収録文章

📝人対人に持ち込みたいが… 23年9月18日
AI予想の妙  22年12月29日
AIとNHK杯  22年9月15日
新しい本将棋の構想  10年11月8日

人対人に持ち込みたいが…
2023年9月18日記載

*ブログで5回に分けて書いたものを、編集してまとめました。将棋はまだ人対人ですよ。

第72期王将戦
王将 藤井聡太 vs 挑戦者 羽生善治

結果は4勝2敗で藤井王将が防衛に成功。
大方の予想通りの決着。でも羽生挑戦者の戦い振りにも注目が集まりました。

“AIの申し子“藤井聡太に“天才“羽生善治
なんてキャッチフレーズ。AIを将棋の研究に迷いなく活用する代表格の藤井王将に対して、将棋を人間同士の勝負にしたい羽生挑戦者。

第4局は、そんな両者のキャッチフレーズを象徴する対局とされているようです。

… と何かのテレビ番組で、
観た記憶があるのですが覚えていません。録画したつもりだったけど… ないな

本局のハイライトは藤井王将の封じ手。
2時間24分の長考にて指した5二同玉。同銀ならばいい勝負らしい。この封じ手以後、先手の羽生挑戦者が優位に立ったそうだ。

以後は藤井王将の反撃に対して、3一角の絶妙手など正確無比な差し回しで見事に勝利。対戦成績を2勝2負の五分に戻す。

よくある長考の末、悪手を指して形成を損ねる典型のような… 現在無敵の第一人者藤井王将も人の子と考えた方が自然な気がします。

ネット記事や YouTube で解説を観たけれど…
トップ棋士の指し手の凄さや、勝敗を分けたごく僅かな差なんて正直よく分からない。

それはとにかくとして…
この王将戦は将棋界のみならず、地上波のテレビで広く話題になるなど注目を集めました。

藤井聡太と羽生善治の夢の対決。
そりゃそうでしょう。新旧の第一人者の対決。背景や思い入れに勝敗。そして対局内容など… 様々な見方、楽しみ方があります。

最近将棋のアプリで、対局や詰将棋を頑張っていることだし… それを踏まえて背景をメインに書いてみたいと思います。

天才棋士羽生善治九段も52歳。
成績は下り坂で現在は無冠。対するは二十歳の藤井聡太六冠王。苦戦感は否めない。

対戦前羽生九段は作戦を考えたそうだ。
最新の将棋での勝負では敵わない。藤井王将が経験の少ない将棋に持ち込みたいと。

それにより年齢による力の差、つまり読みの深さの差を経験値で埋める。そして…

ここからは私の想像です。

藤井王将の強さは、力の強さ読みの深さ。それはつまりAIの強さ。それに発想やひらめきで対抗したい。それは人にしかできない。

AIにはできない。数値化できない。01の信号では表現できない。人が強い時代の、歴史上最強の棋士羽生善治のプライドであり信念。

将棋は力のみに支配されない。
将棋とは人間が人間の知的能力を表現できるゲームだと信じる気持ち。

その信念を曲げることはできない。
現在の人より強いとされるAIを疑問なく受け入れる若い棋士たち。

自分だってそうするかな…

人にしかできない発想やひらめき。
代名詞『羽生マジック』そう思っていた。でもそうではなく、それも力だったのかも…

藤井王将の強さは読みの深さ。
他の騎士より2手深く読めるそうだ。何でもAIが2億手読んで、候補にも挙がらない最善手を指したそうである。

でも結局その手は、AIも6億手読んで第一候補にしたそうだ。

結局はAIも指せた手なのか…

指し手のAI一致率も群を抜いている。AIの形勢判断で藤井曲線は恐れられている。とか

AIは強い。それは力の支配する世界。そのAIを余地なく受け入れる若手棋士たち。

AIを活用することは、力のみを信じてしまうことは、将棋をする上で、人間的要素を排除していることに等しい。

昔風の挑発や心理戦など陳腐なこと。
感情など邪魔。人間的をトコトン排除。理詰めの理屈の世界。AIのように読み耽り、AIのような手を指す。

こんな言葉もあったっけ…
将棋とは『間違うゲーム』とはそういうことか。

将棋を糧にして人生を歩んできた。
憂うことは当然である。どう考えてたっておかしいモン!でも現状は結果は…

