収録文章

手塚治虫を見習ってシリーズ
    〜とって出しの悦つ  25年2月24日
          〜初心忘るべからず  25年3月5日
       〜テレビを観ながら  25年3月12日
    〜音楽を流して創作  25年3月15日
    〜戦争や宗教とかも  25年3月20日
    〜働き過ぎに御用心  25年3月23日
感じるままを思考してみた…
 ◉同性婚の法制度化     25年4月1日
 ◉動物園ってどうなのかな  25年4月21日

手塚治虫を見習って〜とって出しの悦つ
2025年2月24日記載

私はしているホームページは、
毎日更新を目標としています。もう3年以上続けている。もはや私のライフワークです。

毎日更新するために、ブログなどは最低2週間分は書き貯めていました。

その方が慌てなくていいし、余裕を持って次作の構想や作成が可能になるからです。

でも最近は極力貯めないようにして、できるだけ前日書きを心掛けるようになった。

NHK特集『時をかけるテレビ』
の『手塚治虫 創作の秘話』がキッカケです。

寝る暇もないほどの創作風景。一人アパートの一室にて、締め切りに追われる日々。

寝る暇もないほど… はともかく、
締め切りを追われる… に興味が湧きます。

ブログとは本来は日記という意味。
日記は当日に書くのが普通。まとめて書くことはあるが、書き溜めるなんてありません。

そんなこともありますが、

ギリギリの状態での創作に何かあるのか?
より良いものが書けるのだろうか?興味が湧いて試してみようと思ったのです。

番組内で御本人の証言よると、
締め切りに追われると、ムラムラっとインスピレーションが湧くことがあるというが、

ただ現時点の予想としては、創作にプラスになるとはあまり思えない。番組を観て思うのは、

大変な創作活動をより大変にしている。周りが困り自分も困っている。でも困った自分を楽しんで困った周りも楽しんでいる。

自分自身をあえて、ギリギリまで追い込んで、創作活動を、つまり仕事を、そして人生を、より楽しんでいる。そんな気がしました。

番組では、手塚治虫の創作の秘密とは、
(手塚漫画のエネルギー源)とは、ギリギリの状態にまで追い込まれた中で、作品を完成させた喜びと開放感だと締めくくっていいます。

より楽しめるのなら、続けてみるかな。

手塚治虫を見習って〜初心忘るべからず
2025年3月5日記載

NHK特集『時をかけるテレビ』
の『手塚治虫 創作の秘話』を拝見して、自分の文章創作の参考にしよう!ということで、

今回は『初心忘るべからず』です。

手塚治虫の仕事場はアパートの一室。
かなり大きなアパートの最上階だか、部屋の内装はなんてことない質素で粗末なもの。

とてもじゃないが『漫画の神様』の仕事部屋とは思えない。服装もトレードマークのベレー帽以外は普通のおじさんと同じである。

神様はそこで一人創作活動にふける。原稿が出来上がるまで、ずっとアパートにいる。

食事は店屋物か自炊。とにかく質素。大邸宅の自宅に帰るのは、週に一度くらいだそうだ。

番組は1986年放送で亡くなる3年前、すでに実績も名声も全て手にした『漫画の神様』

だけど『漫画の神様』の雰囲気、大御所感とか偉大さ感など微塵もない。そして余裕もない。ただ原稿の締め切りに追われる一人の漫画家。

つまりデビュー以来変わっていない。

ストイックという言葉じゃなく、ただ一心に自分の選んだ道を歩んでいるのみ。

偉大な人とは、こんな人なのかも。

周りが認め、世間が騒ぎ、名声やお金を得て、誰からも尊敬されても、何も変わらない。

ストーリーの構想や作画の進歩、
新作漫画の思案などに四六時中明け暮れ、かつに楽しそうに、至高の漫画を追求する姿に、

初心忘るべからずとの戒めを思い、
そして『初心を忘れない』とは、逆に言えば才能のバロメータであるとも感じました。

私には才能など… いや、わからないな!

