非戦への思い 24年5月30日執筆中
非戦への思い
2024年5月30日執筆中
*現在ブログにて連載中
⭐PART①
なぜ戦争は無くならないのか?
今年3月末、坂本龍一さんが亡くなりました。YMO時代のテクノポップに、戦場のメリークリスマスやエナジーフローなど唯一無二の楽曲。
リアルタイムでも聞いていて、
坂本さんが亡くなった頃に、テレビで盛んに流されていて、やっぱりいいなと思いました。
そんな世界的音楽家である坂本龍一が、
音楽活動と並行して、晩年に取り組んだ活動の一つに『非戦への思い』があります。
その『非戦への思い』での、
なぜ戦争はなくならないのか?という問いに私なりに考えてみたいと思いました。
この世に戦争なんてなければいいのに…
それは人類共通の目標。でも今だに、戦争やテロ行為は無くならずにいる。
仕方がないかな… とも思う。
人間を含めた生命とは?そして人類の歴史を少し紐解けば、簡単には無くならないだろうな…
⭐PART②
戦争をするということは、
暴力により、自分たちの支配を広げてことを目的にそれ以外を叩きのめすこと。有史以来の人類の歴史で一度たりとも途切れたことはない。
でもそれは人類に限ったことではない。あらゆる生命は、生存競争の只中にある。同種同士でも異種に対しても競争競争…
食うが食われるか。生き残るや否や。子孫を残せるか否や。種の繁栄か衰退か。
食いたい。残りたい。残したい。させたい。それは全ての種の全ての個が、個々に願うこと。
個々がその願いを求めるのだから、
『戦う』ことは普通で自然なこと『非戦』なのは異常で不自然なこと。
歴史は語る。戦争は誰も得をしない。
結果は破壊、悲哀、憎悪、空虚感が支配する。でも本当に無意味でマイナスなのか?
⭐PART③
もちろん戦争は無意味でマイナスだ。
という結論は正しいと私も思う。戦争なんてしたくないし、巻き込まれたくもない。
でも… あえて疑問符にしてみる。
戦争は現在も世界のどこかで行われている。戦争は痛手や悲劇を被る。でも人類は発展進歩を続けていることも事実。
戦争で多くの人が犠牲となり苦しめられた。
でも… あえて思ってみる。戦争が人類の発展進歩のキッカケのような気もする。
戦争はあらゆる科学技術を発展させる。
そして古き悪しきことが破壊され、新しき良きことが生まれることもある。
そんな気がする。
歴史を少し再考すれば、事実かも…
でもシリアスで重たい話だ。
もっと慎重にゆっくりと、そして何度も繰り返して考えてみなければダメだろう。
⭐PART④
戦争なんて絶対ダメだ!と私は思う。
あえて… です。戦争とは本当に無意味でマイナスなのか?と思ってみる。
ここで比較対照として、戦争と同様に痛手や悲劇を生む天変地異のことを考えてみる。
地球は、生命の大量絶滅を何度か経ている。
火山の噴火や隕石の衝突、気候変動などが原因とされている。超新星爆発の影響なんてのも…
大きな大量絶滅は5回確認されており、
その当時繁栄していた生命が、同時期に7割から9割以上死滅してしまった。
絶滅してしまった生命にとって、
ただ単に不幸である。最悪である。普通に暮らしていたのに… 何もしていないのに… 突然襲った無慈悲な惨劇。悪夢である。地獄でしかない。
そう。そうなのです。
それは戦争に巻き込まれた全ての人に当てはまる運命であり、感情と同じである。
ただしこの2つには違いがあります。
大量絶滅の原因である天変地異は、確立の問題で起こってしまう。でも戦争は意図的に起こらなくする可能性がある。
その戦争を意図的に起こらなくする方法を、模索しているのですが…
⭐PART⑤
… 実は書きながら考えています。
どんな結論になるのか?下手ならボツになる。でも普通の結論にはしたくない。
いろいろ組み合わせて『非戦の思い』の新たな手法なり概念なりを書きながら捻り出したい。
