宗教をのほほんと書いてみる
25年3月24日執筆中
Amebaブログに投稿
宗教をのほほんと書いてみる
2025年3月28日連載中
*ブログでxx回に分けて書いたものを、編集してまとめました。
⭐Prologue
私は全くの無宗教です。
なぜかって?神を信じなくても、仏の教えを知らなくても、普通に生きているからです。
その宗教について、頭に思いつくまま、のほほんと書いてみようという趣旨です。ので理路整然とは全くの皆無、どうなるでしょうか?
はじめに言っておきます。
宗教は世界中にたくさんあり、それぞれの宗教を信仰する人々にとって、人生を歩む上での支えとなり、文化面も含めて多大な益をもたらす素晴らしいものであると私も思います。
でも宗教にはそんなプラス面だけでなく、
様々な問題を引き起こすマイナス面もある。そのマイナス面についても書くつもりです。
ただし題名にある『のほほん』とです。では、
⭐PART①
今から数百年前の中世ヨーロッパでは、キリスト教と科学の対立がありました。天動説の宗教側による地動説の科学者への弾圧です。
結局は地動説の正しさが証明されて、
今や常識となっている。でもそれにより宗教が敗北してダメになったこともなく、現在は共存した状態となっている。
正しくとも常識を覆す新たな概念は、なかなか世間に受け入れられない。
十字軍の遠征も宗教が原因ですか。
キリスト教の聖地エルサレムを奪還すべく、西ヨーロッパから派遣された十字軍と、イスラム教徒の国との200年に及ぶ戦い。
また殺生や暴力を禁じる仏教でも、
ヒンズー教との争いを一因とするスリランカの内戦があったり、日本でも戦国時代の一向一揆や平安時代の僧兵の無法行為など…
他の有名宗教よりは少ないが、暴力行為をしたり戦争や紛争に発展した例はある。
如何なる理由があろうとも、戦争や暴力行為は悲惨であり、多大なる悲劇を生む。
このように宗教がマイナス要因となった歴史上の出来事は数多くある。もちろん民族や人種に、地域間の争いや植民地支配、権力政争に武装組織に身分制度、貧困なんかも悲劇を生む。
あっそうか!科学もそうである。
核兵器にカラシニコフ、公害問題にマイクロプラスチック、そしては化石燃料使用過多が原因の地球温暖化などが、
科学の発展によるマイナス要因。人もためにもなる反面、そうでない場合もある。
⭐PART②
宗教によるマイナス要因。現在でも、
同時多発テロや地下鉄サリン事件に、霊感商法や高額献金など、世間を騒がすニュース。
サンタクロースに初詣に雅楽の音色。
でも無宗教の私には、深刻な出来事の原因となる宗教に、危ういイメージがあるな。
目には見えない神の存在、また創始者やその教えを信じ過ぎるあまり、他者を認めない排除する行為や考えに至ることもある。
世の中に色んな人がいる。それぞれには、
違った価値観や人生観がある。それぞれは妨害せず妨害させず、そして関心を持ち理解して、否定せず認め合うことが理想だろう。
国や人種と同様に宗教も、似たような人の集まりが1つの集団を形成する。世の中はそれぞれ異なるたくさんの集団に分かれている。
さらにその基準の種類の数だけ、個別に集団の形成図が存在し、その全てが重なり合った姿が、世の中の正確な集団地図というわけだ。
穏やかで平和な場所もあれば、時折軋轢が生じる場所に、頻繁に衝突が起こる場所もある。
なるほど… 世の中ってそんな感じかな。でも宗教に直接関係ないのでやめましょう😁
*のほほんと書いています。
⭐PART③
宗教には当然ながら良い面がある。
現在もそうではあるが、昔の方が生きていく上での苦しみが半端なく大きかった。さらに世の中は分からないことだらけ。それが分かる(気分になる)だけでも精神的には楽となる。そう…
人は何かに支えられて生きている。
科学技術の発展やグローバル化以前に、分からないことを教えてくれる精神的な支えになるのは、宗教が一番影響力があったと思います。
生きるだけで精一杯から少し前進の、
文明草創期の人々にとって、人知を超越するような存在の神様や仏様が登場して、
その教えを乞うというスタイルの、宗教がマッチしたことは、想像に難くないでしょう。
*ここで『仏様』とは、仏教の創始者の釈迦のこと、もしくは『悟りを開いた人』を示します。
*つまり仏教では神様は登場しない。
ですが、私は仏様も神様と同様に、人間を超越した絶対的な存在だとの認識です。
