収録文章

📝警備員になる  22年2月15日
📝小生政治を語る  09年3月22日
車イスのおばあちゃん  10年4月15日
📝九十過ぎてて  22年2月25日
📝負けへんでワシは  22年2月27日
町はお祭り騒ぎ? 10年11月4日
📝工事の犠牲者たち…   23年4月5日
📝何もしない仕事  23年4月25日
📝警備員もなかなか  23年6月20日
📝レンコンおばちゃん  25年2月10日

警備員になる
2022年2月15日記載

警備員を始めた当初の2008年の大晦日に書いた文章の題名です。でも内容が掲載するほどものではないので、全カットします。

しかし警備員はこの年から足掛け6年間頑張りました。私にとって思い入れ深い仕事なので、新作として書いてみたいと思います。

2008年は、木工所を辞め、介護職になろうとして挫折。ハローワークに入り浸りとなり、トラックのドライバーや塾講師やホテルの接客などに就活したが全て失敗。

趣味は面接だと自負していました。

気がつけば、半年働いていない。
お金も底をつき(確か全財産6万円)困ってしまいました。そんな時ハローワークで警備員という求人を見つけました。

当時の私は警備員についてよく知らなかったのですが、失敗続きの就活。とりあえず面接に行ったら即採用。びっくりしました。

分かる人には分かると思いますが、
大手の警備会社は別として、工事現場の警備が主な仕事の小さな警備会社は、定年後の暇つぶしをしたい人とか、就職できなくて困った人が最後に行き着く場所なのです。

当時の私は、そんなことなど知る由もなく仕事にありつけたことを喜びました。

始めてすぐに向いてるなと思いました。
そして仕事は真剣にしつつ、自由気ままな日々を送りました。いろんなことを経験。嫌なことも良いことも、全て私の糧になっています。

どのように糧になっているのか?
具体的に書くのは難しい。それは私の心に閉まっておいて、これからの人生を通じて表現していきたいと思っています。

もうしないと心に決めて辞めたので、
今後一切することはないけれど、実は今もまた警備員したいなと思うことがあります。

人生で始めて周りから評価された仕事。

警備員時代にいくつか心に残ったエピソードがあります。思い出しつつ紹介します。


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小生政治を語る
2009年3月22日記載

小生は交通誘導警備員。
選挙の投票にはまあまあの参加。政治には人並に感心はありますが、それほどでもなく特に一家言もありません。

ところが同僚の警備員で、政治のことをよくしゃべる人がいます。仕方なく話を合わせていたらこんなことを言っていました。

我ながらなかなかいいなと思ったので、紹介してみたいと思います。

国の政治のあり方や行政の仕方は、一般企業などに比べて20~30年遅れている。

現在の政治は、他の国の良い所を取り入れてようとしているだけである。他の国の政治も遅れているのだから、いつまで経っても良くならない。

国とは組織であり人の集まりである。
だから一般企業や家族と変わらない。違いは集まっている人の数が、国の方が桁違いに多いということである。

改革!改革!と国会議員は言っているが、
成功するか否か分からないことを、すぐに一億人単位の組織で実行することはリスクを伴う。失敗すると影響が大きいからである。

しかし組織の人数が少ないほど、いろいろと試すことができる。

国よりも都道府県よりも、市町村の方が規模が小さく、いろいろ試すことができる。失敗しても影響はより小さくて済むからだ。

会社でも同じである。社内全体よりも部内よりも課内よりも、自分のすぐ側の狭い範囲での改革は容易に試すことができる。

もっと云えば、家族は極小の組織であり、自分自身は最小の組織となる。

そういった小さな組織の中で、十試したことの内一つ、百試したことの内一つ上手くいき成功したものがあるとする。

その成功例を少し大きな組織で試す。
それを繰り返し、一万人や十万人単位で上手くいった改革を、一億人規模に調整し合わせるのが国の行政の仕事。

そして集会所や後援会などで、
有権者から小さな組織で上手くいった十の内の一つ、百のうちの一つの良きアイデアを聞いて、集めて、整理して、紹介することが国会議員の仕事なのである。

いかがでしょうか?ひどいでしょ!

