獲得数は遥かに凌駕している。
名人とは特別だなんて人は言うけれど、他のタイトルと同じだよ。単に相性が悪いだけ。そんなの関係ないさ。
3期ぶりの名人戦の舞台。
永世名人の資格を得るチャンス。相手は18世名人資格保持者の森内俊之。
関係ないよ。慣れ親しんだタイトル戦だ。
1勝1敗で迎えた第3局。後手番で苦しい局面が続く。あっ!これは失着だ。これで自分の勝ちになった。ヨシ!
… あれっ… 手が震える… なんでだろう?
続く第4局、終盤の勝ちの局面で、また手が震える。おかしいな… 第5局は負けて3勝2敗。名人を決めた第6局。やはり手が震える。
やっと気がつく。
自分の気持ちに正直に。そうか…
私はやっぱり… 名人になりたいのだ。
何だか恥ずかしい。でも最高にうれしい。
こういう気持ちを、人生で何度味わうことができるだろうか。その経験が多ければ多いほどその人の人生は、素晴らしいものであろうと、私は確信しています。
働いているだけ。普通に生活してるだけで、私はこういう気持ちを味わえます。それは4年間の絶望の引きこもり生活があったから。
これはさすがに、前向き過ぎるかな。
王将戦を見に行く
2011年6月2日記載
今年1月8、9日に第60期王将戦第一局が徳島県鳴門市の大塚国際美術館で行われました。私…見に行きました。初めてのタイトル戦観戦となりました。
徳島では、毎年囲碁の天元戦 (第五局なのでない時もあります) と将棋の王位戦が行われています。一度は見に行こうと思っていましたが、今まで果たすことができないでいました。
この対局は第60期の記念として、対局前日には歴代王将経験者も勢ぞろい!なんて地元新聞でも大きく取り上げていました。また公開対局でもあり、ぜひ行ってみたいと思ったのです。
王将戦は2日制のタイトル戦、見に行くのなら勝負が決まる2日目の午後だろうと、9日の昼過ぎに出発したものの、簡単な詰将棋にも四苦八苦している私です。なんとなく敷居が高い。場違いのようなという思い。いつも通りの週末を過ごそうか…会場に向かう途中パチンコ屋に入ってしまいました。
警備員時代は、ほとんどパチンコをすることはありませんでした。今は派遣で工場に勤めており、お金に多少は余裕ができ、たまにパチンコをするようになりました。
と言っても、最近はやりの1円パチンコが私の専門です。好きな台は人気の海物語。正月明けということもあり、最初の500円で大当たり。その後は連チャンの嵐。
結局5000円も勝ってしまいました。
1パチで5000円はなかなか勝てません。
このままパチンコを続けようか?とも思いましたが、それではいつもの休日です。思い直して王将戦の会場である鳴門市の大塚国際美術館に午後2時頃に到着しました。
近くに亀浦漁港には釣りによく出かけていたのですが、大塚国際美術館には行くのは初めてでした。少し離れたところに駐車場があり、そこに車を止めたところ、送迎バスがあり、警備員が乗り込むように促すので乗り込みました。
まさに至れり尽くせりであります。
「さすがは国際美術館」と感心しました。
入口に到着。入場料金を見て度肝を抜かれました。大人一人3150円!高いな!
