非戦への思い〜坂本龍一を偲び
24年5月30日休筆中
非戦への思い〜坂本龍一を偲び
⭐PART①
なぜ戦争は無くならないのか?
2023年3月、坂本龍一さんが亡くなりました。YMO時代のテクノポップに、戦場のメリークリスマスやエナジーフローなど唯一無二の楽曲の数々…
私はリアルタイムで聞いていたし、
坂本龍一さんが亡くなった頃に、テレビで盛んに流れていて、やっぱりいいなと思いました。
そんな世界的音楽家である坂本龍一が、
音楽活動と並行して、晩年に取り組んだ活動の一つに『非戦への思い』があります。
この思い… なぜ戦争はなくならないのか?という問いに私なりに考えてみたいと思いました。
戦争なんて無くなればいいのに…
それは間違いなく人類共通の目標である。でも今だに戦争やテロ行為は無くならずにいる。
でも仕方がないかな… とも思う。
人間を含めた生命とは?そして人類の歴史を少し紐解けば、簡単には無くならないだろうな。
⭐PART②
戦争をするとはなんぞや?
自分たちの支配を広げることを目的に、破壊や殺害を厭わず、暴力により相手を叩きのめすこと。有史以来一度も途切れたことはない。
でもそれは人類に限ったことではない。地球上のあらゆる生命は、生存競争の只中にある。同種でも異種でも、果てしない競争競争…
どちらが食うか食われるか、生き残るや否や、子孫を残せるや否か。種の繁栄か衰退するや…
食いたい、残りたい、残したい。させたい… それは全ての種の全ての個が、個々に願うこと。
個々がその願いを求めるのだから、
むしろ『戦う』ことは、普通で自然なことで『非戦』なのは、異常で不自然だと感じてしまう。
歴史は語る。戦争は誰も得をしない。
結果は破壊、悲哀、憎悪、空虚感が支配する。でも本当に無意味でマイナスなのだろうか?
⭐PART③
もちろん戦争は無意味でマイナスだ。
という結論は正しいと私も思います。戦争なんてしたくないし、巻き込まれたくもない。
強制的に人を殺す、破壊する、無慈悲に殺される、破壊される、本当に最悪だし無意味でしかない。
でも… あえて疑問符にしてみる。
戦争は現在も世界のどこかで起こっている。戦争は当事者に多大な痛手や悲劇を被る。でも人類は発展進歩を続けていることも事実である。
戦争では多くの人が苦しみ犠牲となりました。でもあえて思ってみる。戦争が人類の発展進歩のキッカケのような気がするのです。
戦争はあらゆる科学技術を発展させる。
そして戦争の後に、古き悪しきことが破壊され消え去り、新しき良きことが生まれることもある。
少し歴史を紐解けば、事実かも…
でもシビアで重たい話である。もっと慎重にじっくりと、より深く熟考しなければならない。
⭐PART④
戦争なんて絶対ダメだ!と私は思う。
でもあえて… ですよ。戦争とは本当に無意味でマイナスなだけなのだろうか?と思ってみる…
ここで少し目線を変えて、
戦争と同様、人類を含む地球上の全ての生命に、多大な痛手や悲劇を生むという共通点、天変地異のことを比較対象として考えてみましょう。
地球は生命の大量絶滅を何度か経ている。
火山の噴火や隕石の衝突、太陽活動の変化や地軸のズレなどによる気候変動が原因とされている。
超新星爆発の影響は… ないらしい
研究によれば、地球規模の大きな大量絶滅は、少なくとも5回確認されており、その当時繁栄していた生命が、7割から9割以上も死滅したそうである。
絶滅してしまった生命にとっては、
ただ単に不幸である。最悪である。普通に暮らしていただけのに… 何もしていないのに… 突然襲った無慈悲な惨劇。悪夢である。地獄でしかない。
そうなんですよ。それは戦争に巻き込まれた全ての人に、当てはまる運命であり感情である。
ただしこの2つには違いがある。
大量絶滅の原因である天変地異は、確立の問題で起こってしまう。絶対に防ぎようがない。でも戦争は人類の手で、起こさなくする可能性がある。
その方法を模索しているのですが…
⭐PART⑤
… 実は書きながら考えています😞
どんな結論になるのか?ここまで書いてダメならボツになる。でも普通の結論にはしたくない。
いろいろ組み合わせて『非戦の思い』の新たな手法なり概念なりを書きながら捻り出したい。
では2つについて結果の比較。