私はここ3年、毎日何かしらの文章を書き続けているが、ネタが尽きたことはない。

そしてマンネリ化しないように、
より面白く楽しそうな表現方法や内容を、日々追求しているつもりではいます。

もちろん私の場合はただの趣味であり、
とてもじゃないが『漫画の神様』とは比較にはならない。何の期待も重圧もないし、

でもたまに良いのが書けたり、Amebaブログに投稿してチョロっとバズったり、

過去の文章を読んでみて、今の方が進歩していると実感したり、ただの趣味ではあるが、

スケールは遥かに違うが『漫画の神様』
手塚治虫の放つ『初心を忘れない』その気概に感化されて、これからも続けていきます。

もし続けられたら、才能があるってこと。どこまで続けられるか?私自身楽しみである。

手塚治虫を見習って〜テレビを観ながら
2025年3月12日記載

テレビを観ながら漫画を描く。

この『手塚治虫 創作の秘話』を観ていて一番驚いたシーンです。漫画の神様のすることか…

私の場合はいつものことです。
趣味だしお気楽だし、だけどやっぱり書くのに集中したいので、テレビはBGM替わり。

地元ケーブルテレビとか、録画して何度も観た自然や動物を扱った番組とか… かな。

いくら趣味でも、ガッツリとテレビを観ながら書くことはできません。無理ですね。

そして手が止まって悩んだり、調べなきゃならないことがあって、頭をフルに使う時は、邪魔になってテレビは消してしまいます。

ただの趣味で楽しみ気分の私でも、
文章を書く時のテレビは、BGM替わりや少し休憩中の暇つぶし以上にはなりません。

ところが手塚治虫は、漫画の創作中に観たテレビのシーンをヒントに、壮大な長編マンガの構想ができたなんてエピソードがあるそうです。

聖徳太子じゃないんだから…

テレビを観ながら創作活動。さらにテレビから、創作に活かせるヒントを探している。

これを見習えったって… できませんよ😅

しかし真似することはできないが、テレビからネタを探すことは、私もできそうである。

というか… しているよな。

ブログで時事ネタは結構書いている。そのまま書くこともなく、自分の感性を入れている。

他にもネット記事とか YouTube とか、

でもその程度のことなら、漫画の神様を見習ってはいない。もっと深く追求すれば…

印象に残ること、感覚が似たこと、
気にしないこと、無駄だと思うこと、
おもしろいのか?思わず無になるか?
常識に照らして、逆に照らさずに、

こんな感じ?いや!もっと奥深くかな。

全く興味ないことをガッツリ観たり、
凄い映像に興奮しても舌打ちしたり… ?

つまりネタは何でもいい。テレビでも新聞でも日常の出来事でも空想でも… 大事なのは、

全てを固定せず、とにかく柔らかく、
ありとあらゆる角度から、ありとあらゆるアプローチ、時にはそのまま、時にはやさしく、時には真逆に、時にはフザケて、時には踏み潰す。

それができれば、その情熱が続けば、いつまでも新鮮なネタが尽きることない。

アイデアはいくらでもあるんだ。バーゲンセールで売るほどある。とにかく時間が欲しい。

番組内で語った手塚治虫の言葉である。

手塚治虫を見習って〜音楽を流して創作
2025年3月15日記載

手塚治虫は『漫画の神様』である。
子供向け作品では『鉄腕アトム『ふしぎなメルモ』など、個人的には、メルモちゃんのアニメが印象に残っています。ミニスカートがね…

少年向け作品では『ブラック・ジャック『火の鳥『ブッダ』など、個人的にはブッダでしょうか。大学生の時にちょっと読んだら面白くって、たった一週間で全巻読破してしまった。