車イスのおばあちゃん
2010年4月15日記載

この話は私が警備員になって、一週間ほどの頃にあったことです。今でもたまに思い出します。そのたびに何ともいい気分になります。

あるイベントの警備に行った時のこと。
仕事の内容は、会場の入り口にいて、会場から出る人が、目の前の道路を安全に横断できるように車を止めて、誘導するというものでした。

人の出入りも車の往来もかなり多くて、結構忙しかったことを覚えています。

最初は緊張して仕事をしていたのですが、午後になってからは余裕が出てきました。

会場の入り口には、少し車を停車できるスペースがありました。でもイベント関係者以外は停車しないように、と指示されていました。

ただ一緒に来た人をそこで乗せるために、一般の車を停車させることはしていました。

もうすぐイベントも終了の時間。
ある老夫婦が私に話しかけてきました。おばあちゃんは車イスに乗っています。

入り口でおばあちゃんを車に乗せたいとのことだったので、快く了承しました。

旦那さんは車を取りに行きます。一人残された車いすのおばあちゃんと私。旦那さんが戻ってくる間のふれあいを紹介します。

私は警備員になる少し前、介護をしようとホームヘルパーの講座を受けていました。

途中で挫折してしまいましたが…

この経験から高齢者や障害者に対して、そんな意識をしないで、一般の方と同じように接すればいいのではないかと考えていました。

車イスのおばあちゃんが話してきます。

「平成6年にな、脳梗塞で倒れてな。それからずーっと車イスに乗っとるんじゃ」

自分の障害の話をスラスラします。いつもしているのでしょうね。慣れている感じです。そしてとても明るい方だなと感じました。

*ここで問題!貴方ならどう返事します?

「それは大変ですね。車イスの生活だと、いろいろと苦労することが多いでしょうね」

などと返事すれば普通ですよね。

でも私の場合、普通って苦手なんです。
明るいおばあちゃんだし、もっと楽しい会話がしたいと思ったし、障害者ではなくて、一般の方と同じように接したかったので…

「へ〜だったら車イスはベテランですね。車イスのストッパーは大丈夫ですか?ここは車が多いですからね。確認しといてくれますか?」

なんて言ってしまいました。

一般の方と同様になんてもんじゃない。何て乱暴な話し方。思わず我ながらひどいなと…

でも言ってしまったのだから仕方ない。
この調子で押し通すしかない。そう思った瞬間にこう思ってしまったのです。

絶対に障害のことに触れてやるものか!

これを読んでいる方はひどいことするなと思うでしょうね。私も思います。なぜこんなことしてしまったのか?私にも分からない。でも、

その結果、心に残る素晴らしいふれ合いができたと今でも思っています。続きをどうぞ。

おばあちゃんはストッパーを確認して、

「うん、大丈夫じゃ」

「すいません。この場所は道路に向って、ちょっと下っているから危ないんですよ」

車はよく通るし、人の往来は多い。だから警備の仕事が忙しい。でもこの明るくて喋り好きのおばあちゃんも、相手にしないといけない。

さてどうしよう。何か話題はないかな🤔

このイベントはフリーマーケット。色々なものを売っていました。そこで、

「今日は何を買ってきたのですか?」

と尋ねました。すると、

「ミカンが安くて買ってきたよ。車イスの後ろのポケットに入っとらんかの?」

普通の会話ですが、何かを感じます。

「いや〜入ってませんよ~」

と素っ気ない態度。なぜそんな態度?

