収録文章

📝警備員になる  22年2月15日
📝小生政治を語る  09年3月22日
車イスのおばあちゃん  10年4月15日
九十過ぎてて  22年2月25日
負けへんでワシは  22年2月27日
町はお祭り騒ぎ? 10年11月4日
工事の犠牲者たち…   23年4月5日
📝何もしない仕事  23年4月25日
📝警備員もなかなか  23年6月20日

警備員になる
2022年2月15日記載

警備員を始めた当初の2008年の大晦日に書いた文章の題名です。でも内容が掲載するほどものではないので、全カットします。

しかし警備員はこの年から足掛け6年間頑張りました。私にとって思い入れ深い仕事なので、新作として書いてみたいと思います。

2008年は、木工所を辞め、介護職になろうとして挫折。ハローワークに入り浸りとなり、トラックのドライバーや塾講師やホテルの接客などに就活したが全て失敗。

趣味は面接だと自負していました。

気がつけば、半年働いていない。
お金も底をつき(確か全財産6万円)困ってしまいました。そんな時ハローワークで警備員という求人を見つけました。

当時の私は警備員についてよく知らなかったのですが、失敗続きの就活。とりあえず面接に行ったら即採用。びっくりしました。

分かる人には分かると思いますが、
大手の警備会社は別として、工事現場の警備が主な仕事の小さな警備会社は、定年後の暇つぶしをしたい人とか、就職できなくて困った人が最後に行き着く場所なのです。

当時の私は、そんなことなど知る由もなく仕事にありつけたことを喜びました。

始めてすぐに向いてるなと思いました。
そして仕事は真剣にしつつ、自由気ままな日々を送りました。いろんなことを経験。嫌なことも良いことも、全て私の糧になっています。

どのように糧になっているのか?
具体的に書くのは難しい。それは私の心に閉まっておいて、これからの人生を通じて表現していきたいと思っています。

もうしないと心に決めて辞めたので、
今後一切することはないけれど、実は今もまた警備員したいなと思うことがあります。

人生で始めて周りから評価された仕事。

警備員時代にいくつか心に残ったエピソードがあります。思い出しつつ紹介します。


Amebaブログに投稿

小生政治を語る
2009年3月22日記載

小生は交通誘導警備員。
選挙の投票にはまあまあの参加。政治には人並に感心はありますが、それほどでもなく特に一家言もありません。

ところが同僚の警備員で、政治のことをよくしゃべる人がいます。仕方なく話を合わせていたらこんなことを言っていました。

我ながらなかなかいいなと思ったので、紹介してみたいと思います。

国の政治のあり方や行政の仕方は、一般企業などに比べて20~30年遅れている。

現在の政治は、他の国の良い所を取り入れてようとしているだけである。他の国の政治も遅れているのだから、いつまで経っても良くならない。

国とは組織であり人の集まりである。
だから一般企業や家族と変わらない。違いは集まっている人の数が、国の方が桁違いに多いということである。

改革!改革!と国会議員は言っているが、
成功するか否か分からないことを、すぐに一億人単位の組織で実行することはリスクを伴う。失敗すると影響が大きいからである。

しかし組織の人数が少ないほど、いろいろと試すことができる。

国よりも都道府県よりも、市町村の方が規模が小さく、いろいろ試すことができる。失敗しても影響はより小さくて済むからだ。

会社でも同じである。社内全体よりも部内よりも課内よりも、自分のすぐ側の狭い範囲での改革は容易に試すことができる。

もっと云えば、家族は極小の組織であり、自分自身は最小の組織となる。

そういった小さな組織の中で、十試したことの内一つ、百試したことの内一つ上手くいき成功したものがあるとする。

その成功例を少し大きな組織で試す。
それを繰り返し、一万人や十万人単位で上手くいった改革を、一億人規模に調整し合わせるのが国の行政の仕事。

そして集会所や後援会などで、
有権者から小さな組織で上手くいった十の内の一つ、百のうちの一つの良きアイデアを聞いて、集めて、整理して、紹介することが国会議員の仕事なのである。

いかがでしょうか?ひどいでしょ!