*これについては後で書く予定です。
科学や哲学も古くからあったが、
科学はまだ生活に便利な程度の存在。哲学は宗教と似通った部分はあるが、人間が人間の理性に基づいて真理を求める学問である。
*つまり哲学には、神様や神格化した仏様は登場せず、したがって悪く云えば、哲学者に対して盲目的に信じることはありません。
*この宗教と哲学、そして科学の関係性についても、後で私の考えを書くつもりです。
さて話を続けます。やれやれ…
宗教には創始者がいて人間です。
もちろんその創始者は、その当時の世の中を憂い何とかしたいと願っている人で、
優秀だったり、人望があったり、聖者と呼ばれたり、常人とは懸け離れた思考をしたりと、人々を惹きつける魅力の持ち主ではあります。
でも普通の人間と変わりはありません。
*のほほんと書いています。
⭐PART④
有史以来、幾多の創始者が宗教を創造し、
その教えを人々に伝え、生きる上での支えとなり救いとなるも、時には混乱も招いてきた。
その数多の宗教の大半は、駄目だと淘汰され、あるいは弾圧されて消え失せる。つまり、
今日まで続いている歴史ある宗教とは、それ自体の教えの素晴らしさ故に他ならない。
世界の三大宗教がそうであろう。キリスト教、イスラム教、そして仏教である。
その三大宗教について無宗教の私が、
のほほんとこんな感じ😊と書くことが、このブログの趣旨となるのですが… その前に、
神様の存在を信じるのか?悟りを開いた仏様つまり完璧な人間など本当にいるのか?
私の答えはノーである。
だって神様なんて見たことないし、完璧な人間なんていないと思っているからです。
常識的な普通の答え… ですよね?
でもそんな私でも神様がいたらな… とか、仏様って尊いよな… とか、またに思います。
昔はもちろん現在でも、世の中は分からないことだらけである。宇宙の始まりは?人間社会の進むべき道とは?自分の存在って何?幸せって?
そして生きることって大変である。
苦悩んだり努力したり、夢や希望を持ち目標に向かって頑張っても、一筋縄にはいかない。
喜楽もあるが怒哀が圧倒的に多い。
どんな人だって、究極の完璧な理想のとか、絶対の超越するとかの存在や人物に、憧れたり夢見たりする傾向にあるのでしょうね。
*のほほんと書いています。
⭐PART⑤
そんな私が宗教のことを書いている。明らかに無謀な冒険😁でも何とか筆を進めます😅
宗教には神様が登場します。仏教だけ神様が登場しない唯一の宗教と云われている。
ここで神様と仏様について、
⭐PART③ で少し書いたのですが、私の認識を詳しく述べてみることにします。
神様とは人知を越えた絶対の存在。仏様とは悟りを開いた人。だから神様と仏様は違う。
これが宗教学上の常識である。でも、
無宗教の私には何ともややこしい。日本では『神も仏もいないのか』なんて言うし、つまり神様と仏様は同じだとしたいのです😄
との結論に向けてスタート!
あらゆる宗教の創始者は人間である。神様が登場する宗教でも登場しない仏教でも、その教えを人に伝えたのは人間の創始者である。
神様を否定しては宗教は語れない。
神様の教えとは、人知を越えた絶対的な存在からの教え。それを人間の創始者が伝えている。
神様を崇拝する宗教でも、現実の宗教活動には人間しか登場しない。そして仏陀という人間が始めた仏教には、元々神様は登場しない。
つまりどんな宗教にも現実には、
人間しか登場しないことになる。そして長くかつ現在も多くの人が信仰する宗教は、常人の及びもしない素晴らしい教え、故に他ならない。
ここまでが共通点。違うのは、
常人の及びもしない素晴らしい教え、
その出処が、神様という人知を越えた絶対的な存在か悟りを開いた人間なのかの違いである。
常人の及びもしない素晴らしい教えを、人知を越えた絶対的な存在からの教えとしても、
差し支えがないと思うので、
仏陀という人間が始めた仏教の教えも、神様という人知を越えた絶対的な存在からの教えと同格なのではないか?と私は考えたいのです。
その方が宗教を理解しやすいし😅
本質をついてる気がしています。
との考察を踏まえて、私は仏様も神様と同様、人知を越えた絶対的な存在との認識です。
*のほほんと書いています。
⭐PART⑥
とりあえず仏教は置いといて😁
神様の登場する宗教について、その創始者がどのようにして、その教えを思いついたか?