感じるのです。おばあちゃんは障害の話がしたい!私はしたくない!というせめぎ合い。

一旦おばあちゃんは普通の話をします。私もその話に合わせながらも警戒します。

何を?障害の話になるのを、です。
どうして?私にもわかりません😁

障害の話をしたい!したくない!普通の会話をしながらも、2人の間に渦巻く感情。

… みたいな雰囲気?なぜか楽しい😄

午前中は雨が降っていたとか、親戚の子が県内で有名な弁当屋に就職したとか、

そんな話だったかな。警備の仕事をしながら少しの間おばあちゃんとふれ合います。

それにしても明るいおばあちゃんです。
私がもしその立場なら… と考えると、明るく振る舞うなんてとてもできないだろう。

不自由な車イスでの生活。
おそらく、いや!もう二度と回復しない。障害者として残りの人生を過ごす日々。

男性は落ち込んだままの方が多い。でも女性の場合は、このような逆境に強く、逆に明るくなる方も多いらしい。そんな話を少し前に、

ホームヘルパーの講座で聞いていたが、このおばあちゃんが正にそうでした。

男の私にはよく分からない。障害者になるってことは、マイナス要因しかないからだ。 努めて明るく振る舞っているとも思えない。

う〜ん… もしかしたら、と推測。

📝📝📝

障害者は不自由なので、何もかも周りの人が世話してくれる。だからお姫様になったような気分なのかな… なんて思いました。

その車イスのお姫様は、満を持して?
「孫がの〜介護の仕事をしとるんじゃ」
きたか!誰が障害の話なんぞするもんか!
「へ〜そうでっか〜」
軽く受け流します。

次のおばあちゃんの一言に、私は度肝を抜かれました。脳梗塞で倒れて十数年。おそらく一生車イス生活を送るであろうおばあちゃんの言った一言です。

「あんな年寄りのオシメ替えるような仕事
 しとったら嫁の貰い手なくなるわ」
耳を疑うこの一言。流石に私もかわせない。
「そんなことないでしょう!」
ちょうどそこへ、旦那さんが車でやってきました。ササッと車を降りて、おばあちゃんの所へやってきます。

「はい!押してって!」
旦那さんは、テキパキとおばあちゃんを車に乗せます。三人は軽く会釈を交わし、車は去っていきました。

このふれ合いをどう思うのか…感じるのか…
人それぞれだと思います。警備の仕事をする上で、人と話をすることはよくあります。この場合もそうですが、相手のペースではなく、自分のペースで話をしなければ、警備員としての仕事ができなくなります。いささか強引過ぎたかな?とも思ってはいます。ただそういうことを差し引いても、私は今でもこう思っています。

桁外れに面白かった。

九十過ぎてて
2022年2月25日記載

さて警備員時代の思い出を一つ。
徳島市内の国道の歩道のマンホールでの、ケーブルテレビの工事現場での話です。

仕事内容は、開けたマンホールと作業車をコーンとバーで囲み、人が近づかないように側で立っているだけ、というものでした。

ただ立ってるだけ。暇です。そこへ、

目の前の家からおばあちゃんが、
私の方へやって来て、ミカンをくれました。話し相手になってほしい雰囲気です。

警備の仕事をしていると、年配の方がよく話しかけてくるし、食べ物もよく貰います。

定番はアメやお菓子、ある時は現場前の喫茶店からコーヒーを頂いたこともあります。

またある現場では、近くの中央卸売市場で安売りをしてたのでしょうか?相方の太った警備員が、バナナを三房も貰っていました。

手に山盛りのバナナ。彼は何もできません。ちなみに私も一房貰いました。

極めつけは、酔っぱらいのおっちゃんに千円貰ったことです。お金を貰ったのはこの1回だけ。この話は次の文章で紹介します。

さて、話に戻ります。

一人暮らしで、訪問介護の人が来るだけ。
家の前にある小さな庭で、パンジーなどの花を植えて世話をしているなど…

かなり寂しい思いをしている様子で、
お喋りが尽きません。立ってるだけだし、現場近くの人との交流も警備員の仕事。一つ一つの話に丁寧に受け答えをしていました。

でもさすがに話は一段落。すると久しぶりにたくさん話せたのが嬉しかったのでしょう。おばあちゃんは私の方をじっと見つめて、

なんだか寂しそうに「もう九十過ぎててな、後何年も生きられんのじゃ」と云う。

皆さんならどう答えるでしょうか?
……………

私はおばあちゃんの顔をじっと見つめて、

「まぁ… そうでしょうね」

九十まで生きたら上等でしょう。いつまで生きるつもりやねん!冗談っぽくですよ…

一瞬だけそう思って、丁寧に答えました。

おばあちゃんは大爆笑!私が余りにも正直に答えたからでしょうか。楽しそうに… ね

車イスのおばあちゃんと同様に、時々思い出しては私も笑ってしまいます。

こういうコミュニケーションは、警備員でなければできません。私の大切な宝物です。


負けへんでワシは
2022年2月27日記載

さて警備員時代に千円貰った話。
これもインパクトがありました。警備員をしていると、普通の仕事をしていては、絶対にありえないような経験をします。

酔っぱらいに絡まれる。何度かあります。
急に目の前に現れて、いきなり「民主党はあかんわ!」と叫んでこられ、訳の分からない政治の話を聞かされたこともあります。

そんな時は「ハイハイ」と適当に返事して、その人が満足するまで聞くしかありません。

これも警備員の仕事です。

街外れの国道、ダンプの出入り誘導をしていた時のこと。人はあまり通らないが、交通量はかなり多く、神経を使う仕事でした。

そこに、自転車に乗った酔っぱらいのおっちゃんが絡んできました。私の顔を見て、

似てると言うのです。私が『丸山』に…

酔っぱらいは、いきなり話始める。

「丸山に似てるよな~」
「あ!知り合いの方ですか?」
「〇〇学院の〜」
「そんな高校知らないですけど… 」
「知らんか?△△市の… 」
「へ〜そんなトコにあるんですか?」
「殺されたけどな!」
「え?ヤクザやったんですか?」
「ま〜出る杭っちゅうのは、
   打たれるっちゅうわけやな〜」
「分かりました。ではお気をつけて」