車イスのおばあちゃん
2010年4月15日記載

この話は私が警備員になってから一週間ほどたった頃にあったことです。
今もたまに思い出します。そのたびになんともいい気分になります。

あるイベントの警備に行った時のこと。
仕事の内容は、会場の入り口に立って、目の前を通る車に対して駐車場に誘導することと、会場から出る人が道路を横断する時に車を止めるというものでした。

人の出入りも車の往来もかなり多くて、結構忙しかったことを覚えています。
始めは、まだ慣れないこともあって緊張していたのですが、午後になってからは、コツが分かってきて余裕が出てきました。

会場の入り口には、少し車を停車できるスペースがあり、イベント関係者以外は停車しないようにと言われていました。ただ一緒に来た人をそこで乗せるために、一般の車を停車させることはしていました。

もうすぐイベントも終了の時間。
ある老夫婦が私に話しかけてきました。おばあちゃんは車イスに乗っていて、車をここに停車させておばあちゃんを乗せたいとのことだったので、快く了承しました。

旦那さんは車イスのおばあちゃんを残して車を取りに行きました。
一人残された車いすのおばあちゃんと私。旦那さんが戻ってくる間のふれあいを紹介しようというわけです。

この少し前に介護をしようと思い、ホームヘルパーの講座を受けていました。
この経験から高齢者や障害者には、そんなこと関係なく、一般の方と同じように接すればいいのではないかと考えていました。

車イスのおばあちゃんが話しかけてきました。
「脳梗塞で倒れてな。平成6年から車イス
 に乗ってるんじゃ」
なんだかスラスラと喋る。慣れているように。そして明るそうな方だと感じました。

「それは大変ですね。車イスだといろいろ
 と苦労も多いでしょうね」
などと返事をすればいいと思いますし、無難だと私も思います。

しかし、一般の方と同じように接すればいいのではないかと考えていたことと、シャイと言いますか、普通のこと、つまり人と同じことをすることが、なんだか恥ずかしいと感じてしまう性格をしているので、
「へ〜それは車イスはベテランですね。
 車イスのストッパーは大丈夫ですか?
 ここは車が多いですからね。確認しとい
 てくれますか?」
なんとこんなこと言ってしまいました。
一般の方と同じようにするどころか、車イスのおばあちゃん相手に、偉そうに喋ってしまったのです。

最初がそんな感じに話したので、この調子で押し通すしかありません。そう思った瞬間にこう思ってしまったのです。

絶対に障害のことに触れてやるものか!

これを読んでいる方はひどいことするなと思うでしょう。私もそう思います。
なぜこんなひどいことするのか?私にも分からない。普通の人と真逆のことをしてしまう。私の人生でよくあることなのです。
でもその結果、心に残るいいふれ合いができたと今でも思っています。では続きを書きたいと思います。

*当時の文章はここまで。ほったらかしにしてました。気を使う題材だったためでしょうか?ここからは2022年の私が書いています。このおばあちゃんのことは今も思い出します。

おばあちゃんはストッパーを確認して、
「うん、大丈夫じゃ」
「ありがとうございます。ここは道路に向
 って、ちょっと下っているから危ないん
 ですよ」
車はよく通るし、人の往来は多い。警備の仕事が忙しい。でも明るく喋り好きそうなおばあちゃんの相手もしないといけない。

このイベントはフリーマーケット。色々なものを売っていました。そこで、
「今日は何を買ってきたのですか?」
と聞いてみました。
「ミカンが安くて買ってきたよ。車イスの
 ポケットに入っとらんかの?」
普通の会話ですが、障害の話したいのかなと感じて、絶対にしてやるもんかと、
「いや〜入ってませんよ~」
と感じてないフリして素知らぬ顔。

実際には分からない。でもなんとなく感じるのです。おばあちゃんは障害の話がしたい。私はしたくない。というせめぎ合い。

午前中は雨が降っていたとか、親戚の子が有名な弁当屋に就職したとか…
警備の仕事をしながらおばあちゃんと、とりとめのない話を暫し楽しんでいました。

それにしても明るいおばあちゃんです。
私がもしその立場なら…と考えると、明るく振る舞うなんてとてもできないでしょう。
不自由な車イス生活。おそらく…いや二度と回復することのない障害者として残りの人生を過ごす日々。

男性の場合落ち込んだままの方が多いのに対して、女性はこうした逆境に強く、逆に明るくなる方も多いという…
ホームヘルパーの講座で知識はありましたが、正にこのおばあちゃんがそうでした。