私にはどうしても、創始者が『神様から教えを乞うたのだ』との話を信じることはできません。
神様はいるかもしれない。
そう思いたい私もいる。でもやっぱり夢や想像上の存在だろうな。神様は人の思考の中にいるんだよ、なんて話としても… 無理があるしね。
でも創始者が『神様から教えを乞うたんだ』と本当に信じていたことは理解できます。
ある瞬間に、それまで思いもしなかった不思議なイメージが頭の中に浮かんでくる。
私も経験がある。疲れたり悩んだり、夢の中やボーっとしてたり… そんな時にフッ…とね。
以前私は4年間の引きこもりっていた。
その生活から脱却したキッカケは、そんな体験があったからです。具体的にはね…
うまく書けないがこんな感じでした。
引きこもる以前のある出来事を思い浮かべ、思い浮かべるうちに、後悔の念に苛まれ、人生初の強烈なショックを受けたんですよ。
*平たく言えば、失恋したんです😁
直後に身体が痺れる、下から上へゾワッと、頭の中がスッキリして回転し始める。
すると頭の中で急に、自分の性格の良い面が浮かんでくる。自分に自信がついて、実際に試したくなって、それで社会復帰できたのです。
強烈なショックを受けたことで、絡まっていた身体と精神を結ぶ線が解けたみたいな感じかな。実際にあった不思議な体験でした。
話を戻します。のほほん!
私でもこんな経験をしたことがある。誰にだって少なからずあるんじゃないかな。ただし、
自分の頭に浮かんだことは、全て自分自身の思考であると私は思っています。たとえそれが神様の声に聞こえたとしても… です。
例えばミュージシャンの話に、ある日突然頭の中にメロディが流れてきて、ミリオンセラーの大ヒット曲になった… なんて聞いたことがある。
類似することなのかも… のほほん!
⭐PART⑦
あることに悩み苦しみ続けた日々。
あるいは努力し続けた日々。結果得た断片的な一つパーツ。そのパーツが少しづつ増えていき、ある瞬間に結びついて光り輝く。
沸き立つ感情、突き抜ける高揚感。
まだ出発点。まだ不完全なジグソーパズル。でも残りのパーツは予測も予想もできる。何より自信を持って前に進むことができる。
暗闇に僅かに見えた光の射す方へ。
もちろん苦労や努力は、人生を全うし終えるまでなお一層必要となるでしょうが…
そんなイメージでしょうか。
だから事実として私が信じることは、
人間の創始者が、自身で考えた救いや支えとなる教えを、自身で考えたとは思えずに、神様からの教えだとして人々に伝えたということです。
そして神様のイメージが一人歩き、膨らんで、いつしか宗教となった。そんな気がします。
*仏教の仏様も同じくの気がします。
これは私の勝手な推測ですが、創始者の仏陀は元は一国の王子様。選ばれし存在とも言える。悟りを得る折に、神様は必要なかったのかも。
ここで『自身で考えたとは思えずに』
これが広く人々に受け入れられ、長く続く宗教の条件であると私は思いました。
*のほほんと書いています。
⭐PART⑧
それはなぜか?教えや救いの言葉に、
ほんの僅かでも打算的な何かがあれば、その宗教はいつか必ず廃れるだろうからである。
俗っぽくネジ曲がった例え話。
その宗教の創始者自身が実際に経験した、
苦悩や苦痛の解決案を考え思いついて、その哲学的とか道徳的とかの類いの結論を、人々に素直に受け入れて貰えるように、悪く云えば、
名声を得たいがために、あるいは、
単に生活の種とするために『神の名を借りた、あるいは仏を気取った』とします。
そんな宗教もあったでしょう。でも、
仮にその教えが善意あるものだとしても、長くは続かずに消え失せたでしょうね。