この先将棋界はどうなるのか?
今は空前の藤井ファーバーだけど、ずっと未来を想像しすれば、明るいわけがない。

これまで様々な職業が、時代背景や科学技術の発展により必要がなくなり消えていった。将棋の棋士もそうなってしまうのか?

… でもそんなこと考えても仕方ない。

私は将棋の棋士。すべきことは対局で勝つために最善を尽くすことである。

52歳でタイトル戦に登場。六冠王に挑戦。結果は2勝4敗の大善戦。世間の注目も集めたし、久方の充実の日々を送れた。

よくよく考えたら… よかったのかな

*調子に乗って、とんでもない想像話を書いてしまいました。すいません。補足として強烈な才能と努力と信念の上での想像話です。

AI予想の妙
2022年12月29日記載

第一章 はじめに

囲碁と将棋に未来はあるのか?
人工知能AIの進化は、プロ棋士という職業の存在意義を薄れさせている。

複雑な局面を正確に把握し、読みの深さは人間を遥かに凌駕する。

AIとは、数値化しにくいデータを大量に集めて、人の感覚に合わせた解析を指示すれば、早く正確に処理できてしまう。

現在は商品開発や医療やスポーツ… 様々なことにAIが利用されている。

速さも正確性も人の比ではない。
人のように忘れることも間違えることもない。ただしデータの把握や解析の指示が正しいという条件がある。

逆に考えると、AIが人のことを把握することは難しいのではないか?感情だったりその日の気分だったり考えだったり…

*ちょっと脱線
*競艇や競輪のAI予想当たらないじゃん

人工知能AIが、絶対に把握できない人の考えや感情とは…

囲碁と将棋は、地球上最高の知的生命体である人間が、その知的な部分を競い合う楽しい遊びである。と考え思っていることなのです。

第二章 ABC予想とコンピュータ

数学の超難問に『ABC予想』なるものがあります。日本の望月新一という数学者が証明したとされています。ところがその証明が正しいかどうかは、現在も世界中の数学者の間で議論されています。

証明論文名『宇宙際タイヒミュラー理論』
名前だけでも訳が分からない。

ABC予想とは、もしその証明が出来たなら、現在未解決の様々な数学の難問が、たちまち証明出来てしまうという大変重要な問題なのだそうです。NHKの番組より

*なぜこんなことを書いたのか?
*ABC予想と競輪などのAI予想って
*何となく似ています。
*そして共に結論が賛否を呼ぶかも…
*とかいう“こじつけ'”っぽくなる?
*そんな話にしたいからです。
*できるでしょうか?してみたい!
*では続きを書いてみます。

現在AIによる囲碁と将棋の実力は、プロのトップ棋士と比べても、対等もしくは凌駕している現状です。

コンピュータは元々論理回路の組合せた計算機でした。半導体による小型集積回路ICの発明により飛躍的に高性能化。パソコンやスーパーコンピュータがその例です。

プログラムとは、論理回路に指示を与えるために作られたもの。ただの計算機が複雑で様々なことが出来るようになりました。

ところがコンピュータにも苦手なことがある。計算や解析能力は桁外れにすごいが、数値化し難いことや出来ても都合が悪いことの処理が苦手なことである。

例えば、工場の製品の形状判定や病院のX線の判定とか?数値化し難く、しかも明らかな誤判定をしてしまうことがある。

上記は私の浅はかな知識。
一般的には認識、推論、言語運用、創造など人間にしかできない知的な行為のこと。
Wikipediaより

人間の感覚や都合に合せるために、
従来のプログラムでは、数値化が基準であるために、複雑で面倒でしっくりしない不都合なケースが多々あるのである。

*ここの下りは適当に書いています。
*よく分かっていないので…
*でもエッセンスは大丈夫だと思います。

第三章 人工知能AI

そこで人工知能AIが登場する。
AIとは、人間の脳のシステムを真似たプログラムのこと。最近よく耳にするようになったが歴史は以外と古く、名前が登場したのは20世紀中頃のことである。