酔っぱらいは、いきなり声を荒らげる。

「舐めとったらあかんへんで〜
            負けへんでワシは!」
「イヤイヤ… 舐めてはないですよ」

酔っぱらいは、なぜかニッコリ笑う。

「それにしても… 丸山に似てるよな」
「あ!知り合いの」
「○○学院の〜」
「あ!△△市にある」
「… 知ってんのか?」
「さっき聞きましたから」
「… 殺されたけどな」
「え?ヤクザやったんですか?」
「ま〜出る杭っちゅうのは、
   打たれるっちゅうわけやな〜」
「分かりました。ではお気をつけて」

酔っぱらいは、再び声を荒らげる。

「舐めとったらあかへんで〜
      負けへんでワシは!」
「イヤイヤ… 舐めてはないですよ」

酔っぱらいは、またニッコリ笑う。
     ~~~~~~~~~
  <全く同じ下りをもう一度>
     ~~~~~~~~~
「イヤイヤ… 舐めてはないですよ」

酔っぱらいは、三たびニッコリ笑う。

やれやれ、また同じ話かいな… と思っていたら、酔っぱらいは、なぜか財布を取り出す。

黒いペラペラの財布。そして酔っぱらいは、千円を取り出して私に渡そうとする。

「エッ!お金はダメですよ」
「舐めとったらあかへんで〜
       負けへんでワシは!」
「分かりました。貰います貰います」

酔っぱらいは、お金を渡すと満足したのか自転車に跨がり、去っていきました。

交通量が多く歩道のない国道をフラッフラ。
酔っぱらいに、千円貰ってラッキーな私。でもやられっぱなしでくやしい気分。

酔っぱらいが、聞こえるか聞こえないかギリギリの距離に離れた所で言い返します。

「もっと端に寄ってよ〜負けへんのは分かったけど、ダンプにぶつかったら負けるだろ!」

町はお祭り騒ぎ?
2010年11月4日記載

町はお祭り騒ぎ?とはどういうことか?
水道工事の現場で警備をした時のこと。私が警備した現場は住宅地の中にあり、結局4ヶ月もかかった工事でした。

自宅近くで工事があると、回り道をしなければならなかったり、騒音があったりと、迷惑以外のなにものでもありません。

毎年のように水道管の破裂によるトラブルがあり、耐久年数を超えた水道管の交換工事は必要不可欠なのですが、とにかく嫌なものです。早く終わってほしいと思うでしょう。

では住宅地でお祭りがあった場合はどうでしょうか?岸和田だんじり祭りやスペインのトマト祭りなどが有名です。そんなに大きな祭りでなくても、神輿を担いで町内を練り歩く。ちょっとした出店が出る。くらいの祭りならよく行われています。

近くで祭りあるとやっぱり楽しいもの。でしょう。では工事は嫌なもの。なのか?なのです。
なにもない平穏な日々。そこに祭りがある工事があると平穏ではなくなる。

祭りは大抵一日で終わる。そして楽しい思い出が残る。工事は憂鬱で嫌なもの。しかも水道工事だと最低一週間かかる。憂鬱で嫌なものが最低一週間。地獄である。

だと思ったのだけど、実際現場の警備してみてそうでもない。もちろんゴチャゴチャ文句を言いに来る人もいる。迷惑で不便な思いをしているのに、大抵の住民は、結構楽しそうな雰囲気なのである。

私の行った現場の近くには、小学校がありました。下校の時刻になると小学生が帰宅します。工事現場内を通る生徒もいて大変でした。通り抜ける側にいる警備員と連携して誘導します。
「ちゃんと案内したってよ」
作業員にからかわれます。5、6人の団体で何組も押し寄せます。ヒェ〜
「〇〇さん!小学生5人来ました。
 お願いします」「はい了解」
無線で連絡。さて今度は小学生に説明だ。
「はい!ちょっと聞いてよ!
 通れるんだけど、今工事をしている。
 ねっ!機械がいっぱい動いているし、
 穴もいっぱい空いている!
 あぶない!… というわけで、
 一列になって向こうにいるガードマン
 のところまで注意してゆっくり通って
 ください!」
すると小学生の一人が、
「ボクいちばん!」と楽しそうに返事。
「ボクにばん!」ともう一人。
私も楽しくなって思わずニッコリ。
「ではよろしくお願いします!」
こんなやり取りを一日何回もしました。