天変地異による生物の大量絶滅の場合、悠久の暫し後には、生き残った生命が再び繁栄する。そしてその主役の生命が進歩している事実。
有名な隕石衝突による恐竜の絶滅後に、地球の生命の主役は、爬虫類から哺乳類に変わります。
変温から恒温動物へ、卵生から胎生へ、
生息域も拡大、脳も発達など、爬虫類より哺乳類の方が生命としての完成度は優れています。
他の大量絶滅も同様に、当時繁栄していた主役の生命は絶滅する。その後主役の座を得る種は、前時代の主役より優れた特徴を持つ傾向にある。
もちろん前代の繁栄した生命は、
全てが絶滅するという訳ではない。だけど虫にしろ両生類、爬虫類にしろ、大抵は小型化したりして、主役から地味な脇役になってしまう。
そしてかつて主役の座にいたの生命が、再びその座に返り咲いた例は今のところない。
例えば恐竜の子孫である鳥は、繁栄しているが主役ではない。食物連鎖の頂点にいるワニやコモドドラゴンは、人間に保護されている存在だ。
⭐PART⑥
では戦争その後について
人類の歴史は、戦争抜きには語れない。
自分の願いを叶えるために行う最悪の手段。如何なる理由があれど戦争は暴力行為、勝敗を問わず、関わる全ての人に、多大な被害や悲劇を与える。
物質的に精神的に… 兵士のPTSD(心的外傷後ストレス障害)はよくテレビで特集している。
時代を経るにつれスケールは肥大化。20世紀の2つの世界大戦が、今のところのピークである。
その最終局面に登場した大量破壊兵器である核兵器や毒ガス… でも破綻をするには至っていない。
それはどうしてか?戦争その後に、
戦争を引き起こした原因や旧体制は、痛手を受けて後退し縮小。代わりに二度と同じことがないように、秩序や倫理に新体制が誕生するからだ。
国際連盟の設立。軍事縮小。
宇宙船地球号の倫理。憲法第9条。経験者の悲惨な体験談の継承。広島長崎の平和への願い。その後も永続する戦争に、非戦を訴える世界中の人々の声。
戦争を繰り返し経験して、少しづつ戦争はしてはいけないと人類の心に刻まれていく。
*これは最近のことかもしれないが…
そして戦争やいくさは、現状の社会を改善するための手段でもある。あるいは原因とも言える。
*これは過去の話かな。敵や旧体制を打倒する手段として、暴力行為しかなかったので…
大和朝廷による国家の成立。壬申の乱後の律令制の確立。源平合戦後の実力主義支配の実現。戦乱の世から平和を実現した徳川幕藩体制。戊辰戦争後の民主化に身分制度撤廃。そして戦後の平和立国への道。
後戻りすることなく、少しづつ少しづつ、
人間社会は進歩発展を続けている。それを妨げる要因は不満の限界を超えると、戦争やいくさを経て、取り除かれるという人類の歴史である。
⭐PART⑦
当事者が如何に正当化しようとも、
戦争は無秩序な暴力行為。多大な被害や悲劇をもたらす。戦争は絶対にしてはいけない。けれど、
戦争は科学技術の発展を促進させる。敵を倒すために優れた武器発明の技術。それらは戦後、平和利用されて人間社会を便利に豊かにする。
人工衛星、月探査などの宇宙事業に、
原子力発電、コンピュータ、ドローン、GPS、スマホ… いくらでもある。戦国時代は城造りに河川工事など土木工事が飛躍的に発達したなど…
また戦争のキッカケなのかは問わず、
前時代の悪しき常識や権威が衰退、新たな思想や優れた発想が生まれ、社会が進歩発展しやすい。
しかし如何に正当化しようとも、
戦争は無秩序な暴力行為。多大な被害や悲劇をもたらす。戦争は絶対にしてはいけない。けれど、
戦争がキッカケで、人間社会が進歩発展する歴史を否定することはできないでしょう。
つまり天変地異による大量絶滅と戦争、
どちらも多大な被害や悲劇をもたらす。でもその後を考えると全てがマイナスでなく、むしろ進歩発展のキッカケになっていると言える… と私は思います。
経過結果は似た感じ、でも違いがある。
*『悲劇を与える と 悲劇を生む』は、
言い換えることができるってホント?ここでは同じ意味合いの『悲劇をもたらす』にしました。
⭐PART⑧
地震や火山噴火、隕石落下など天変地異は確率の問題で起こり、防ぎようがないから仕方ない。
*気候変動も言いたいが、近年の温暖化は明らかに人間によって引き起こされている。