さらには大人向けの作品『アドルフに告ぐ』なんてのも描いてしまう。また作品のジャンルも偏らないで、本当に多岐に渡っている。

そして全く異なるジャンルの漫画を、同時に描くという凄さ😳いや恐ろしさ😨かな。

無論『漫画の神様』と呼ばれる所以、常人には有り得ない才能と努力と情熱である。

私も文章の内容は、偏らずに何でもアリというスタンスではいるが、全くもって次元が違う😮‍💨

まぁそれはいいか… 虚しい😞それよりも、

手塚治虫は音楽を聴きながら漫画を描くが、作品によって音楽も変えるのだそうだ。

例えば、時代物ならクラシックを聴き、少年物を描く時はミュージカルのように、

同時に違うジャンルの漫画を描くので、
頭がゴッチャにならないように、聴く音楽を変えることで、各作品のノリに波長を合わせる。

そんな感じだそうである。

私の文章も似た感じで、ジャンルを固定せず色々なことを書く。しかも同時進行である。

でも私の場合は気分次第で書いている。
だって締め切りもなければ重圧もない。仕事ではなく趣味だから。もちろん読んで頂くことを前提に書いているつもり、ですけれど…

だから同時進行で書いても、頭がゴッチャにはなることはない。もしなりそうだったり、書く気分ではなかったら、書かなきゃいい。だけど、

私も音楽を執筆に活かしている。でも書く時でなく最近車の中で Heavy Rotation の曲。

Bob Dylan『Like A Rolling Stone』

今なお燦然と輝くロックの金字塔。
やさしさと賛辞で溢れる故郷を裏切り、明日も知らぬ刺激的な世界に身を投じたい。

一度評価を得たことを掘り下げて、ずっと続けていくことも素晴らしい道ではある。

否定するなど全くない。でも、
自分を包む殻を破り自由を得るため、あえて危険や不安にその身を晒すイバラの道。

そこで文章を書くための、新たな内容や表現方法の開拓に、悪戦苦闘の末に行き詰まる。

深いため息… 筆を止めて気落ちする。そんな時に私の頭の中で、いつも流れるこの曲。

自己の内面を偽らずに、他人にどう思われても構わずに、自分が良いと感じる文章を書く。

よく見える明るい場所で満足せずに、勇気を持って暗闇の中へ足を踏み入れたい。

ただの趣味ではあるが、そんな気概を持って、これからも続けていくつもりである。

ただし私の書いた文章が世間から、高い評価を得たことは一度もないけどね😅

手塚治虫を見習って〜戦争や宗教とかも
2025年3月20日記載

手塚治虫の作品は多岐に渡っている。
特に私が凄いなと思うのが、戦争や宗教を題材にした作品を描いたことである。

『火の鳥『ブッダ『アドルフに告ぐ』など、

正直… あまり詳しくはないので、ブッダだけは単行本を全て集めてありますけれど、

何が凄いかって、絶対に下手には書けない。一歩間違えれば… も大いにあり得る。

戦争、差別、宗教、政治、倫理、人間愛…
有史以来、人類につきまとう永遠のテーマ。

それは誰しもを強烈に惹きつける。でも扱うには敷居が高く、シリアスで危険な香り漂う。

そして専門書ではなく漫画。だから普通の人が読んで分かり易く、面白くなければならない。

徹底的に調べ上げる必要があるし、トコトンまで考え抜く忍耐力に、何より深い洞察力がなければ得られぬ客観的常識。それを漫画で描く。

史実の本質を曲げれば一巻の終わり。
でも史実通りでは、単に平易な専門書。魅力ある作品に仕上げるには、ユーモアや場合のフィクションも織り交ぜる必要がある。

漫画で戦争や宗教を題材にするには、

繊細で緻密な心配り、時には大胆さも。そして膨大な努力と圧倒的感性が問われる。

でも逆にうまくできれば、ただでさえ受け入れやすい漫画。この上ないバイブルとなる。

仏教の創始者の生涯を描いた『ブッダ』は分かり易くユーモアたっぷり、実に面白かった。

私も文章にて加味したみたい。普通の感覚で、シリアスな話題にどこまで迫れるか?

実は私もチャレンジしている。
一つは『非戦への思い〜坂本龍一を偲び』
そして『宗教をのほほんと書いてみる』

相当に悪戦苦闘している。停滞に休筆。開けてはいけないバンドラの箱と化している。

最初は軽い気持ちで、何となくエッセンスをポッと思いついて書いていたが、調べるに連れて、次第に書けなくなっていく。

趣味だけど、適当には書けない…

元より勝負にはならないが『漫画の神様』手塚治虫の至高の芸を思い知る日々。

他のことを書いていても、
気になって… 何かと重たい気分。

今更やめて削除するのもできないし、何とか納得のいく文章にするつもりではいる。

つい最近読み返した『ブッダ』に、
書いてあったっけ… 人生とは苦しみ悩むためではないと、心を『空』にして歩むものであると、

手塚漫画の創作のエネルギー源とは、
ギリギリのところまで追い込まれて、作品を完成させた時の『喜びと開放感』だそうだ。

一つ一つ確実に一歩一歩前進しよう。

手塚治虫を見習って〜働き過ぎに御用心
2025年3月23日記載

手塚治虫は60歳で死去しました。
直接の原因は胃癌。致し方無しの死因。

でもNHK特集『時をかけるテレビ』
の『手塚治虫 創作の秘話』での常軌を逸脱する仕事量、3日間で3時間の仮眠… ホントかよ。

その方が致し方無しの原因でしょう。
仕事中は頭をフル回転、徹夜の連続、それを40年以上も、いくら好きで、ずっと続けられても、心身を酷使し過ぎ、限度を無視しては… ね。

100歳まで漫画を描きたい!