数日後、工事中の現場内は人を通してはいけないことになり、現場内に家のある人を除いて、遠回りして頂くことになりましたが、私としては小学生との楽しいやり取りとして思い出に残っています。

私はこの経験を踏まえて、フッと思いました。近所で時には数ヶ月も続く道路工事。
それは憂鬱で嫌なもの。でもあるし、時には数ヶ月も続くお祭り騒ぎなのかもしれないと…

重機が動き、穴を掘ったり、水道管を設置したり、舗装工事をしたり。見ていると結構楽しいものだ。騒音もあるし、交通規制もある。でもそれはお祭りでも同じこと。

道路工事は間違いなく憂鬱で嫌なもの。必要だけど憂鬱で嫌なものである。
でもたまには道路工事をお祭り騒ぎだと思うことで、大袈裟に言えばストレスを溜めない良い生き方に通ずるヒントになる気がします。

ただし工事自体の仕方や仕上がり、工事関係者の近隣住民への対応がヒドいものだったりすると、どうにもなりません。
実際にクレームだらけの工事現場も私は知っています。

道路工事は必要だけど、間違いなく憂鬱で嫌なもの。その憂鬱で嫌なものを、なぜか楽しいお祭り騒ぎにも見れる道路工事が、少しでも増えればいいなと思っています。

工事の犠牲者たち
2023年4月5日記載

*ブログで3回の連載をまとめました。なかなか気に入っている文章です。

工事中の事故のために、毎年何人もの方が、亡くなったり、怪我をしています。

重大な事故が起こるたびに、工事の安全面が見直されて、再発防止の対策がなされています。

でも今回はそういう話ではありません。

工事の犠牲者は人だけではないのです。
大木を含む木々に、カエル、トカゲなど無数の小動物、時には大量のカニなども…

今までしてきた工事現場での警備にて、
これらの生き物たちの最後を目の当たりにし、哀悼の意を捧げたい… とまでは思いませんが、今だに脳裏に残っています。

そんな話を書きたいと思います。
最初は商業施設の建築現場での体験です。

大型の商業施設のある場所は、元は田んぼや畑や荒れ地だったりします。施設の建設のため、元の環境は破壊され更地に変わります。

そこには立派な松の木があった。
チェーンソーで根元からぶった斬られる。切り口からすぐに、大量の樹液が湧いてくる。

数日後には数種の重機で寄ってたかって、
根こそぎ引っこ抜かれ、大きなトラックでどこかに運ばれて行きました。

別に何とも思いません。そんな工事だから…
でも少し見方を変えれば、とんでもなくヒドイことをしているとも言えなくもありません。

さて続きを書きましょう。

そこは田んぼや畑が広がっていた。
重機を使って跡形もなく破壊される。土に凝固剤を混ぜ、こねくり回され固められる。

そこにいた小さな生き物は全て死滅する。想像し考えてみれば、何とも無残な光景である。

そこには水路もありました。
重機で水路のコンクリはコナゴナに、水路はグッチァグチャに、やがて埋められました。

そこに住んでいたカエルが、
何匹も何匹も… 死にもの狂いで逃げ出してくる。見かねて捕まえ、現場の外に逃してやる。

トカゲも逃げ出してきた。
助けようとしたが、すばしっこい。すぐ側の道路に逃げ出し、車に引かれてペッシャンコ。

その惨劇の現場を確認する。哀れにも、トカゲはアスファルトの絵となっていました。

工事現場の犠牲者たち…
別に私はいい人ではないけれど…

さて最後は別の工事現場の体験です。

そこは橋の増設工事をしていました。
開通している橋の隣に昔作っていた橋脚。橋の車線を増やすために活用。その橋脚の耐震工事。

橋脚の廻りを数メートル掘り下げて、コンクリートに穴を開けて、鉄心を埋め込む工事内容。大きな川の近くのため、底には湧き水が出る。

作業が終わると土で埋め戻すのだが、
なぜか穴底には、いつしか大量のカニが住みついていました。アカテガニである。

関係ないとは思ったが…

埋め戻す当日の昼休みに、
私は良心に耐えかねて、少しでも救出しようと手を挟まれながらも、十数匹ほど逃しました。

救出できず残ったカニたちには、
午後になり、容赦なく大量の土が降り注ぐ。哀れにも生き埋めとなってしました。

いつしか化石になるのかな…

ニュースにもならず、工事関係者の記憶にもあまり残らない工事の犠牲者たち…

今も私の心の中に残っています。

何もしない仕事
2023年4月25日記載

*ブログで2回の連載をまとめました。

何もしないことは苦痛である。
じっとして動かないでいるってしんどい。これを仕事にしているのが警備業である。

警備の基本は『立ちん坊』(たちんぼう)
立っていて何もしない。例えば大きな公共工事の現場や重要施設の入口に立っているだけ…

これだけで仕事になります。
もちろん人や車の出入りの対応などはします。でも基本的には『何もしない』のが仕事です。

意味はあります。廻りの人に対して、立っているだけでも抑止力がある。そして威厳とかキッチリしていることを示すなど…

もちろん警備でも忙しいこともあります。
工事で道路を規制したり、イベントの駐車場の対応したりなどでは、旗を振り続けたり、走り回ったりと体力も使う。

でも工事やイベント自体には何もしていない。
関わっているが、何もしていない。関わってはいるが、何も関係がない。

仕事場に行き、何もしない仕事。
普通に考えれば、やり甲斐あるのか?

やり甲斐なんてないよ!と思う。
でもやっぱりあります。工事やイベントが事故やトラブルなく円滑に終えたことにホッとする。

やり甲斐なんてないよ!と思う。
だって何もしていないし… でもホッとした一瞬!何とも言えない満足感が身体を過るのです。

何もしていない。でも満足感。
何もしていない。それが仕事。

現実はそんなことはないけれど、こんなこともたまには思う。結構カッコいい仕事でしょう。

*ところで『立ちん坊』ってネットで調べてみたら、実際そんな仕事があったそうで、

明治時代から昭和時代の初期にかけては、立ちん坊と呼ばれた道端や坂の下に立って待ち続け、荷車が通ればそれを押すのを手伝って駄賃を貰うことを職業としていた者が存在した。

