囲碁の碁盤はやっぱり19路盤?
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はじめに
囲碁の碁盤は、無限の広がりがあり、
19路の碁盤はその一部であり、現在の囲碁愛好家が、何とか把握できる大きさである。
そして将来の囲碁愛好家は、21路盤に挑戦するだろうと私は思っています。
その一方で、もしかしたら囲碁の碁盤は、
やっぱり19路盤で打つのが一番おもしろいのかもしれないとも思えるのです。
この文章は、全くの素人である私が、
テレビ等で囲碁のプロの対局を観戦して、感じたり思ったりしたことを書いた私流の観戦記だと思ってください。
*この文章は2006年に書いたもの。
この文章の原文は、すごく恥ずかしい。ちょっと読んだだけで赤面します。
*囲碁のことを何も分かってない上に、読むに耐えられないひどい内容。自分自身が書いたのだけど、何とかしなければ…
*今日は2022年1月14日金曜日です。
2日の休みを利用して、頑張って何とか読めるようにしてみます。それではこの文章の終わりにまたお会しましょう。
⭐2006年初版
⭐2022年1月改訂1
⭐2023年1月改訂2
本文
前作『神の創造した無限の碁盤~21路盤への挑戦』にて、中央重視の宇宙流の打ちまわしは、19路盤の次に挑戦するであろう21路盤、さらには無限に広がる碁盤を意識したものではないか?と述べました。
しかしこのまま話を終えてしまうと、
中央重視の宇宙流は崇高な打ちまわしで、他の棋風である地に辛く堅実、手厚い本格派、切った張ったの戦いの碁など、何となくせせこましく、ダメで程度の低い打ちまわしなのではないか?という印象を与えてしまう気がします。
もちろんそんなことは絶対にありません。
どんな棋風だろうとも、タイトル戦クラスではない対局であろうとも、一般の囲碁愛好家の対局であろうとも同じです。
その人が勝ちたいと思い、全身全霊を込めて一生懸命に打った一局は、観ている人に、また対局者にもグッと心に響く、感動させるものがあると私は思います。
そこで私が観戦したプロの対局で、
印象に残っているものを紹介します。私がその対局を観戦していた頃は、棋譜並べとたまに詰碁を解く程度で、ほぼ初心者でした。
だから内容が合ってるかどうか?
なんて全然分かりません。ただ観戦して感じたことに、プロ棋士の解説を参考にして、そう思ったという程度のものです。
それでは参りましょう。
1.第59期本因坊戦挑戦手合七番勝負
初防衛に臨んだ張栩本因坊に依田紀基名人が挑戦したシリーズ
まずは第三局。張栩本因坊の正確な読みや寄せの前に、2連敗の黒番の依田名人。
本局も右辺で張栩本因坊の見事な捨石の美手があり、初日終わった時点で、依田名人の石がバラバラとなる。これは3連敗かなと私は思っていました。
ところが二日目に入り、下辺の石にコウ味をつけ、左下隅の黒石を張栩本因坊が取りにきたところで、コウを仕掛ける。
午後に入り、左下隅と右辺の取られそうな大石が見事に連動し捨石の役割を果たす。あまりにもスケールの大きい捨石作戦。
捨石には捨石で対抗する。この依田名人の発想の凄さ。しかもスケールが違った。
例えればライトポール際に入るイチローの技ありホームランと、海に飛び込むバリーボンズの場外ホームランという感じでしょうか。
でもスケールの違いはあれど、ホームランはホームラン。この時点で形勢は互角である。
しかし名人の発想の凄さに面食らった?本因坊が、上辺の打ち方を誤り、中押し負けに追い込まれてしまう…
*のように思えたらしい… 当時は。
さて同じシリーズの第六局。
ここまで張栩本因坊の三勝二敗。初防衛にあと一勝である。
角番に追い込まれていた依田名人は、第三局と同じ展開(形勢不利に思わせて妙手を用意しておく)を意図的に仕掛ける?