よく分からないが私の理解として、ある種のデータに対して人が示した解析結果を合せてコンピュータに入力する。

数値化し難く出来ない種の事象の例それぞれに、人が判定した解答を同時にデータ化してコンピュータに覚えさせる。つまり人的に言えば学習させる。

するとコンピュータが、人が思う回答別の事象例を数値化レベル?で共通点もしくは傾向を見つけることができる。そうすれば解答のない事象例に対して、コンピュータが解答を出せるようになる。

さらに事象例と解答を盛込んだデータの量をどんどん増やしていく。つまり人的に言えば経験をたくさん積ませる。

より経験を積ませれば、その解答はより精度が上昇する。そしてコンピュータには人のようにポカミスや調子の良し悪しや老化などがないため、その能力は絶対に落ちることはない。

こんな感じでしょうか?
ちょっと調べた位じゃよく分かりません。エッセンス的には、コンピュータが知的な部分で人間を超え始めていて、そのことに人が脅威を感じているということ。

近年の人工知能AIの進化は目覚ましい。
様々な分野で取り入れられ活躍している。中でも話題性も高い知的ゲームに関しては、軒並みAIが人より強くなっている。

オセロやチェスは20年以上前に、将棋や囲碁も現在では、人よりAIが強いという認識が常識となっている。さらに偶然性のある麻雀ですらそのようである。

第四章 人工知能の進化

元々はただの計算機。
その能力は速く正確かつ複雑さにも対応。人のそれを遥かに凌駕していたが、一昔前のパソコンにしても、ただの計算機の延長線に過ぎなかったコンピュータ。

そのコンピュータに指令をするプログラムに、人間の脳を真似た人工知能AIを導入することにより、画期的に進化している。

AIを導入したコンピュータは、実に便利である。でもそれ以上に、知的生命体である人に脅威を与える程に成長している。

核爆弾や細菌兵器、クローン技術などは倫理により抑制されている。でもAIの進歩は誰にも止めることができない。そうする理由がないからである。私もそう思います。

現在様々な分野で、AIが導入され活躍し始めている。仕事の効率化など便利だという理由。しかしまだまだ限定的で初期段階である。

でもずっと先の未来を思うと…
SFの世界を想像してしまう。私の世代ではやはり銀河鉄道999。機械の身体に魂を移し替えた永遠の命を持つ機械化人。AIが進化すれば実際に可能かもしれないとか…

良い例ではドラえもん。
人と仲良しのロボット。未来の道具はともかくAIの進化で可能かも。でも映画『ドラえもんとブリキのラビリンス』人を滅ぼそうとした独裁者ロボットのナポギストラーは悪い例。

そんなことはこのくらいにして…
ここまで想像して思う。人工知能AIが進化を続ければどうなるか?つまり究極の人工知能AIとはどんなものなのか?