のだそうです。
これが今では交通誘導警備員を表す言葉となっている。いやいや… 勉強になりました。

警備員もなかなか
2023年6月20日記載

*ブログで2回に分けて書いたものを、編集してまとめました。

私の仕事は警備員。
している自分も思う『たいしたことない』感。

でもこのゴールデンウィークに、ほ〜う… 警備員もなかなか… そう思った話です。

この5月3〜5日は、香川県のしらとり動物園に警備の仕事に行きました。

その初日の帰り道でのこと。

鳴門市の海岸線沿いの国道を通過中、どうも違和感がします。対向車がほとんどいない。しばらく後に原因が分かります。

有名な活魚料理店『○ん○屋』
そこにお客さんが押し寄せて、駐車場待ちの車により、対向車線の国道が数キロにわたり大渋滞!と相成っていたのです。

この辺りの国道は一本道。
海岸線で山が迫っている。家も少なく信号機すらほとんどない。お客以外の通行車両が巻き込まれて、にっちもさっちもの状態に…

パトカーが来ていて、警察が対応する始末。もちろんお店に責任はありません。

でもこのままでは…

この光景に車の中もざわつきます。
全員が警備員。つい最先まで人や車が押し寄せる動物園にいた訳だし、

これはひどい。警備員がいないとダメだろうな… なんて話をしていました。

その次の日の帰り道。車内はあの大渋滞の話題になります。また同じかな… ところが対向車両はいつも通りの感じがします。

果たして…

『○ん○屋』の駐車場には、一人の警備員の姿があります。そしてその人は、今は関連会社にいる元同僚だったのであります。

車内は拍手喝采の盛り上がり、クラクションを鳴らしてご挨拶。カッコいいね〜という訳だ。

駐車場の整理をする。満車になると、☓印かプラカードなどで諦めてもらう。たったそれだけ… でこの効果である。

一人いるといないで、この雲泥の差。

世間的にはね… さっぱりだけれど、
こんな光景を目の当たりにすると、警備員もなかなか… とは思いますね。

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レンコンおばちゃん
2025年2月10日記載

*ブログで8回に分けて書いたものを、編集してまとめました。

⭐PART①

私は交通誘導警備員をしている。
警備の仕事の半分はノンビリしたもの。周囲に田んぼや畑しかない田舎の通行止めの現場はその代表格。とにかく… 暇である。

たまに農家の人や散歩の人が通るくらいで、危険なこともトラブル感も緊張感も微塵ない。

さらに秋から冬の季節となれば、
緑は少なく、濃紺の茶色に支配された淋しい景色に包まれる。冷たい吹きっ晒しの強風が吹きつければ、心も身体も冷え切ってしまう。

ただ暇と寒さに耐えるだけ。
何の修行だろう… ため息しか出ない。

そんな現場では、何かないか?と考える。要するに暇つぶしはないか?と考える。

よくする暇つぶしは、通りすがりの暇そうな年配の方と話をすることである。

でも暇つぶしだけではなく仕事にもなる。
近隣住民とのコミュニケーションも、警備員として立派な仕事になる。さらに、

特に年配の方は、人との接触も少なくなる一方、話をすると楽しんでくれる。ついでに、

プライベートで話しかけるなんて滅多にしない私にしても、プラスになるのである。

いくつか思い出に残る交流の中で、このブログでは農家の方との話をしてみましょう。

⭐PART②

覚えているのは… 10年以上前の冬、
田畑が広がる通行止めの現場にて、収穫後の田んぼに、乱雑に植えられたホウレンソウ。