*私にはそう見えた… らしいですよ。
レドモンド九段の テレビ解説より、
白50手目。この手を打ったため、右辺で黒に四線を押させる展開となり、素人目にも何となく黒番の本因坊有利。
ところが依田名人は妙手を用意していた。
白72手目。この手で下辺の黒地っぽかったところが荒されること必至。
形勢は一気に互角となる。
だけど初防衛の重圧のかかる本因坊は、第三局と同様に焦って自滅していくだろう… という名人の読み?
*そんな気がしたらしい… ですよ。
この手は初日の封じ手10分前に打たれた手。本因坊がこのまま長考、次の手を封じればこちらの思うつぼ。本局はもらった!名人はそう思ったかもしれません。
*そんな風に考えてみたら面白いんじゃないか?ということでしょうね。
ところが本因坊は長考せず。ノータイムで黒73手目を打つ。一間トビ。
名人の妙手を予想していたのか?
それともこのまま何もなく終わるわけがないという心構えがあったのか?
いずれにせよ、
第三局と同じ徹は踏まず。張栩本因坊の精神力の強さを見た気がしました。
なかなかやるな…
大棋士依田紀基現碁聖が、初めて張栩現名人王座を認めた瞬間!…だったような…
*そんな話にしたら… ですよ。
二日目に入り、形勢不明の大熱戦。
最後は張栩本因坊の劇的な半目勝ち。負けを覚悟した依田名人は、荒げた声とは裏腹に、手が震えて碁石が持てない。
しびれるような光景でした。
*あ〜疲れた。大変でした。補足をしたり表現変えたり、訳の分からない部分は消したりと… もう夜の11時か… 寝るかな
2.第30期名人戦挑戦手合七番勝負
張栩名人に小林覚九段挑戦したシリーズ
前年本因坊初防衛に成功した張栩名人も、高尾紳路現本因坊にタイトルを奪われる。
前年、精神力の強さを見せつけたのに、
高尾挑戦者に第一局、第二局と誰が見てもあからさまな挑発行為に、すっかりリズムをくずしてしまったのだろうか?
横の揺さぶりには強いが、縦の揺さぶりには意外ともろい。全盛期の横綱貴乃花を見ているような気がしました。
*ここまで来たら開き直り。10年以上前のタイトル戦だし、楽しみ方も人それぞれだし… だけどフォローの仕様がない。
*それにしても、第一局だったかな…
高尾挑戦者が一日目の封じ手直前に、一手打つ明らかな挑発行為。その手を見た張栩当時本因坊がニヤリと笑うシーン。今も覚えています。
絶不調で迎えた名人戦。
相手は実力者で当時勝ちまくっていた小林覚九段。接戦になるかと思いきや、出だし張栩名人の三連勝。迎えた第四局。
前夜祭にて「明日の名人戦が最後」
なる発言をして、開き直った小林挑戦者のもう反撃が始まる。
黒71手目(16の12)色々な狙いを持った素晴らしい一手だそうで、この一局に勝った小林挑戦者が怒涛の三連勝。勝負は最終戦第七局にもつれ込みました。
観戦記によると、中盤まで黒番の小林挑戦者有利。ところが何度もあった決め手を小林挑戦者は打てず、形勢不明へ。
右辺の攻防で、ついに白の張栩名人が有利に傾いてしまう。ここで名人の打ったあの一手。白126手目(2の8)
名人位防衛を決めたこの一手は、素人の私でもなぜかしびれました。
観戦記によると『安全で確実な勝ち方』
だそうですが、並みの精神力では打てない一手だと思います。
第四局などで見せた挑戦者小林覚九段の
『円熟の感性の一手』に対する若きスター張栩名人の名人位をガッチリつかみ取る
『気迫の力の一手』に私は思えたのです。
*何だかさっぱり分からないが、読んでいるうちに何となく思い出しました。これで名人位が決まる最終戦。
*絶好調の挑戦者に局面不利追い込まれた中、とにかく勝つことのみに執念を燃やす。
*その手が打てずにモタついた挑戦者に対し、長く苦しい時間を耐え、やっと巡ったチャンスを逃さずに仕留めた張栩名人の凄さにしびれたということでしょう。