男の私にはよく分からない。障害者になったことで、何でもかんでも周りの人がお世話をしてくれる。もしかしたらお姫様になった気分なのかな〜なんて思いました。

その車イスのお姫様は、満を持して?
「孫がの〜介護の仕事をしとるんじゃ」
きたか!誰が障害の話なんぞするもんか!
「へ〜そうでっか〜」
軽く受け流します。

次のおばあちゃんの一言に、私は度肝を抜かれました。脳梗塞で倒れて十数年。おそらく一生車イス生活を送るであろうおばあちゃんの言った一言です。

「あんな年寄りのオシメ替えるような仕事
 しとったら嫁の貰い手なくなるわ」
耳を疑うこの一言。流石に私もかわせない。
「そんなことないでしょう!」
ちょうどそこへ、旦那さんが車でやってきました。ササッと車を降りて、おばあちゃんの所へやってきます。

「はい!押してって!」
旦那さんは、テキパキとおばあちゃんを車に乗せます。三人は軽く会釈を交わし、車は去っていきました。

このふれ合いをどう思うのか…感じるのか…
人それぞれだと思います。警備の仕事をする上で、人と話をすることはよくあります。この場合もそうですが、相手のペースではなく、自分のペースで話をしなければ、警備員としての仕事ができなくなります。いささか強引過ぎたかな?とも思ってはいます。ただそういうことを差し引いても、私は今でもこう思っています。

桁外れに面白かった

警備員時代のおばあちゃんとの会話でもう一つ心に残っていることがあります。もったいないので、新作として次に書きましょう。
2022年2月22日記


九十過ぎてて
2022年2月25日記載

さて警備員時代の思い出を一つ。
街中の国道の歩道のマンホールでの、ケーブルテレビの工事現場で、警備の仕事をしたときのことです。
仕事内容は、開けたマンホールと作業車をコーンとバーで囲み、人が近づかないように側で立っているというものでした。

ただ立ってるだけ。暇でした。
そこへ目の前の家から一人のおばあちゃんが、私の方へやって来ました。手にミカンを持っていて、私にくれました。暇だから話し相手になってみたいな雰囲気でした。

警備の仕事をしていると、年配の方が暇つぶしに話しかけてくることはよくあることです。また食べ物もよく貰います。

アメやお菓子はよく貰いますし、現場前の畑の持ち主から、山盛りのほうれん草を貰ったこともあります。
ある現場では、近くの市場で安売りをしてたのか?一緒に仕事をしていた太った警備員は、バナナを三房も貰っていました。手に山盛りのバナナ。何もできません。ちなみに私も一房貰いました。
これは極めつけ。私は酔っぱらいのおっちゃんから、千円貰ったことがあります。この話は次の文章で紹介します。

ミカンのおばあちゃんの話に戻ります。
一人暮らしで、時々訪問介護の人が来るだけ。家の前に小さなスペースにパンジーなどの花を植えて世話をしているなど…

かなり寂しい思いをしている様子で、色々と話しかけています。立ってるだけだし、現場近くの人との交流も警備員の仕事。一つ一つの話に丁寧に受け答えをしていました。

久しぶりに、たくさん話せたのが嬉しかったのでしょうか。話は一段落。おばあちゃんは私の方をじっと見つめて、
「もう九十過ぎててな、後何年も生きられ
 んのじゃ」
と言いました。
皆さんならどう答えるでしょうか?
……………

私はおばあちゃんの顔をじっと見つめて、
「ま…そうでしょうね…」
九十まで生きたら上等だろうが!
一瞬だけそう思って、丁寧に答えました。

おばあちゃんは大爆笑。私が余りにも正直に答えたからでしょうか。
車イスのおばあちゃんと同様に、時々思い出して、私も笑ってしまいます。

こういうコミュニケーションは、警備員でなければできません。私の大切な宝物です。


負けへんでワシは
2022年2月27日記載

さて警備員時代に千円貰った話。
上記の文章を書いているときに、思い出しました。これもインパクトがありました。警備員をしていると、普通の仕事をしていてはありえないようなことが起こります。

酔っぱらいに絡まれる。何度かありました。
いきなり「民主党はあかんわ!」とか言って、訳の分からない政治の話を聞かされたこともあります。「ハイハイ」と適当に返事して、その人が満足するまで聞くしかありません。これも警備員の仕事です。