近年も世界中で頻繁に起こる巨大地震や火山噴火。それは多大な被害と悲劇をもたらすが、科学的研究や対策によりある程度は防げる。
もっとも壊滅的被害をもたらす天変地異は、人間の文明社会発祥以後は発生していない。
でも悠久の歴史を紐解いてみる。
例えば20万年前の阿蘇山のカルデラ大噴火が今起きれば、日本はほぼ消滅するだろう。
ずっと未来には、巨大隕石の衝突、地軸の変動、太陽活動の変動に巨大化、超新星爆発による地球生命への壊滅的被害、超野蛮な宇宙人の襲来など…
この場合は… 諦めるしかない。
でも戦争は人為的行為。防ぐこと、少なくとも肥大化しないようにできる。そう信じたい。
ずっとずっと前から、繰り返し繰り返し、戦争を経験して、少しづつ少しづつ、戦争は絶対に絶対に、してはいけないと人類の心に刻まれていく。
言い方を変えれば、
人類の脳のプログラムが変化していく。
刻まれて変化していけば、戦争をしなくなる、少なくとも肥大化しないようになっていく。
それに期待する。もちろん期待する。
でも少し積極的に、助長すべく私なりの何か新しい具体的な手法やビジョンを提案してみたい。
それができれば『非戦への思い』に一役買う私の意見となるからです。実はまだ分からない。書いてるうちに… を期待して続けてみたいと思います。
⭐PART⑨
非戦とはなんぞや?から始めよう。
ネットで調べると戦争を否定すること。どんな戦争もいけない事だと主張する態度。
だそうだ。戦争つまり暴力を否定する。
そしてもう一つ『非戦論』なるものがある。
戦争および武力による威嚇や行使を否認し、戦争ではない手段によって問題を解決し、目的を達成しようという主張、社会運動。
とある。非戦論は日本では明治時代に云々はカットして… 同じ目的である平和運動よりも非戦論の方が私の感覚にマッチしている。
戦争に反対して平和を訴える平和運動。戦争を否定して別の解決策を考える非戦論。
あくまでもイメージとしてですが、
戦争はダメとして平和を押し付ける平和運動。戦争することを別の手段に置き換える非戦論。
争いが起こることは自然のこと。
それをするなと言うのは不自然なこと。
争いは必ず起こってしまう。
その争いの解決手段を、暴力行為から別の手段に置換できれば、そりゃ〜いいに決まってる。
でもそう簡単ではないだろうな…
⭐PART➉
争いの手段としての暴力行為
それは人間を含めて生命体にとって、
極々普通の行為だと私は思う。逆にそれ以外あるのかなと思うくらい。
この文章の主題は戦争をなくすこと。
国や人同士の問題や争い、支配欲を満たすために暴力的手段である戦争をなくすこと。
でも暴力行為はそれだけじゃない。
種の存続や繁栄のために… だけじゃない。生きていくために食べる。そのために…
鳥が生きるために虫を食べる。リカオンが集団で生きたイボイノシシの肉を引き裂く。
虫やイボイノシシにとって、生まれたことを後悔する地獄の断末魔。鳥やリカオンは地獄行き確定の残虐非道の殺戮魔。
よくよく考えれば、地球上の生きとし生ける生命体は、暴力行為のオンパレードなのだ。
*この文章いつ終わるのかな…
⭐PART⑪
そして人間にしても同じである。
生きるために、子孫を残すために、自分自身のために、暴力行為をしてきた。
でもそれは自然なこと。普段の生活を少し考えてみても… そうなんですよ。
食料確保なんて全て、である。
縄張り争いとかも… 水の豊富な平地は人間が他の動物を追い払って占領している。
そして同種同士の殺し合い。戦争なんて愚かな行為をするのは人間だけだ!なんてよく言うが、そうでもない。
オオカミは、縄張りに侵入したオオカミを容赦なく殺してしまうらしい。
クマやライオンには、自分の子孫を残すために、オスが子連れのメスの子供を殺してしまう『子殺し』なんてのがある。
ため池にて、魚を食べ尽くし食糧不足に陥ったブラックバスは共食いをする。
タチウオも共食いをするらしい。その習性を利用したタチウオに似せたルアーがあるくらいだ。
全ての種とは言えない。でも、
少なくとも人間だけじゃない。地球上の存在する生命にとって、同種同士で殺し合うなんてよくある普通のことなのだ。
⭐PART⑫
ならば現状このままでいいのか?