第五章 道具とは何か

ここで道具とは何かを考えます。
人は生活を楽に豊かにするために、道具を作り使用してきました。人にとって道具とは便利でなければなりません。

人工知能AIも人が作った道具です。
ところが現在、囲碁や将棋におけるAIを用いたコンピュータが、人より同等以上の実力となっています。

これは囲碁や将棋のプロ棋士にとって脅威となっています。棋士という仕事の意味が、将来無くなるおそれがあるからです。

だからといって、AI使用のコンピュータの進化を抑えることはできません。全くのナンセンスだからです。

ところで科学技術の発展により、それまで人がしていた仕事が、機械を取って代わる事例は山ほどあります。

工場は機械化により、人のする仕事は減っている。スーパーやコンビニのレジなど、様々な仕事で機械化され自動化が進んでいる。

また電化製品や自動車やスマホなど、便利な道具は、間接的に人のしていた仕事をどんどん奪っていることになります。

世の中は常に進化し発展し変化している。従来の仕事が無くなれば、新たに発生した別の仕事をすればよい。今のところ便利になることに不都合感はありません。

機械やコンピュータは、元々部分的には人を遥かに凌駕していた。しかしそれらは人が使用し操作してナンボの道具でした。

人工知能AIの導入が、仕事にて人を必要としなくなるなどまだまだ先の話です。

AI技術は新しい分野。機械化が進んでいる仕事でも、現在はまだ不完全で不十分。人に脅威を与えるほどではありません。

しかし囲碁や将棋のAIソフトの実力は脅威だと思います。それはなぜか?囲碁将棋とは、人間という生命体の長所である知的な部分を競い合うゲームだからです。

従来のコンピュータの単純な計算能力や解析能力だけでは、特に脅威には感じません。でも人が優位性を感じていた思考や想像の能力で上をいかれると流石に怖い。

長くなるのでこのくらいにして…
つまり囲碁将棋のAIソフトは、人にとって便利な道具とは言えなくなったという訳です。

第六章 究極のAIの姿

現在の人工知能AIは発展途上。
用途は限定的で、1つの知的活動を専門に行う特化型と呼ばれているAIです。人間の頭脳のように全ての知的活動ができる汎用型AIではありません。

汎用型AIとは、ロボットの頭脳のようなイメージ。将来人間のような人工頭脳を持つロボットもできるかもしれません。

ところで、1つの知的活動しかできない特化型AIと、人間と同じような全ての知的活動が可能な汎用型AIでは、どちらが優れたAIなのでしょうか?

答えは簡単です。
汎用型AIの方が優れている。1つのことしかできないのと何でもできるのとでは、何でもできる方が当然優れている。

ここで少し飛躍する。
人工知能AIが進化するとは、人がする全ての知的活動を理解できること。つまり特化型ではなく汎用型のAIである。

人を遥かに凌駕する情報処理能力に、人のする全ての完璧な知的能力が加わった姿。それはつまり人工のスーパーマン。でもそれは人にとって便利な道具ではない。

更に飛躍する。
究極に進化した人工知能AIは、人の気持ちや物事の分別を理解できるようになる。

人は人工知能AIに教える。
あなたは道具である。道具とは、人のために役立つものである。そして囲碁と将棋とはどういうものかを理解させる。

つまり囲碁と将棋とは『人間が知的な部分を競い合うためのゲームである』と認識させる。するとAIはどう進化するのか?

第四章にて登場した3つの可能性。
人と機械が一体化する『機械化人』ではない。人を支配し滅ぼそうとした『ナポギストラー』は論外。駄目でドジなのび太が、良い人生を送れるように、未来の世界から応援に来た『ドラえもん』のような存在になる。