と番組内で語っていた漫画の神様。当時56歳、その4年後に亡くなってしまった。

目標は達せられず、でも少し見方を変えてみると、目標は達成してるのではないかな。

神様の生涯作品数は約700タイトル、
ページ数は約15万枚。それだけの仕事量なら、100歳まで漫画を描き続けたに等しい。

しかも現役バリバリの只中にあった。
死の床でも連載中の漫画を描いていた。ある意味では、全うに健康に気を遣い、長生きした人生よりも良き終焉なのかもしれない…

頼むから仕事をさせてくれ!これが『漫画の神様』手塚治虫、最後の言葉だそうである。

手塚治虫を見習って〜働き過ぎに御用心②
2025年3月12日記載

ある意味では、良き終焉なのかも…
そうと思ってみて、そうと思う気もする。でもやっぱり私は長生きしたいですね。

そのためには健康に気を遣い、無理をせず我慢を覚えること。でもそれでは反面教師。あくまで手塚治虫を見習うブログです。

だから… と悩む必要は全くない。

見習うことばかりだからです。私は頑張り過ぎの真逆の人生で、ノンビリのし過ぎ。生まれて一度も頑張ったことがありません😁

以前は『頑張らない努力』と称して、もちろん信念はあるが、カッコつけ半分のヘタレ半分。

人生の折り返しを少し過ぎ、さすがの私もこのペースでは『人生棒に振るな』と思い始める。

そんな私も頑張らなければ… と思うには、
十二分以上の手塚治虫の働きっぷり。ちったぁ爪の垢を煎じて飲みやがれ!と、自分に… ね。

録画にとって、何度も観ても魅力ある、
NHK特集『時をかけるテレビ』の『手塚治虫 創作の秘話』は私の人生のバイブルです。

漫画の神様、手塚治虫を見習って、

仕事にしても、趣味のブログにしても、これからは頑張る努力をするつもりです。

気概としては手塚治虫のペースで、実際には普通の人の最低限のペースで… だって私は、

どうしても長生きしたいんだモン😁

*書き忘れました。敬称略です。

感じるままを思考してみた…
2025年4月22日記載

*ブログで5回に分けて書いたものを、編集してまとめました。

⭐Prologue

どうなのか、それはそうかも…
自然なのか、不自然に思うけど…
正しいのか、間違いではないとは…

思うけど… さっとあらましをチェック。心を空っぽに感じてみる。何かが引っかかる。

少し違和感を覚えてしまう。そう感じる2つのことについて、考えてみました。

◉同性婚の法制度化について
◉動物園ってどうなのかな

どちらの話題も批判的に物申せば、どうなるのか分かったものではない。けれど…

チャレンジしたくなりました。

もちろん私個人の感じたままの思考であり、たくさんある意見の中の1つです。

感じたままを心に刻み吟味して、慎重に言葉を選んで、文章にて表現してみたい。

それでは始めましょう。

⭐PART①

◉同性婚の法制度化について

同性同士の結婚ですか…
近頃、話題になっている。結構な現実味、実際に裁判も開かれているとか、う〜ん

私は人生を半分過ぎた人間。
正直、違和感がある。よく分からないし、理屈上でもどうなのかなと思ってしまう。

古いタイプと言えばそうだけど、
結婚とは、男と女が結びつき、子供を産み育てる前提に成り立つ制度なんだな。

子供を産み育てることは、人間という動物の種の永続的繁栄にとって最重要の事項。

そのために結婚という制度があり、
税金や社会保険で削除など優遇措置があり、出産では給付金や助成金が支給されたりする。

で、同性婚に当てはめてみる。

同性同士では絶対に子孫はできない。
う〜ん… 同性婚に税金の優遇に給付金?
う〜ん… どう考えても違う気がするな…

テレビで観た女性同士のカップル。
一人は子供がいて、同性婚を制度化して、子供のために税金の優遇に給付金を求める。

そんな裁判を起こしている。

私たちは愛し合っている。子供もいる。一緒に暮らしていて、子育ても大変だ。

う〜ん… いつしか常識になるのかな。
世界では当たり前になってる国もある?