ロシアのウクライナ侵攻やアフリカの民族紛争など今も戦争は絶えない。
このブログに終わりが見えず、ダラダラ続けている間に、ハマスの奇襲攻撃からイスラエルによるガザ地区侵攻が始まった。
ハマスの一般市民の無差別殺害に人質拉致。イスラエル軍の避難場所や病院への空爆等。報道されない残虐非道な行為もあるだろう。
如何なる理由も正当性もない。
かつての日本国も同様の行為を、中国や東南アジアで行っていた。
私がもし兵士なら… と考える。
いつ死ぬか分からない。なぜこうなったかも分からない。でもしょうがない。
非日常の極限の現状を頭に浮かべる。
戦況不利での死への突撃。一般市民への虐待に暴行などの人権蹂躙。そして惨殺行為。
私もしてしまうのか?
命令だから、みんなしているから、どうせもうすぐ死ぬのだから… それもある。
でも本当に怖いことは、
そんな行為をしてしまうのか?ではない。するのか?でもない。そんな残忍な行為をしたくなるのではないか?である。
今の私には現実的ではない。
おそらくこれからもない。そして絶対にしないと思う。でもそんな状況下に置かれたとしたら、したくなってしまうのだろうか?
⭐PART⑬
戦争とは、する側に何らかの利益があるから起きてしまう。多大な戦費や犠牲をして余る益を得るためにするものである。
厳密にはそんなことは成立しない。
戦争とは、全ての当事国や当事者に、破壊と惨劇を生むのみである。
例え責められた側による、
一方的な侵略行為や、弾圧に立ち向かう正義の戦争であってもだ。戦争や暴力は、それ自体否定されるものである。
でもなくならない。現状の対策はどうか。
世界中で非戦への思いを訴え続ける。
そして戦争や紛争、テロが発生、もしくはその予兆があった場合も、マスコミだけでなく、最近登場の個人個人でSMSを駆使して、情報を世界中に発信する。
それは少なくとも戦争をし難くさせる。そして未然に防ぐことも可能だろう。
起こってしまった戦争に対しては、
アメリカやヨーロッパなどの軍事介入や日本もしている資金提供、国際連盟の仲介などで、とりあえずは破綻させないという現状である。
そして… それしかないかな…
現状を続けるしかないだろう。
続けていけば、少なくとも今よりも、より良くなるはずだからだ。なぜなら、
戦争のない平和な世界。
それは間違いなく、人類の抱く共通の理想郷であると、私も含めて世界中の人の願いであるはずだからだ。でも一つだけ…
⭐PART⑭
それは私を含めて人には、
心のどこかに、悪いことや酷いことをしてみたいという願望や欲望があることである。
決めつけるのは変か…
でもそうだと決めつけてもいいかな…
少し前に書いた、もし私が戦場で戦うことになったとしたら、残虐非道な非人間的行為をしてしまうのではないか?