帰ろうかな。しかしここまで来てまさか帰るわけにもいかない。なくなく入場チケットを購入しました。受付の人に確認。王将戦観戦にはさらにプラス1000円必要!!ひえ〜
パチンコに勝ってよかった…そう思いました。
気を取り直して長いエレベータで上へ。
地下3階に到着しました。ん?おかしい。
上に行ったのに地下3階。
実は大塚美術館は小高い山をくりぬいで作ってあり、入口が地下5階。地上3階まであり、地上に上がれば大鳴門大橋と鳴門の渦潮も一望できるという、かなり大掛かりな施設なのです。
到着した地下3階はとても広い。全体がどうなっているのかさっぱりわからない。王将戦の公開対局の会場はすぐに見つけることができたのですが、せっかくだから美術館の方も見に行こうと考えました。
4150円も払ったのだし…
後から調べて分かったのですが、大塚国際美術館はオリジナル原寸大の陶板で再現された世界初の陶板名画の美術館です。
館内には、6名の選定委員によって厳選された古代壁画から、世界25ヶ国、190余の美術館が所蔵する現代絵画まで、至宝の西洋名画1000余点を、大塚オーミ陶業株式会社の特殊技術によってオリジナル作品と同じ大きさに複製しています。
『モナリザ』『最後の晩餐』『ゲルニカ』など誰もが知っている世界の名画を楽しむことができます。
ところが行った当日、そんなことを全く知らない私。地下3階と地下2階を適当に鑑賞。美術館なんてだれが見に来るねん。どうせ閑古鳥だろうな。
…それにしても結構来客は多い。王将戦があるから?にしても美術品鑑賞目当ての人がかなりいる。3150円もするのに…
「ようわからんけど、全部贋作の偽物だろ」
と思いつつ、ほんの少しではありますが、それら名画に迫力を感じたのを記憶しています。
…ホンマですよ。
という感じで、暇つぶしに1時間ほど大塚国際美術館を探索(当時はね。今は思いません)した後、いよいよ王将戦公開対局場に入りました。
会場は地下3階のシスティーナ・ホール。
かの有名なミケランジェロが創作した、システィーナ礼拝堂の壁画が、全面に再現されています。会場に入るなり、私の視界には壮大な壁画が映りました。
ものすごい迫力です。実にすばらしい…まあどうでもいいか(当時はね。今は思いません)
そんなことより王将戦。
ここに入るだけで、なんと 1000円も余計に払います。しかし滅多に見ることのできないプロのしかもタイトル戦です。このくらいは安いもの。パチンコ勝って良かった…とつくづく思います。
大迫力のシスティーナ礼拝堂の壁画の下で久保王将と豊島六段が対局しています。
二日目とは言え、時刻は午後3時過ぎ、観客も疎ら、私は前の方に座りました。薄暗い空間の中ライトアップされた両雄と将棋盤に向けられたカメラが数台。静寂が辺りを包む。両者はただ盤面と見ているのみ。ほとんど動かない。
薄暗い空間の中で静寂が辺りを包む。見上げれば幻想的な壁画。椅子に座ってから数分。
その場の雰囲気に慣れる。退屈だ。眠くなる。
……いや?ならない!なぜ…
そうさせるもの。これが将棋の王将戦の対局が醸し出す雰囲気なのか!…いや?違う。
せっかく 1000円も払ってんだからなんかやれよ!という私の怒りである。
などと思っていると『ピシッ』
その音は力強くどこまでも澄みきった……
周囲を包むシスティーナ礼拝堂の壁画に、反響するでもなく… 吸収されるでもなく…
地下深く。人知れず気の遠くなるような時間が創造する鍾乳洞。いつ以来なのか。一滴の雫が地底湖に落ちる。
しばらく余韻に浸る… なるほど来て良かった。
1000円も払った価値がある。
美術館の入場料3150円と合わせて
4150円も払って見に来た価値がある。
深いため息。払った時は。
でもなるほど… それだけの金を払って見に来た価値がある。私はそう思いました。
しばらく観戦した後、少し離れた解説会場へ行きました。人がたくさんいました。テレビで見るのと同じでした。
青野照市九段、村田智穂女流二段、船江恒平四段、菅井竜也四段が解説されていました。
その後美術館の地上階で周囲の景色を楽しみ、再び公開対局会場で観戦。
終局間際の6時前になぜか会場を後にして帰路につきました。
なぜそうしたのでしょう。
今だにわかりません。
私の些細な抵抗だったのでしょうか?
…なんの?