ずっと未来、そして平和な世が永く続くならば、常識になるかもしれない。だけど…

シングルマザーとその友達が、仲良く一緒に暮らしていて、子供の世話も共同でしている。

私にはそうとしか思えない。

ずっと未来、そして平和な世が永く続くならば、常識になるかもしれない。だけど…

本当に… ずっとずっと未来の話だろうな。

⭐PART②

◉動物園ってどうなのかな

最近ちょっと思ったんですよ。
確かにそうかも。そこで初めて動物園のことを考えてみました。まっそんな感じです😁

動物園の歴史とは(ネット調べ)
古代エジプトや中世代のヨーロッパの王侯貴族が、戦利品として収集し動物や、あるいは国内や海外からの貢物として贈られた珍しい動物を、自分の庭園で飼育したことが始まりだと言われている。

人が自身の楽しみやエゴのために、
自由に生きていた動物を捕らえて、檻に閉じ込め自由を奪い、お金を取って見世物にしている。

私も動物園での楽しい思い出はある。

でもこんな風に考えてみると、動物園の動物はひどい目に遭ってる気もします。

こんな話も聞いたことがある。

動物園では野生の状態と比べて、
食べ物は十分だし、天敵の存在もない。病気やケガをしても飼育員が治療してくれる。だから、

動物園の動物は長生きなのだそうだ。動物園の動物ではないし、気持ちは分からないな…

私が動物園のことを気にしたのは、
テレビで動物園での繁殖は難しい、との趣旨の番組を観たことがキッカケです。

アジアの国の動物園にて、絶滅危惧種の鳥がいると、人工繁殖を試みるも失敗、日本の動物園の専門家に助言を求めた… かな。

なんでもその鳥の繁殖率は低いと、
なので野生の巣から卵を少し採取して、人工繁殖することで、個体数を増やしたいと、

素晴らしいような…でも違和感。

個体数の減少は、人間の営みが原因。
開発による生息域の減少や悪化、化石燃料過多による地球温暖化などの環境の変化だ。

ならば脱炭素化社会への取り組み、自然や野生の環境を保護をすることが第一で、野生動物たちに直接手を加えないようにすべきである。

それが本質であり理想である。

スマホで調べてみると、動物園には、種の保存、環境教育、調査・研究、レクリエーションなどの役割があるとされている。確かに…

また絶滅の危機にある野生生物を保全するための拠点としての役割を担うことは動物園も、独自の努力を続けている。とある。

実際テレビで動物園の皆さんの努力や成果を取り扱った番組をよく観ています。

素晴らしいことだと思うんです。

時には苦渋の表情に悔し涙、時には最高の喜びに笑顔、充実感溢れる表情の方々、

でも心の片隅の違和感がとれない…

スマホで調べてみると、実際に動物園に対して批判的な意見がある。デモや呼びかけとかも、

動物園を批判する理由として、

①動物の権利の侵害
動物の自由や家族、自然を奪っている、動物の尊厳を無視した人間都合の娯楽である。

②動物の福祉の侵害
檻や水槽の中、限られた行動範囲、大勢の人間の注目など不自然な環境で、いじめや喧嘩が絶えない、病気や怪我に苦しむ。

③間違った自然観
自然を支配するのは人間である。動物は人間に奉仕するため存在する道具なのだという間違った自然観を植え付ける危険性がある。

④種の保存の建前
生息地に返せるわけではない展示目的の動物園での繁殖を『種の保存』と呼ぶのは、動物園業界による都合のよい呼び方である。

だそうだ。そこまでは思わないが、私の違和感もそこら辺にある。野生に生きる動物を捕獲、自由や権利を奪い、営利目的で展示している。

できるだけ自然環境に近い飼育、保護し観察や研究することで、種の保存に役立っている。

でもとにかく上から目線なんだな…

動物園とは、珍しい動物を飼いたい人間のエゴが始まりで、見世物にする営利目的である。

後から意味や意義を付け足しても、
実際に種の保全や動物研究に役に立っていても、動物園とは人間のエゴと営利目的なのだ。

う〜ん… でも全否定はできないな。

動物園の動物は不自然な環境にいる。
飼育員は頑張っている。研究や種の保全に貢献している。楽しい娯楽施設である。動物は野生の環境で生きる権利がある。人間は地球上の支配的立場にある。テレビで観る動物園の取り組みは興味深い。

両手を上げての肯定はできないが、

動物園とはこんな感じで、絶対に違和感は感じてしまうと思えば、それでいいのかな…