では2つについて結果の比較。
天変地異による生物の大量絶滅の場合。悠久の暫し後、生き残った生命が再び繁栄する。そして主役の生命が進歩している事実。
有名な隕石衝突による恐竜の絶滅後に、地球の生命の主役は、爬虫類から哺乳類に変わります。
変温から恒温動物へ、卵生から胎生へ、
生息域も拡大、脳も発達など、爬虫類より哺乳類の方が生命として優れています。
他の大量絶滅も同様に、当時繁栄していた主役の生命は絶滅する。その後主役の座を得る生命は、前時代の主役の生命より優れた特徴を持つ。
もちろん前代の繁栄した生命は、
全てが絶滅するという訳ではない。だけど虫にしろ両生類、爬虫類にしろ、大抵は小型化したりして地味な脇役となる。
そしてかつて主役の生命が、再びその座に返り咲いた例は今のところない。
例えば恐竜の子孫である鳥は、大繁栄しているが主役ではない。ワニやコモドドラゴンも、人間に保護されている存在だ。
⭐PART⑥
では戦争その後について。
人類の歴史は、戦争抜きには語れない。
自分の願いを叶えるべきの競争。でも如何なる理由があれ、戦争は無秩序な暴力行為。多大な被害や悲劇を与える。
時代を経るにつれて、そのスケールは肥大化。
20世紀の2つの世界大戦で、今のところのピークを這える。
その最終局面に登場した、史上最悪最強の大量破壊兵器である原子爆弾… でも今のところ破綻をするには至っていない。
それはどうしてか?戦争その後に、
戦争を引き起こした原因や旧体制は、痛手を受けて後退し縮小。代わりに二度と同じことがないように秩序や倫理に新体制が生まれるからだ。
国際連盟の設立。核軍縮不拡散条約。
宇宙船地球号の倫理。憲法第9条。経験者の悲惨な体験談の継承。広島長崎の平和への願い。非戦を訴える世界中の人々の声。
戦争を繰り返し、繰り返し経験して、
少しづつ少しづつ、戦争は絶対にしてはいけないと人類の心に刻まれていく。
そして戦争やいくさは、
現行の人間社会を改善するための手段でもある。あるいは原因とも言える。
大和朝廷による国家の成立。壬申の乱後の律令制の確立。源平合戦後の実力主義支配の実現。戦乱の世から平和を実現した徳川幕藩体制。戊辰戦争後の民主化に身分制度撤廃への道。
後戻りすることなく、少しづつ少しづつ、
人間社会は進化進歩を続けている。それを妨げる要因は不満の限界を超えると、戦争やいくさを経て、取り除かれる傾向にある。
⭐PART⑦
しかし如何に正当化しようとも、
戦争は無秩序な暴力行為。多大な被害や悲劇を与える。戦争は絶対にしてはいけない。
戦争は科学技術の発展を促す。敵を倒すために優れた武器が発明される。それらは戦後、平和利用されて人間社会を進歩させる。
人工衛星、月面着陸、コンピュータ、ドローン、GPS… いくらでもある。城造りに河川工事など戦国時代は治水工事が飛躍的発展とか…
また何でもありの無秩序な時代。
前時代の常識や権威、伝統に囚われず、自由な思想や優れた発想が生まれ進歩しやすい。
しかし如何に正当化しようとも、
戦争は無秩序な暴力行為。多大な被害や悲劇を与える。戦争は絶対にしてはいけない。
でも人類に人間社会にとって、
戦争がより良く進化発展するキッカケであることを否定することはできないでしょう。
つまり天変地異による大量絶滅と、戦争による多大な被害や悲劇も、その後を考えると絶対的マイナスではなくて、むしろ進化進歩のキッカケになっていると言える… と思います。
これが私の考察の結果です。けれど…
⭐PART⑧
天変地異は確率の問題で起こり、防ぎようがないから仕方ない。
近年日本を襲った巨大地震。多大な悲劇と被害を与えたが、巨大な防潮堤、盛んに行われている耐震補強工事である程度は防げる。
もっとも壊滅的被害をもたらす天変地異は、人間の文明社会発祥以後は起こってはいない。