持ち主の農家のおばちゃんとお喋り。
聞けば何もしないよりマシ、とのことで植えているそうで、儲けにはならないとのこと。

あげるから持ってって!と、山盛りのホウレンソウを新聞紙に包んで頂きました。

*警備員はよく食べ物を頂きます。

一緒に来てた警備員にもお裾分け。
ホウレンソウは少し苦手な私。ところが美味しかった。やっぱり採れたてはいいですね。

農家の人は結構喋り好きの人が多い。
通行止めの現場などで、ノンビリしていると向こうの方から話しかけてきます。

仕事柄、社交的な機会が少ないのか?
逆に考えれば喋り好きだから、少人数で黙々とする仕事の方が、向いているのかもしれない。

もちろんそうでない人もいますが、
普段から土を踏みしめ、自然を相手にしている人は素朴で感じの良い人が多い気がします。

⭐PART③

お次は2年くらい前のこと。
ここでも田舎のお暇な通行止めの現場。
このホームぺージではお馴染み?の、とある現場での農家の人との交流です。

この現場はよく覚えています。
とにかくこの現場のネタでブログをよく書いた。数えてみると10個以上もあった。

とにかく暇でね… 今回でもう1個追加。

この付近は柿や桃の栽培が盛んで、
話をした農家の方は、たまに来て畑内の整理や草刈りなどの仕事をしていました。

ちょうど初夏の季節、私が付近の竹林でハチクを採って食べている、なんて話をしたら、孟宗竹も美味いよ!と言うのです。

孟宗竹とは普通のタケノコのこと。

旬は3月や4月で、地面から出て、すぐでなければ食べられない。育ちすぎた孟宗竹は食べられないのではないか?と聞くと、

そんなことないよ!食べれるって!
1㍍くらいのやつでも、上の方なら結構いけるよ。採れたてならアク抜きも必要ないし、

ホントですか?聞いたことないな…

待ってな!今採ってきてやるよ。
その農家さんは、柿や桃畑の周囲にある孟宗竹の竹林も所有していて、何本か採ってきてくれました。1㍍もある長いやつ。

上部30㌢を切って私に手渡します。
まぁ食べてみなって!食べてみると確かに美味しかった。普通のタケノコと遜色なし。

いやいや… 勉強になりました。

⭐PART④

さて最後はつい最近のこと。表題にあるレンコン畑でのおばちゃんのと交流です。

では話を始めるのですが、
折角の機会なので、レンコンについての説明も加えながら話を進めたいと思います。

ここは徳島県鳴門市の西部。
辺り一面レンコン畑。徳島県はレンコン生産量全国3位。鳴門市はレンコンの栽培が盛んで、特に西部はこのような景色が広がっています。

これは最初の写真の反対側。
同じレンコン畑ですが、水は抜かれてレンコンの葉や茎もありません。収穫する際にこのような状態にしてから、地面を掘って収穫します。

えっ!と思う方もいると思います。

レンコンの収穫方法は、主に水掘りと鍬掘りの2種類があります。それについては、おばちゃんとの会話を踏まえて説明することにします。

⭐PART⑤

この写真を撮影した位置で、
私は立っています。右上が工事現場で手前の道路が通行不可となる理由。ふぅ〜….暇です。

写真の逆側はレンコンとサツマイモ畑で、
時折農家の軽トラが通るのみ。しかも迂回もあるので、何もすることがありません。

私がのんびり警備していると、
農家の夫婦の方が軽トラでやって来て、目の前の土だけの畑で、作業を始めました。

暇を持て余していた私、興味津々。
工事で通行止めだとの説明をした後、何をするのですか?とおばちゃんに尋ねました。

レンコンの収穫をするの、と言う。
レンコン?へー掘って収穫するんですか?