ほんの少しでも創始者自身に、ひねくれたりネジ曲がった感性があれば、その教えや悟りにもその要素が反映されるだろうからです。
ということは少なくとも、
創始者がその宗教を開く上で、たとえ善意あるものだとしても、ある種の計算がある場合は、長くは続かず衰退すると予測できる。
つまり長く続く宗教のその創始者は、一点の曇りもない純粋な心の持ち主となる。
そんな宗教の代表が、世界三大宗教とされるキリスト教、イスラム教に仏教となる。
つまりこの世界三大宗教を理解できれば、宗教とは何ぞやを知る理屈となる。
とりあえずそんな感じの気分で😁
次のパートから、その三大宗教について、のほほんと書いてみたいと思います。
⭐PART⑨
最初はキリスト教にしましょう。
何となくオシャレなイメージがします。クリスマスや賛美歌に十字架とか、教会の建物もカッコ良くってスマートな感じだし、
創始者はイエス・キリスト。どんな人物だったのかをネットで調べてみると、
約2千年前のパレスチナで生まれる。
神の愛と赦しを説いた人。誰に対しても深い愛や同情心を持つ、慈愛に満ちた優しい性格。
隣人を愛し敵をも愛せよ。
心のへりくだりを説き、誇りや偉ぶりを避ける姿勢を大切にした。一方で不正や偽善に対しては、強い正義感を持って臨んだ。
とまぁこんな感じの人物だそうだ。
つまり『聖者』と呼ぶに相応しい人物。
非の打ち所のない性格の持ち主。愛の伝道師ですね。さすがはキリスト教の創始者。でも、
最後は弟子のユダに裏切られ、十字架の刑で若くして処刑されてしまった。
所謂『いい人は長生きできない』
そんな感じがします。
世界三大宗教の創始者で一番の短命です。しかも最後は処刑されたという悲劇の人。
やっぱり私は長生きしたいし、無論処刑されたくないし、人々の尊敬は受けても、キリストのような生涯を送りたくはないですね。でも、
のほほん!なだけ、の人生も嫌だけど…
⭐PART⑩
今も昔も変わりはしない。世の中は理不尽で不公平で汚くて… 光あれば闇の部分もある。
もっと根源的に云えば、地球上に存在するあらゆる生命は、弱肉強食の世界に生きている。
そんな世の中を生き抜く上で、きれい事だけしていても生き残れない。誰だって少なからず、汚い闇の部分に手を染める必要がある。
裏切る、切り捨てる、軽んじる…
私利私欲のために手段は選ばず、他人を犠牲にすることも厭わず。天寿を全うするために目的を達成のためには、仕方ないことである。
私もそうだ。手を染めている。
闇の部分を無視することはできないし、理屈的にも不自然に感じるからである。ただし私の場合は間違いだと思う行為はしない。
いずれにしろ、してはいけないと思う。でもせざるを得ないとも思う。そんな時に、
理想を求め、理想を諭し、理想に生きた聖者イエス・キリストを思い浮かべる。
あんな風に生きられたらな…
これが私の思うキリスト教でしょうか。生きる上でせざるを得ない罪を感じ清めたい。
そして幼き頃に描いた夢や理想を、いつまでも心の片隅にそっと閉まって置きたい。
穢れを知らない純粋な思い…
その宝物は、現実とのギャップに苦しむ以上に、人生を歩む上での支えとなるであろう。
だけど1つ思うことがある。
理想への正義感一辺倒では、反感を招くのは当たり前のような気がする。愛するとは、相手を理解して良き方向へ導く術を差し示すこと。
とりあえずはこの辺にしておいて…
もちろんキリスト教について、こんな簡単には書けないのは分かっています😄
何となくのイメージです。詳しくは大変だし、あまり深入りせずに、のほほんっと… です。
⭐PART⑪
次はイスラム教にしましょう。
日本人の私にとって、一番馴染みのない三大宗教ですね。経典がコーランで、確か1日に5回聖地メッカに祈りを捧げる… だっけ?