でも悠久の歴史を紐解いてみる。
例えば20万年前の阿蘇山のカルデラ大噴火が今起きれば、日本はほぼ消滅するだろう。
ずっと先の未来には、巨大隕石の衝突、超新星爆発による地球上の生命への壊滅的被害など…
この場合は… 諦めるしかない。
でも戦争は人為的行為。防ぐこと、少なくとも肥大化しないようにできる。そう信じたい。
戦争を繰り返し、繰り返し経験して、
少しづつ少しづつ、戦争は絶対にしてはいけないと人類の心に刻まれていく。
言い方を変えれば、
人類の脳のプログラムが変化していく。
刻まれて変化して、戦争をしなくなる、少なくとも肥大化しないようになっていく。
それに期待する。もちろん期待する。
でも少し積極的に、私なりの何か新しい具体的な手法やビジョンを提案してみたい。
それができれば『非戦への思い』の私なりの意見となるからです。実はまだ分からない。書いてるうちに… を期待してトライしてみます。
⭐PART⑨
非戦とはなんぞや?から始めよう。
ネットで調べると戦争を否定すること。どんな戦争もいけない事だと主張する態度。
だそうだ。戦争つまり暴力を否定する。
そしてもう一つ『非戦論』なるものがある。
戦争および武力による威嚇や行使を否認し、戦争ではない手段によって問題を解決し、目的を達成しようという主張、社会運動。
とある。非戦論は日本では明治時代に云々はカットして… 同じ目的である平和運動よりも非戦論の方が私の感覚にマッチしている。
戦争に反対して平和を訴える平和運動。戦争を否定して別の解決策を考える非戦論。
あくまでもイメージとしてですが、
戦争はダメとして平和を押し付ける平和運動。戦争することを別の手段に置き換える非戦論。
争いが起こることは自然のこと。
それをするなと言うのは不自然なこと。
争いは必ず起こってしまう。
その争いの解決手段を、暴力行為から別の手段に置換できれば、そりゃ〜いいに決まってる。
でもそう簡単ではないだろうな…
⭐PART➉
争いの手段としての暴力行為
それは人間を含めて生命体にとって、
極々普通の行為だと私は思う。逆にそれ以外あるのかなと思うくらい。
この文章の主題は戦争をなくすこと。
国や人同士の問題や争い、支配欲を満たすために暴力的手段である戦争をなくすこと。
でも暴力行為はそれだけじゃない。
種の存続や繁栄のために… だけじゃない。生きていくために食べる。そのために…
鳥が生きるために虫を食べる。リカオンが集団で生きたイボイノシシの肉を引き裂く。
虫やイボイノシシにとって、生まれたことを後悔する地獄の断末魔。鳥やリカオンは地獄行き確定の残虐非道の殺戮魔。
よくよく考えれば、地球上の生きとし生ける生命体は、暴力行為のオンパレードなのだ。
*この文章いつ終わるのかな…
⭐PART⑪
そして人間にしても同じである。
生きるために、子孫を残すために、自分自身のために、暴力行為をしてきた。
でもそれは自然なこと。普段の生活を少し考えてみても… そうなんですよ。
食料確保なんて全て、である。
縄張り争いとかも… 水の豊富な平地は人間が他の動物を追い払って占領している。
そして同種同士の殺し合い。戦争なんて愚かな行為をするのは人間だけだ!なんてよく言うが、そうでもない。
オオカミは、縄張りに侵入したオオカミを容赦なく殺してしまうらしい。
クマやライオンには、自分の子孫を残すために、オスが子連れのメスの子供を殺してしまう『子殺し』なんてのがある。
ため池にて、魚を食べ尽くし食糧不足に陥ったブラックバスは共食いをする。
タチウオも共食いをするらしい。その習性を利用したタチウオに似せたルアーがあるくらいだ。
全ての種とは言えない。でも、
少なくとも人間だけじゃない。地球上の存在する生命にとって、同種同士で殺し合うなんてよくある普通のことなのだ。
⭐PART⑫
ならば現状このままでいいのか?