街外れの国道の、ダンプカーの出入り誘導をしていた時のこと。人はあまり通りませんが車の往来はかなり多く、20分に一度くらいの誘導でしたが、神経を使う仕事でした。

そこに、自転車に乗った酔っぱらいのおっちゃんが絡んできました。
似てると言うのです。私が『丸山』に…

酔っぱらいは、いきなり話し始めます。
「丸山に似てるよな~」
「あ!知り合いの方ですか?」
「〇〇学院の〜」
「そんな高校知らないですけど…」
「知らない?△△市の…」
「へ〜そんなトコにあるんですか?」
「殺されたけどな」
「え?ヤクザやったんですか?」
「ま〜出る杭っちゅうのは、打たれる
 っちゅうわけやな〜」
「分かりました。ではお気をつけて」
酔っぱらいは、声を荒らげます。
「舐めとったらあかんぞ〜
    負けへんでワシは」
「イヤイヤ…舐めてはないですよ」
酔っぱらいは、ニッコリ笑いました。
「それにしても…丸山に似てるよな」
「あ!知り合いの」
「○○学院の〜」
「あ!△△市にある」
「…知ってんのか?」
「さっき聞きましたから」
「…殺されたけどな」
「え?ヤクザやったんですか?」
「ま〜出る杭っちゅうのは、打たれる
 っちゅうわけやな〜」
「分かりました。ではお気をつけて」
酔っぱらいは、声を荒らげます。
「舐めとったらあかんぞ〜
    負けへんでワシは」
「イヤイヤ…舐めてはないですよ」
酔っぱらいは、ニッコリ笑い…
……
全く同じくだりをもう一度しました。
……
「イヤイヤ…舐めてはないですよ」
酔っぱらいは、ニッコリ笑いました。
そして酔っぱらいは、財布を取り出しました。黒いペラペラの財布。その酔っぱらいは、千円を私に渡そうとしました。
「エッ!お金はダメですよ」
「舐めとったらあかんぞ〜
    負けへんでワシは」
「分かりました。貰います貰います」
酔っぱらいは、お金を渡すと満足したのか自転車に跨がり、去っていきました。

交通量の多い歩道のない2車線の国道を、フラッフラ。千円貰ってラッキーの私。でもやられっぱなしでくやしい気分。
酔っぱらいが、聞こえるか聞こえないかギリギリの距離に離れた所で言い返します。

「もっと端に寄ってよ〜負けへんのは分かったけれど、ダンプにぶつかったら負けるだろ!」

町はお祭り騒ぎ?
2010年11月4日記載

町はお祭り騒ぎ?とはどういうことか?
水道工事の現場で警備をした時のこと。私が警備した現場は住宅地の中にあり、結局4ヶ月もかかった工事でした。

自宅近くで工事があると、回り道をしなければならなかったり、騒音があったりと、迷惑以外のなにものでもありません。

毎年のように水道管の破裂によるトラブルがあり、耐久年数を超えた水道管の交換工事は必要不可欠なのですが、とにかく嫌なものです。早く終わってほしいと思うでしょう。

では住宅地でお祭りがあった場合はどうでしょうか?岸和田だんじり祭りやスペインのトマト祭りなどが有名です。そんなに大きな祭りでなくても、神輿を担いで町内を練り歩く。ちょっとした出店が出る。くらいの祭りならよく行われています。

近くで祭りあるとやっぱり楽しいもの。でしょう。では工事は嫌なもの。なのか?なのです。
なにもない平穏な日々。そこに祭りがある工事があると平穏ではなくなる。

祭りは大抵一日で終わる。そして楽しい思い出が残る。工事は憂鬱で嫌なもの。しかも水道工事だと最低一週間かかる。憂鬱で嫌なものが最低一週間。地獄である。

だと思ったのだけど、実際現場の警備してみてそうでもない。もちろんゴチャゴチャ文句を言いに来る人もいる。迷惑で不便な思いをしているのに、大抵の住民は、結構楽しそうな雰囲気なのである。

私の行った現場の近くには、小学校がありました。下校の時刻になると小学生が帰宅します。工事現場内を通る生徒もいて大変でした。通り抜ける側にいる警備員と連携して誘導します。
「ちゃんと案内したってよ」
作業員にからかわれます。5、6人の団体で何組も押し寄せます。ヒェ〜
「〇〇さん!小学生5人来ました。
 お願いします」「はい了解」
無線で連絡。さて今度は小学生に説明だ。
「はい!ちょっと聞いてよ!
 通れるんだけど、今工事をしている。
 ねっ!機械がいっぱい動いているし、
 穴もいっぱい空いている!
 あぶない!… というわけで、
 一列になって向こうにいるガードマン
 のところまで注意してゆっくり通って
 ください!」
すると小学生の一人が、
「ボクいちばん!」と楽しそうに返事。
「ボクにばん!」ともう一人。
私も楽しくなって思わずニッコリ。
「ではよろしくお願いします!」
こんなやり取りを一日何回もしました。