第七章 AI予想の妙

人工知能AIを、特化型から汎用型に進化させる。つまり人工知能に人の心や認識を理解させると、AIはドラえもんのような人を手助けする存在となる。

囲碁や将棋において考えると、AIは人間と対局する相手ではなくなり、人に知的能力を高めさせる道具になる。

だとすると… AIが人間と対局すれば負けてしまうかもしれない?おかしいな…

現在のAIは特化型。その実力は人間と同等かそれ以上。その発展途上のAIを進化させた果てにある汎用型AIでは、実力がなぜか人間以下になってしまう…

合っている?おかしいな…

道具とは人間の役に立つ。囲碁と将棋というゲームの認識。それをAIに覚えさせれば、なぜかそうなってしまう。

おかしいな… でも正しいような…

以前の囲碁と将棋のコンピュータソフトは、人間にはとても敵わなかった。でもAIを導入。その進化がコンピュータソフトを人間以上の実力を発揮するまでになりました。

それは人間に脅威を与えている。
でもAIの進化を止めることはできない。AIはどんどん進化していく。ところが進化が進めば、AIは人間に勝てなくなる。

不思議な結論となってしまった。

第二章に登場の数学の超難問『ABC予想』
その証明論文『宇宙際タイヒミュラー理論』が賛否両論の大論争となっています。理解できないとか絶対に正しいとか。

なんとなく似ている。私はこのAIの進化の果ての姿を『AI予想の妙』と名付けました。

第八章 予想の妙を試す

人工知能AIが進化した究極の姿。
人間の心や認識を理解したAIが、囲碁と将棋で、進化したのに人間に勝てなくなってしまうというパラドックス。

第一章で少し触れましたが、
当らない競輪や競艇のAI予想から思いついた浅はかな考え。面白いなと思ってメチャクチャに書いてしまいました。

根拠は適当だし、全くのナンセンス。でも読み物としてはギリギリ成立かな?と…

せっかく書いたのだから、
『AI予想の妙』別のことでも試してみようと思いました。

公営ギャンブルのAI予想

競輪や競艇、競馬などでAI予想なるものがあります。AIを駆使しているが、あまり当たりません。回収率は6割から8割くらい?

よく分からないが、多分新聞やアプリなどに書かれているデータを参考に、AIが本命や対抗などを予想をしているはず。つまり人間のそれとあまり変わらない。

そのAIを進化させる。試合前の選手や馬や自転車やボートの様子。映像から状態を正確に把握できる。他に私生活とかも考慮したり?

AI予想がより正確となり、回収率が常に100%を超えるようになると、みんなAI予想ばかり買うようになる。するとオッズが下がってしまう。つまりAI予想の回収率は、絶対に100%を超えることはない。

さらにギャンブルは、人間が予想して楽しむ遊びだとAIが認識することにより、回収率は現在の7割程度で十分だと判断してしまう。

工場の自動化でのAI

道具とは人間に役立つという観点から、その能力は人間などいくらでも凌駕して構わない。工場でのAIの能力は完璧を目指す。

ずっと未来の工場は、作業員もロボットオンリーになる。人間など全く必要としない完全オートメーション化するだろう。

とこんな感じでしょうか?
書いていると『AI予想の妙』正しいのかもしれないなと思ってしまいます。

第九章 終わりに

さて長々と書いてきた、人工知能AIについての訳の分からない持論も終わりを迎えます。

これは囲碁将棋について文章。
だから話をそこに戻します。AIの進化の果てなどどうでもいい。事実として現状、プロのトップ棋士にも勝ってしまう囲碁将棋のAIソフトが存在しています。

ここで今のAIが、人間にとって良い道具だと仮定します。だとしたら…

AIソフトがドラえもん。人間が駄目でドジなのび太君。ドラえもんは、のび太が良い人生を送れるように応援しに来ました。

今のままでは駄目だから、頑張れと…

それはAIソフトを利用して、人間の技能向上させるという意味ともう一つ。囲碁と将棋のゲーム自体の進化を促しているのではないか?

現行の将棋は400年以上、囲碁に至っては1500年以上も変わらず同じである。

AIソフトの実力が人間に脅威を与えているのは、AIが人間にゲーム自体の進化を促しているのではないだろうか?