ロシアのウクライナ侵攻やアフリカの民族紛争など今も戦争は絶えない。
このブログに終わりが見えず、ダラダラ続けている間に、ハマスの奇襲攻撃からイスラエルによるガザ地区侵攻が始まった。
ハマスの一般市民の無差別殺害に人質拉致。イスラエル軍の避難場所や病院への空爆等。報道されない残虐非道な行為もあるだろう。
如何なる理由も正当性もない。
かつての日本国も同様の行為を、中国や東南アジアで行っていた。
私がもし兵士なら… と考える。
いつ死ぬか分からない。なぜこうなったかも分からない。でもしょうがない。
非日常の極限の現状を頭に浮かべる。
戦況不利での死への突撃。一般市民への虐待に暴行などの人権蹂躙。そして惨殺行為。
私もしてしまうのか?
命令だから、みんなしているから、どうせもうすぐ死ぬのだから… それもある。
でも本当に怖いことは、
そんな行為をしてしまうのか?ではない。するのか?でもない。そんな残忍な行為をしたくなるのではないか?である。
今の私には現実的ではない。
おそらくこれからもない。そして絶対にしないと思う。でもそんな状況下に置かれたとしたら、したくなってしまうのだろうか?
⭐PART⑬
戦争とは、する側に何らかの利益があるから起きてしまう。多大な戦費や犠牲をして余る益を得るためにするものである。
厳密にはそんなことは成立しない。
戦争とは、全ての当事国や当事者に、破壊と惨劇を生むのみである。
例え責められた側による、
一方的な侵略行為や、弾圧に立ち向かう正義の戦争であってもだ。戦争や暴力は、それ自体否定されるものである。
でもなくならない。現状の対策はどうか。
世界中で非戦への思いを訴え続ける。
そして戦争や紛争、テロが発生、もしくはその予兆があった場合も、マスコミだけでなく、最近登場の個人個人でSMSを駆使して、情報を世界中に発信する。
それは少なくとも戦争をし難くさせる。そして未然に防ぐことも可能だろう。
起こってしまった戦争に対しては、
アメリカやヨーロッパなどの軍事介入や日本もしている資金提供、国際連盟の仲介などで、とりあえずは破綻させないという現状である。
そして… それしかないかな…
現状を続けるしかないだろう。
続けていけば、少なくとも今よりも、より良くなるはずだからだ。なぜなら、
戦争のない平和な世界。
それは間違いなく、人類の抱く共通の理想郷であると、私も含めて世界中の人の願いであるはずだからだ。でも一つだけ…
⭐PART⑭
それは私を含めて人には、
心のどこかに、悪いことや酷いことをしてみたいという願望や欲望があることである。
決めつけるのは変か…
でもそうだと決めつけてもいいかな…
少し前に書いた、もし私が戦場で戦うことになったとしたら、残虐非道な非人間的行為をしてしまうのではないか?