数日後、工事中の現場内は人を通してはいけないことになり、現場内に家のある人を除いて、遠回りして頂くことになりましたが、私としては小学生との楽しいやり取りとして思い出に残っています。

私はこの経験を踏まえて、フッと思いました。近所で時には数ヶ月も続く道路工事。
それは憂鬱で嫌なもの。でもあるし、時には数ヶ月も続くお祭り騒ぎなのかもしれないと…

重機が動き、穴を掘ったり、水道管を設置したり、舗装工事をしたり。見ていると結構楽しいものだ。騒音もあるし、交通規制もある。でもそれはお祭りでも同じこと。

道路工事は間違いなく憂鬱で嫌なもの。必要だけど憂鬱で嫌なものである。
でもたまには道路工事をお祭り騒ぎだと思うことで、大袈裟に言えばストレスを溜めない良い生き方に通ずるヒントになる気がします。

ただし工事自体の仕方や仕上がり、工事関係者の近隣住民への対応がヒドいものだったりすると、どうにもなりません。
実際にクレームだらけの工事現場も私は知っています。

道路工事は必要だけど、間違いなく憂鬱で嫌なもの。その憂鬱で嫌なものを、なぜか楽しいお祭り騒ぎにも見れる道路工事が、少しでも増えればいいなと思っています。

工事の犠牲者たち
2023年4月5日記載

*ブログで3回の連載をまとめました。なかなか気に入っている文章です。

工事中の事故のために、毎年何人もの方が、亡くなったり、怪我をしています。

重大な事故が起こるたびに、工事の安全面が見直されて、再発防止の対策がなされています。

でも今回はそういう話ではありません。

工事の犠牲者は人だけではないのです。
大木を含む木々に、カエル、トカゲなど無数の小動物、時には大量のカニなども…

今までしてきた工事現場での警備にて、
これらの生き物たちの最後を目の当たりにし、哀悼の意を捧げたい… とまでは思いませんが、今だに脳裏に残っています。

そんな話を書きたいと思います。
最初はある商業施設の建築現場での体験です。

大型の商業施設のある場所は、元は田んぼや畑や荒れ地だったりします。施設の建設のため、元の環境は破壊され更地に変わります。

そこには立派な松の木があった。
チェーンソーで根元からぶった斬られる。切り口からすぐに、大量の樹液が湧いてくる。

数日後には数種の重機で寄ってたかって、
根こそぎ引っこ抜かれ、大きなトラックでどこかに運ばれて行きました。

別に何とも思いません。そんな工事だから…
でも少し見方を変えれば、とんでもなくヒドイことをしているとも言えなくもありません。

さて続きを書きましょう。

そこにあった田んぼや畑は、
重機を使って跡形もなく破壊されます。凝固剤を散布。更にこねくり回され固められます。

そこにいた小さな生き物は全て死滅する。想像し考えてみれば、何とも無残な光景である。

そこには水路がありました。
重機で水路のコンクリはバッキバキ。水路はグッチァグチャになり、やがて埋め立てられました。

そこに住んでいたカエルが、
何匹も何匹も… 死にもの狂いで逃げ出してくる。見かねて捕まえ、現場の外に逃してやる。

トカゲも逃げ出してきた。
助けようとしたが、すばしっこい。すぐ側の道路に逃げ出し、車に引かれてペッチャンコ。

その惨劇の現場を確認する。哀れにも、トカゲはアスファルトの絵となっていました。

工事現場の犠牲者たち…
別に私はいい人ではないけれど…

さて最後は別の工事現場の体験です。

そこは橋の増設工事をしていました。
開通している橋の隣に昔作っていた橋脚。橋の車線を増やすために活用。その橋脚の耐震工事。

橋脚の廻りを数メートル掘り下げて、コンクリートに穴を開けて、鉄心を埋め込む工事内容。大きな川の近くのため、底には湧き水が出る。

作業が終わると土で埋め戻すのだが、
なぜか穴底には、いつしか大量のカニが住みついていました。アカテガニである。

関係ないとは思ったが…

埋め戻す当日の昼休みに、
私は良心に耐えかねて、少しでも救出しようと手を挟まれながらも、十数匹ほど逃しました。

救出できず残ったカニたちには、