その可能性を私自身は否定できない。
戦争のような事態でなくても、
殺人や窃盗や詐欺などの犯罪、イジメや誹謗中傷に差別や村八分、悪口に陰口、仲間外しにパワハラ・セクハラなど…
してはいけないと認識している。
だから私はしていない。でもたまに頭を過るヤッちまいたい衝動や想像。
やっぱり… 我慢している。
だから否定するのは不自然。その存在を認めることが自然であり、大前提なのだ。
人間の内面に潜むコレを、
悪さをしたいという願望を、何とかすることが、非戦への思いを実現することに、つながるのではないだろうか。
⭐PART⑮
これ… なんですよ。
人間の内面に潜む、悪さをしたいという願望を満たし、かつ実際にはしない方法。
私はこの方法の発見や発明が、
非戦への思いの解決策になると思い、この文章を書き始めたのです。
でも当初考えたそれは、非戦への思いというテーマには、あまりにも適さない。不謹慎極まりない内容でした。
何か他にないか?別の表現法はない?書いているうちに見つかるのではないか?
そう思って、この文書を長々と続けてきたのですが… ありませんでした。
これしかない。これ以上ない。他にない。これ以外に頭に浮かばない。
仕方がないので、そのままで載せてみたいと思います。真面目に考えて… ですよ。
その解決方法は、バーチャル・リアリティの進化と全ての意味での倫理の確立です。
⭐PART⑯
人は誰でも悪いことをしたい。
そんな衝動が心のどこかに秘めている。これが大前提。かつ除くことは不可能。
それをバーチャル、つまり仮想世界で、その衝動を満たすことができれば、平和な世の中が実現できるのではないか?
こんな感じのイメージ。
その仮想世界では、戦争したりや独裁者になったり、またどんな犯罪でも体験できる。
言い方はどうかは別にして、
その人にとって、絶対にしてはいけない悪いことを、心ゆくまで堪能できるのである。
そして仮想世界での体験後、現実に戻った人には悪いことをした実感がある。でもその具体的な内容は覚えていない。
少し詳しく書きます。
どんな悪いことをしたのか?
例えば『殺人をしたい』そのことは覚えていてもいい。でも仮想世界で『殺人をした』具体的な内容は記憶には全く残らない。
そんなバーチャル・リアリティを、
体験できる装置を発明できれば、非戦への思いを具現化できるのではないか?
なんてことを書くのか…
でも唯一でした。
これが私が思いついた唯一の解決策です。
⭐PART⑰
人間の内面に潜む残忍性。
弱肉強食の世界を生き抜き、現在地球上の生命体の頂点に君臨している。
平和だ!協調だ!みんな仲良く!
思いやりだ!やさしさだ!慈愛だ!慈愛!
世界が平和になるために、
戦争がこの世から無くなるために、どんな声を上げで訴えたとしても…
生命は生き残るために何でもする。
きれい事など云ってられない。生き残りの手段が残忍行為だろうが関係ないのだ。
それは生命の本質だからである。
そしてその本質は絶対に取り除くことはできないと私は思っている。
その本質がなければ生きていけない。
というよりおもしろくない。私も弱肉強食の厳しい世界を生き延びている。
理不尽な現実に向き合い、戦い、時にはスタコラ逃避行、時には人を踏み台に、自分に利益なければ、平気で人を切り捨てる。
私も残忍行為している。
そして人に対して良きをするより、無茶や悪さをしている方が、自分は生きている!とググッと実感する瞬間なのである。
⭐PART⑱
少し言い過ぎでしょうか?
さて一呼吸… 冷静になりましょう。
前回書いた『私も残忍行為している』
これは否定しません。でも私の場合は正しいことをするためにしています。
自分のこれまでの経験や思慮の上に、
間違いであると結論できたことに対して、自分に害が及ばないように、最低限に仕方なく、正しい方向に導くためには、その手段が多少残忍行為であっても構わないということです。
そして相手だけでなく、自分に対しても反省を促し、先を見据えて、より良い未来を共に享受できることが目的です。
多分そうだと… それはなぜか?
相手にひどいことをした直後は、
自分はなんて悪いやつなんだといつも落ち込み反省します。自分がホント嫌になる。
でも時間が経ち、当時を思い出し、
今に思えば、悪いことしたけれど、して良かったんだといつもニッコリしています。
話が脱線しました。元に戻りましょう。
⑲へ