そうよ!しんどい仕事… もうやめたいんだけど、そういう訳にもいかないしね…

少し愚痴り気味で話すおばちゃん。

聞けば数年前から赤字だと言う。重労働の上に儲けにならない。機械も高いし、何のために仕事しているんだか… なんちゃならん!

愚痴が止まらなくなるおばちゃん。

徳島のレンコンはブランド品だから、良い値で売れるんじゃないんですか?

とか言ったら、ジロッと睨まれる。

農業離れと云われて久しい。
農業を取り巻く環境が年々厳しくなっている。そんなニュースをたまに観たりするのですが…

⭐PART⑥

時刻はまだ昼過ぎである。
私とおばちゃんは何気に険悪ムード。夕方までこの状態ではマズイ。何とかしなければ…

でも根明で喋り好きのおばちゃんだし、そこまで深刻に考える必要はないか…

それより気になることがあります。

レンコンの収穫(地堀り)風景。ユンボで表面の土を数十㌢除ける。後はクワで掘って一本づつ丁寧に収穫する。中腰でかなりの重労働。

ところで鉄腕ダッシュだったけ?テレビで観たんてすが、レンコンて水を張った状態で、ポンプの水圧で収穫するんじゃないですか?

と、おばちゃんに尋ねました。

私同様にレンコンの収穫は、そんな感じだと思っている方も多いのではないでしょうか?

あっ!それは水掘りと言ってね。土壌の柔らかい所だとそうするの。ここら辺りの土壌は硬いから掘って収穫するの。それに…

水掘りより地堀りの方が、品質が良くって大変だけど高く売れるの。2割増しくらい。

あ~なるほど… 例えるなら、

ヤマイモと自然薯ってトコですか。砂地で育てたヤマイモより、山に自生する自然薯の方が、美味しいけど収穫が大変みたいな感じですか。

そうそう… 嬉しそうなおばちゃん

ほ〜… そりゃー… 儲かりますね😁

もう!腹の立つ〜怒ったおばちゃん

タァハッハッハ… 意地の悪い私😁

*ちなみに少し調べてみたら、
地堀りは昔からの方法で、水掘りよりも収穫は大変だけど味は良いらしい、また泥付きのために日持ちもする。値段も少し高いようである。

⭐PART⑦

そんな楽しい?(少なくとも私は)

おばちゃんとのやり取りの後は、私はまたのんびりと警備の仕事、おばちゃんはレンコンの収穫作業を開始、静かな時間が過ぎていきます。

ちらちらとその作業を見ていて、心底こう思いました。これは大変な重労働だと…

ゆっくりと、でも休むことなく黙々と、
10分に一本くらいのペースで、レンコンを掘り出しては、慈しむようにレンコンを見つめ、丁寧にカゴの中に置く。をずっと繰り返す。

大変な作業、苦労も半端ない。
だとは思うが、作業するおばちゃんから悲壮感など漂わない。むしろ楽しそうに思える。

劣悪環境に低所得の警備業、嫌だけど、仕事中はおもしろくやり甲斐も感じる。

何となく、そんなシンクロする雰囲気が、私とおばちゃんを包む感覚がしたような…

工事が終わり通行止めは解除。その旨をおばちゃんに伝えて挨拶。その場を離れる。

うん… 楽しかった。そんな交流でした。

⭐PART⑧

さて後日、同じ工事の警備だけど、少し離れた場所にて片側通行規制の仕事。

その規制内の道路の歩道に、一般の車がよく止まります。なんだろう?気になります。

レンコンの無人販売店でした。

これだけ入って100円は安い!

きんぴらレンコンにして頂きました。
採れたて新鮮、甘くシャキシャキした食感。砂糖など邪魔なくらい、美味しかった。

気に入った私、一週間後もう一度購入。
今度は砂糖は入れずに、油で炒めて醤油のみで味付けます。こっちの方が断然うま〜い!

みなさん、一度ご賞味あれ!
徳島のレンコンは美味しいですよ😊