これでは駄目だ。怠慢だ。甘えがある。ゲーム自体を進化させなきゃ…

もし仮にゲーム自体を進化させても、人間はAIに敵わなくなるかも知れない。

でも何もしないと、のび太は絶対に静香ちゃんと結婚できないし、絶対に借金まみれの地獄の日々を送ることになる。

何もしないよりマシだと思うのですが…

AIとNHK杯
2022年9月14日記載

最近のNHK杯やタイトル戦など
AIにての形勢判断と候補手の表示。どう思いますか?ため息しか出ませんよ私は… なんか書かないとダメだよな…は〜あ…

おかしいよ!変だ!って思わなきゃ!
何だよこれ!正しい見方として、おかしいよ変だと思わなければならないと思う。

思わなければ、もう終わりかな… このごまかしの感情… いつまで続くことやら…

囲碁と将棋のNHK杯。
画面上部にAIによる形勢判断が示され、予想手が表示されている。

その形勢判断がすんごく正しい。
勝率が70%を超えたら勝敗はほぼ決定的である。仮に逆転しても、その一手がどの手だったのか?AIが正確に教えてくれる。

観ていてね… とにかくため息ですよ…
対局者がAIの予想手を指したら、解説の棋士が「さすがですね」だって…

………もうやめようか… ため息がでる。

最近の大棋士羽生善治九段は、元気がなく寂しそうにすら感じられます。ここ数年成績が下降していることもあるのでしょうが…

少し前、その羽生九段が言われていたことを思い出します。

「AIの出現により、棋士という職業がいつまで続くかわかりませんが… 」

こんな感じだったでしょうか?
詳しくは覚えていません。このままではそうなるでしょうね。私もそう思います。

少し年下ですが、私も同世代。
人間が人工知能にかなわないなんて受け入れられない。やる気が出ないだろうな…

日本の伝統文化でさえある『将棋』このまま静かに消えてしまうのでしょうか?

絶対にだめですよ!

新しい本将棋の構想
2010年11月8日記載

このホームページを作るキッカケは、約4年間の引きこもり生活で思いついた囲碁と将棋のことを紹介したいと思ったからです。

当時なにもする気にならなかった私が唯一興味を持ったのが、囲碁と将棋のことで、他にすることもなく、囲碁と将棋のことばかり考えていました。
そして社会復帰直前の 2005年12月4日から7日の間にこのフレーズが出来ました。

囲碁とは、
『人類が、未知なる世界へ挑戦する様を見て、喜んでいる神の創った究極のゲームである』
将棋とは、
『人間が、人間の世界で、人間の本質を表現するために作った究極のゲームである』

囲碁については『神の創造した無限に碁盤〜 21路盤 への挑戦』に書きました。今回は将棋について詳しく書いてみたいと思います。

思いついてから5年経ちました。紹介するのはまだ早い気がします。なぜなら囲碁はゲームとしては完成していて、進化させるには碁盤を広くすればいい訳で分かりやすい。
それに対して将棋は、後で紹介しますが一朝一夕にはいかないのです。

しかし先日衝撃的なことが起こりました。清水市代女流王将がコンピュータ将棋に負けてしまったという事件です。
この事件をうけて、私の考えた『新しい本将棋の構想』をどうしても書いておきたいと思ったのです。

将棋を進化させる方法は、囲碁と同じです。将棋盤を広くすればいいのです。
但し将棋には駒があります。新しい駒が必要になり、それをどのように配置するか?出来た新将棋が理に叶ったものになっているのか?
それにはたくさんの人の協力と、膨大な試行錯誤が必要になるからです。

結論は今書いたようなことです。しかしこれだけでは私の考えた将棋のフレーズには結び付きません。もう少し書き加えたいと思います。

引きこもりの最中、朝から夜までずっとテレビで囲碁と将棋の番組を観ていての印象です。
囲碁に比べて将棋は、堅苦しいイメージがするのです。

将棋は戦形や定石の名前が多すぎる。囲碁でも定石は登場しますが、ほとんど名前がない。名前があるのは、ナダレや大斜くらい。
囲碁の解説では序盤の段階で「このワカレは初めて見た」「こんな碁形は見たことがない」とかの解説がたびたび登場します。

プロ棋士の指す一手は深い読みの入ったものです。解説者はその一手の深い読みの部分を丁寧に解説します。
囲碁も将棋もそこは同じなのですが、囲碁の場合は、大場や中央に打つ手などの解説では「ここら辺」とか「こんな感じで」みたいな解説をしたりします。