それとやはり同時多発テロやビンラディンを思い浮かべてしまう。イスラム過激派とか、
創始者はマハメッド。7世紀のアラビア半島にてアッラーの神の声を聞いたとか、このくらいが今現在の私の知識となります。
では少しスマホで調べてみます。
創始者はムハンマド。現在はマホメットよりもこう呼ばれている。コーランはクアルーンで、イスラムはイスラームとなるそうだ。
*ちなみにムハンマドは、世界で一番多い男性の名前だそうである。へー… アリは有名だけど
*でもこのブログでは、私にとって馴染みのあるマホメッド、コーラン、イスラムとします。
生涯を端折って書くと、マハメッドは商人で結婚して家庭を持っていた普通の人です。
その普通の人が不惑の歳に悩んで、
山の洞窟で瞑想していたら、大天使ガブリエルから唯一神アッラーの啓示を受けて、預言者として目覚め、イスラム教を創始しました。
ところでイスラム教とキリスト教、ユダヤ教は全て同じ(唯一)神を信仰する。各宗教は解釈の仕方や教典が少しづつ違うそうだ。
ユダヤ教は聖書(旧約)キリスト教は旧約と新約の聖書、イスラム教はその2つの聖書に加えてコーランが教典となっている。
またイスラム教は、ユダヤ教の創始者モーセやイエス・キリストも預言者として認知されている。とりあえず詳しくは端折ります😁
モハメッドの創始したイスラム教は、
次第に人々に受け入れられ教団に成長、旧教徒勢力を武力で制圧してメッカに侵攻、ここをイスラム教の聖地とした。さらにアラビア半島、エジプト、イラクなどを制圧、イベリア半島まで勢力を広げた。
う〜ん… 宗教の創始者が武力を用いる。すごく違和感がある。そんなことしていいのかな…
そんな第一印象。昔だから… でも、
どうしてもマイナスの感が否めない。
だけど広く信仰されているイスラム教。その理由を知るべく、のほほんと続けてみましょう。
⭐PART⑫
イスラム教は、キリスト教やユダヤ教と同じ唯一神を信仰する宗教である。そして、
モハメッドはその最終預言者であり、
そのためにイスラム教は、ユダヤ教や次のキリスト教よりも優れているという主張。
*それはそうしたいだろうな。
でも同じ唯一神からの教えだから、基本的には似た感じになるでしょう… って、
YouTubeを観たり、スマホで調べたけど、細かいところはよく分からない😅
だからそれぞれについて、特徴的な違いを見つけて、のほほんと思慮したいと思います。
ユダヤ教はユダヤ人にのみ該当する。キリスト教とイスラム教は信じる者全てとなっている。
*なるほど… だからユダヤ教徒は少ない。
キリスト教は特徴は『慈愛』でした。では?
イスラム教とは、唯一神アッラーのみを信じて服従し帰依する信仰。預言者マホメットに啓示されたコーランを根本教典としている。
*新旧の約聖書も教典である。
コーランにはアッラーの教えによる、
するべきことしてはいけないことが明記されていて、信仰者は厳守せねばならない。
解説をサラっと読んでみる。女性に対しての態度など良いこともあるんだけど、1日5回の拝礼や断食とか、厳格な生活規範を厳守しなければならない。どうしても窮屈に感じる。
これはどの宗教も同じかな。あっ!でもイスラム教の戒律は厳しいって書いてある。
ふ〜ん… イスラム教は政教一致だって、
私たち日本人には馴染めないな。政教分離が普通だと思ってしまう。印象も良くないかな。
*仏教やキリスト教にはない。
有名なイスラム教の特徴『ジハード』
イスラム教のために努力する。戦うこと。つまりイスラム教のために、防衛目的ではあるが、武力行使もためらわない。う〜ん…
戒律が厳しく政教一致に武力行使か、
無宗教の日本人である私には、イスラム教に共鳴することがあまりないな。う〜ん…
どうしよう。何かないかな… と、
定命(カダル)の解説に目が留まります。
同じ神様を信仰するキリスト教やユダヤ教にはない、イスラム教独自の教えだそうだ。
では、できるだけ簡単に… のほほん!
⭐PART⑬
定命(カダル)の解説(スマホ調べ)
イスラム教の信仰の基本『六信』の一つ。
人間を含む全ての被造物は、創造主たるアッラーによって、予め運命が定められており、アッラーの望みを人間は変えることができない。
つまり人の運命は、生まれた時点ですでに決まっていて、絶対に変わらない。そして…
*あれれ… 仏教にも定命があるって?
ふんふん、仏教の場合は、人は生まれる前に寿命が定められている、のだそうだ。
*つまり仏教の定命とは、寿命が決まっていることで、運命までは決まっていない。
*ついでに定命の読み方について、
日本語でイスラム教では『ていめい』で、仏教では『じょうみょう』と読むそうだ。
アッラーを信仰するとは、平和を望むアッラーの意志に従って暮らすことである。
つまり死んだ後に、天国に行きたければアッラーの教えを信じ遵守せよということ。
だから、イスラム教の信仰者が増えるイコール世の中に平和がもたらされる。
なるほど… 後半はそんなものだとして、
人の運命は決まっている、そして唯一神アッラーという存在か… ここでピン💡とくる。
… おっと忘れてた。のほほん!です。