午後になり、容赦なく大量の土が降り注ぐ。哀れにも生き埋めとなってしました。

いつしか化石になるのかな…

ニュースにもならず、工事関係者の記憶にもあまり残らない工事の犠牲者たち…

今も私の心の中に残っています。

何もしない仕事
2023年4月25日記載

*ブログで2回の連載をまとめました。

何もしないことは苦痛である。
じっとして動かないでいるってしんどい。これを仕事にしているのが警備業である。

警備の基本は『立ちん坊』(たちんぼう)
立っていて何もしない。例えば大きな公共工事の現場や重要施設の入口に立っているだけ…

これだけで仕事になります。
もちろん人や車の出入りの対応などはします。でも基本的には『何もしない』のが仕事です。

意味はあります。廻りの人に対して、立っているだけでも抑止力がある。そして威厳とかキッチリしていることを示すなど…

もちろん警備でも忙しいこともあります。
工事で道路を規制したり、イベントの駐車場の対応したりなどでは、旗を振り続けたり、走り回ったりと体力も使う。

でも工事やイベント自体には何もしていない。
関わっているが、何もしていない。関わってはいるが、何も関係がない。

仕事場に行き、何もしない仕事。
普通に考えれば、やり甲斐あるのか?

やり甲斐なんてないよ!と思う。
でもやっぱりあります。工事やイベントが事故やトラブルなく円滑に終えたことにホッとする。

やり甲斐なんてないよ!と思う。
だって何もしていないし… でもホッとした一瞬!何とも言えない満足感が身体を過るのです。

何もしていない。でも満足感。
何もしていない。それが仕事。

現実はそんなことはないけれど、こんなこともたまには思う。結構カッコいい仕事でしょう。

*ところで『立ちん坊』ってネットで調べてみたら、実際そんな仕事があったそうで、

明治時代から昭和時代の初期にかけては、立ちん坊と呼ばれた道端や坂の下に立って待ち続け、荷車が通ればそれを押すのを手伝って駄賃を貰うことを職業としていた者が存在した。

のだそうです。
これが今では交通誘導警備員を表す言葉となっている。いやいや… 勉強になりました。

警備員もなかなか
2023年6月20日記載

*ブログで2回の連載をまとめました。

私の仕事は警備員。
している自分も思う『たいしたことない』感。

でもこのゴールデンウィークに、ほ〜う… 警備員もなかなか… そう思った話です。

この5月3〜5日は、香川県のしらとり動物園に警備の仕事に行きました。

その初日の帰り道でのこと。

鳴門市の海岸線沿いの国道を通過中、どうも違和感がします。対向車がほとんどいない。しばらく後に原因が分かります。

有名な活魚料理店『○ん○屋』
そこにお客さんが押し寄せて、駐車場待ちの車により、対向車線の国道が数キロにわたり大渋滞!と相成っていたのです。

この辺りの国道は一本道。
海岸線で山が迫っている。家も少なく信号機すらほとんどない。お客以外の通行車両が巻き込まれて、にっちもさっちもの状態に…

パトカーが来ていて、警察が対応する始末。もちろんお店に責任はありません。

でもこのままでは…

この光景に車の中もざわつきます。
全員が警備員。つい最先まで人や車が押し寄せる動物園にいた訳だし、

これはひどい。警備員がいないとダメだろうな… なんて話をしていました。

その次の日の帰り道。車内はあの大渋滞の話題になります。また同じかな… ところが対向車両はいつも通りの感じがします。

果たして…

『○ん○屋』の駐車場には、一人の警備員の姿があります。そしてその人は、今は関連会社にいる元同僚だったのであります。

車内は拍手喝采の盛り上がり、クラクションを鳴らしてご挨拶。カッコいいね〜という訳だ。

駐車場の整理をする。満車になると、☓印かプラカードなどで諦めてもらう。たったそれだけ… でこの効果である。

一人いるといないで、この雲泥の差。

世間的にはね… さっぱりだけれど、
こんな光景を目の当たりにすると、警備員もなかなか… とは思いますね。