その可能性を私自身は否定できない。
戦争のような事態でなくても、
殺人や窃盗や詐欺などの犯罪、イジメや誹謗中傷に差別や村八分、悪口に陰口、仲間外しにパワハラ・セクハラなど…
してはいけないと認識している。
だから私はしていない。でもたまに頭を過るヤッちまいたい衝動や想像。
やっぱり… 我慢している。
だから否定するのは不自然。その存在を認めることが自然であり、大前提なのだ。
人間の内面に潜むコレを、
悪さをしたいという願望を、何とかすることが、非戦への思いを実現することに、つながるのではないだろうか。
⭐PART⑮
これ… なんですよ。
人間の内面に潜む、悪さをしたいという願望を満たし、かつ実際にはしない方法。
私はこの方法の発見や発明が、
非戦への思いの解決策になると思い、この文章を書き始めたのです。
でも当初考えたそれは、非戦への思いというテーマには、あまりにも適さない。不謹慎極まりない内容でした。
何か他にないか?別の表現法はない?書いているうちに見つかるのではないか?
そう思って、この文書を長々と続けてきたのですが… ありませんでした。
これしかない。これ以上ない。他にない。これ以外に頭に浮かばない。
仕方がないので、そのままで載せてみたいと思います。真面目に考えて… ですよ。
その解決方法は、バーチャル・リアリティの進化と全ての意味での倫理の確立です。
⭐PART⑯
人は誰でも悪いことをしたい。
そんな衝動が心のどこかに秘めている。これが大前提。かつ除くことは不可能。
それをバーチャル、つまり仮想世界で、その衝動を満たすことができれば、平和な世の中が実現できるのではないか?
こんな感じのイメージ。
その仮想世界では、戦争したりや独裁者になったり、またどんな犯罪でも体験できる。
言い方はどうかは別にして、
その人にとって、絶対にしてはいけない悪いことを、心ゆくまで堪能できるのである。
そして仮想世界での体験後、現実に戻った人には悪いことをした実感がある。でもその具体的な内容は覚えていない。
少し詳しく書きます。
どんな悪いことをしたのか?
例えば『殺人をしたい』そのことは覚えていてもいい。でも仮想世界で『殺人をした』具体的な内容は記憶には全く残らない。
そんなバーチャル・リアリティを、
体験できる装置を発明できれば、非戦への思いを具現化できるのではないか?
なんてことを書くのか…
でも唯一でした。
これが私が思いついた唯一の解決策です。
⭐PART⑰
人間の内面に潜む残忍性。
弱肉強食の世界を生き抜き、現在地球上の生命体の頂点に君臨している。
平和だ!協調だ!みんな仲良く!
思いやりだ!やさしさだ!慈愛だ!慈愛!
世界が平和になるために、
戦争がこの世から無くなるために、どんな声を上げで訴えたとしても…
生命は生き残るために何でもする。
きれい事など云ってられない。生き残りの手段が残忍行為だろうが関係ないのだ。
それは生命の本質だからである。
そしてその本質は絶対に取り除くことはできないと私は思っている。
その本質がなければ生きていけない。
というよりおもしろくない。私も弱肉強食の厳しい世界を生き延びている。
理不尽な現実に向き合い、戦い、時にはスタコラ逃避行、時には人を踏み台に、自分に利益なければ、平気で人を切り捨てる。
私も残忍行為している。
そして人に対して良きをするより、無茶や悪さをしている方が、自分は生きている!とググッと実感する瞬間なのである。
⭐PART⑱
少し言い過ぎでしょうか?
さて一呼吸… 冷静になりましょう。
前回書いた『私も残忍行為している』
これは否定しません。でも私の場合は正しいことをするためにしています。
自分のこれまでの経験や思慮の上に、
間違いであると結論できたことに対して、自分に害が及ばないように、最低限に仕方なく、正しい方向に導くためには、その手段が多少残忍行為であっても構わないということです。
そして相手だけでなく、自分に対しても反省を促し、先を見据えて、より良い未来を共に享受できることが目的です。
多分そうだと… それはなぜか?
相手にひどいことをした直後は、
自分はなんて悪いやつなんだといつも落ち込み反省します。自分がホント嫌になる。
でも時間が経ち、当時を思い出し、
今に思えば、悪いことしたけれど、して良かったんだといつもニッコリしています。
話が脱線しました。元に戻りましょう。
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