聞いている私としては、囲碁の解説の方が楽しい。自由であり、アバウト感あり、何となく面白いのです。
但し最終盤の寄せの段階の解説は、圧倒的に将棋の方が盛り上がる。囲碁のそれは、よほど僅差の寄せ合い以外盛り上がることはない。無言になったりする。それはそれでいいのですが。

また『将棋は間違えるゲーム』なんて言葉もあります。囲碁に比べて将棋は、自由感に欠ける堅苦しいイメージがあるのです。

では将棋は囲碁に比べて劣るのか?ということになります。そんなことはない。どちらも同じく素晴らしいゲームであるはずです。それが私の考えであり、出発点となりました。

でも私の感覚では、終盤の寄せの盛り上がりの差を加味しても、囲碁の方が将棋より『良いゲーム』という気がしてしまうのです。私の感覚なんて当てになりませんよ!

私の中の囲碁と将棋の感覚を同じにしたい…

囲碁は自由で広々とした自然の中にいる感覚。将棋は堅苦しく狭い人為的な空間にいる感覚。

自然…地球…大宇宙…人間では変えようのない…不変の世界…

人為的な空間…人間の世界…人間の知的空想の具現化…人工構造物…文明…社会のシステム…
それは人間が作ったものであり、変えることが出来る。いやより良いものに変えていかなければならない。

私の中の感覚では将棋には不満がある。つまり将棋はゲームとしてはまだ未完成。より良くするには、人間が自分たち自身で、作り変えていかなければならない。大変である。

逆に言えば、囲碁はただ遊ぶ楽しさ。将棋には遊ぶ楽しさにゲーム自体を作る楽しさもある。

ここで私の中の囲碁と将棋は、同等の価値になる。つまり『究極のゲーム』になったのです。

囲碁はゲームとして完成されている。より良くするには、碁盤を広げればよい。
将棋はゲームとして未完成である。より良くするには、将棋盤を広くするだけではなく、駒の種類や数を増やし、その配置を考え、また新たなルールを作る必要がある。

現在の本将棋は、完成するのに少なくとも数百年の時を費やしている。したがって新しい本将棋を作るには、プロ棋士だけではなく、将棋に興味のあるすべての人からアイデアを募り、時間をかけて完成させる必要がある。
もし具現化すれば、それはそれは壮大なプロジェクトになるだろう。

その新しい本将棋で私は見てみたい実現してほしいことがあります。それは深い読みに裏付けされた一手ではなく、新しい本将棋で多く現れるであろう読み切れない局面で指される気合いの気迫の一手なのであります。

いくら難解で複雑な場面でも、読む切ることができれば、ただのすごい一手。超一流のプロ棋士ならできます。読む力がハンパないので。

しかし、いくら読み切ろうにも物理的に不可能な局面がもし新本将棋で現れたとしたら、超一流のプロ棋士ほど次の一手を指すには、物凄く恐ろしく、そして物凄く勇気がいると私は思います。なぜなら読む力がハンパないので。

現在の本将棋では、その勇気のいる場面が少なく感じます。つまり新しい本将棋で、局面を読む力だけでなく、分からないものに「えいや」と飛び込んでいく勇気の両方を表現出来たらいいなと思っています

強さとは何か?ただ力が強ければいいのか?
そうではない。何も分からない一寸先は闇の世界に飛び込んでいく勇気も、時には必要なのではないだろうか?私はそう感じています。

以上が、私の考えです。
とりあえず私のちょこっと考えた新しい本将棋のアイデアを書いてみます。

11×11マス 10種類 52枚の駒 or 11×11マス 11種類 56枚の駒

この将棋をとりあえず具現化するだけでも、いったいどれほどの試行錯誤が必要でしょうか。
気が遠くなります。

最後に私の考えた将棋のフレーズの説明を書いて終わりたいと思います。

将棋とは、
『人間が、人間の世界で、人間の本質を表現するために作った究極のゲームである』
人間の世界とは、文明社会。
人間の本質とは、考えること。

もし将棋の本質がこうならば、AIなんぞ相手にならない。私はそう思っています。