数日後私はパチンコに行きました。
1パチでも大当たりしないと1000円なら
15分ほどでなくなってしまいます。
なんだ…1000円なんて安いもんだな
*…ひっどいなコレ…2022年2月4日記
将棋の彩ってきた名棋士たち。
私なりの感性で文章にしてみたい。そんな衝動に駆られ書いてみたいと思います。お気軽にお読みください。
『最強の棋士』
2023年1月5日記載
将棋の歴史は長きにわたる。
その時代時代には、最強の第一人者が君臨してきた。この中で私が最も強いと思う将棋の棋士は『羽生善治』である。
タイトル獲得数99期、永世七冠王など….数々の大記録。そして将棋界初の国民栄誉賞。文句なしである。
私は羽生善治現九段と二才年下。
やはり同世代の棋士には、親近感や思い入れがあります。それも理由の一つ。
私の生まれがもっと早ければ、
最強の棋士として、中原誠16世名人や大山康治15世名人を挙げたかも。私が二十歳だったら….藤井聡太現竜王となるでしょうね。
でも同世代であろうとなかろうと、
私は最強の棋士は羽生現九段だとしたい。その理由は….時代背景となる。
同じことジャン!と思うかも。
なぜなら私がその時代をよく知っているから。でも理由があります。それは情報化社会の発達と将棋の定義となります。
羽生現九段の活躍期は、80年代後半から今も継続中。初期の頃からすでにメディアの発達やネット化による情報化社会。
それ以前の情報が分からないとか、タイムラグもない。棋譜や対局結果など将棋の情報は、リアルタイムで簡単に入手可能。
つまり将棋に関する全ての情報が、誰でも得られる。それは将棋をする条件が、全ての人に平等かつ高いレベルにあることを意味する。
パソコンは本格的に普及していたが、コンピュータの将棋の実力は、まだまだ人に対してかなり劣っていた頃。
それは人工知能AIによる将棋ソフトが、人間と同等以上の実力となっている現在にはない、将棋の定義『人間が知的な部分を競い合うゲーム』が成立した最後の時代。
全ての人に、情報が平等かつ高いレベルで伝わる。その平等の条件下で、人同士が純粋に競い合うことができた時代。その時代に第一人者として君臨した羽生善治現九段。
現在の本将棋400年以上の歴史の中で、最強の棋士であると私は思います。
『最高の名人』
2023年1月8日記載
将棋界で最も格式高い称号『名人』
現在まで資格保持者を含め、19人の永世名人が誕生。その中で私が最高の名人だと思う棋士は『谷川浩司』である。
御存知21歳2ヶ月最年少名人。
1983年私が小学生の頃。昨年17世名人となる。私が初めて知った将棋の棋士。
つまり思い入れのある棋士。
異論はあるでしょう。名人獲得数は5期。ギリギリで永世称号を獲得。一度でも名人になることでもすごいこと。
しかし実力制の永世名人である、
木村義雄14世、大山康晴15世、中原誠16世名人の通算8、18、15期に比べてかなり見劣りする。現役の森内俊之18世、羽生善治19世名人資格保持者の通算8、9期に対しても同様である。
将棋界最高の称号『名人』
『タイトル名の意味』で記した名人の意味。名人とは全ての人に認められた人。
最強の名人ならば、実力制度下で通算18期の大山康晴15世だろう。でもここでは最高の名人。名人の意味を考慮して、谷川浩司17世名人が最高の名人だとします。
強くなければ名人にはなれない。
順位戦で勝ち続ける。挑戦権を得るのに最低5年はかかる険しい道のり。全ての人に強さを認められなければ名人にはなれない。
そして勝つと負ける人がいる。
谷川浩司17世名人は、負ける人からも認められた唯一の永世名人だと思う。
最年少21歳で名人となる。
将棋界の顔となり、屋台骨を背負い、第一人者となる。しかし君臨するまでは果たせず、年齢による衰え前に『最強の棋士』羽生善治にその座を奪われる。
強いが負ける。強いけれど負ける。
人を惹き付ける圧倒的な魅力と存在感。勝つと凄い。光速流のニックネーム。でも永世名人なのに負ける印象。1996年の羽生善治七冠王なる時の対局相手。
名人とは全ての人に認められた人。
強さを誇示して勝ち、そして負ける悔しさを知る唯一の永世名人。
私の思う将棋界『最高の名人』は自信を持って谷川浩司17世名人である。