局後大盤解説場に現れた張栩名人は、珍しく興奮していた。それだけ苦しく、そして凄い一局だったのでしょう。
その興奮の名人の側にいた、
いつも以上に冷静沈着なテレビ解説者の羽根直樹棋聖(当時)この方も凄い。
3.テレビ棋戦の対局
次は私が観戦したテレビ対局で、最も興奮した一局の紹介です。第7期ドコモ杯女流棋聖戦決勝トーナメント二回戦。
黒 小林泉美女流本因坊
白 万波佳奈二段(いずれも当時)
当時女流の第一人者であった小林泉美に、NHK杯の聞き手を担当したりと、アイドル的人気のあった万波佳奈が挑んだ一局。
この一局は、2003年の大晦日の夜8時からの放送で、紅白など他の番組を見つつ、チャンネルを変えていて「へ〜大晦日もしているのか….」という感じで観始めました。
序盤は、第一人者の小林泉美女流本因坊に萎縮したのか?万波二段。下辺で大石を取られて早々に敗勢モード。ところが、
黒121手目が少し早過ぎたそうで、白132手目右辺につけた一手から盛り返す。黒149手目ツケコシに対して、遮断していれば形成不明のいい勝負。(石倉九段の解説より)
ところが序盤の失着の連続。
相手は第一人者。寄せ勝負になってもどうせ負ける。右辺の大石を生かしていい勝負を選ばすに大石を取ることを選択。
ここから、永遠と大石の捕物帳が続く。
戦いは碁盤全体に広がる。手数の関係でテレビではダイジェストになったが、その迫力は十分に伝わってきました。
そして結末は大石同士の攻め合い。
コウになり、一応はフリカワリとなる。白320手目の後、盤上から33個の黒石が瞬時に消えた光景は、今でも頭に焼き付いています。
詳しくはよく分からない。
小林女流本因坊がいくつかミスをして、万波二段が、完璧に応じての大逆転劇。
そして終局。結果は白12目半勝ち。
アゲハマは白番61個、黒番23個。この対局の前に裏番組で観た『曙vsボブ・サップ戦』より興奮しました。
テレビ棋戦では他にもあります。
第11期流星戦本戦Fブロック三回戦
黒 高尾紳路六段
白 金英俊六段(いずれも当時)
平成四天王の一人高尾紳路と趙治勲門下の新鋭である金英俊との対局。
互いに2連星の布石から模様の張り合い。
中央に打った白14手目から開戦。最初の見せ場は黒65手目。左上隅星にツケた一手からの高尾六段のサバキ。
黒81手目。白石の壁にペタっとツケた絶妙の一手に、解説の泉谷英雄八段も「筋の良い手だ… 」の一言。負けじと金英俊六段。白92手目。右上隅星下にツケてからのサバキ。
この辺りから、泉谷八段は解説者でなく、視聴者のようになる。「….あっそうか!先手かこれ….」「えっ!いや〜これ…」
対局はヒートアップ!若く伸び盛りの二人。互いに意地と意地の張り合いになる。
右辺白の大石に対する寄り付きが一段落。
「普通は右下隅を守るのですが….」と解説者「守る訳ないだろう」というニュアンス。
解説者も私も対局者も、そしてこれを観ている全ての視聴者も気持ちは一致する。
黒右辺に一間トビ。すかさず白150手目右下隅星にツケを打つ。
一局で三度も隅の星にツケからのサバキ合いに、私は大興奮しました。
解説によると、寄せで高尾六段に失着があり、結果は白番の金英俊六段の一目半勝ち。
苦手高尾紳路(現本因坊)から初勝利。
両者の意地と気合を存分に感じた、私の心に残る早碁の名局の一つです。
後もう一つ手短に、
第51期NHK杯準々決勝
小松英樹九段vs結城聡九段
まるでボクシングのような一局。
囲碁でこんな試合もあるんだなと、私が囲碁により惹かれるキッカケとなった一局。
4.プロの対局を観て思うこと
まだまだあるのですが、このくらいで…
短文紹介の『生きること』という文章の中でも書いてあるのですが、私は4年近く引きこもっていました。何もかもが嫌になり生きる目標を失っていた頃に、私は囲碁に出会いました。
短文『生きること』へ
プロの対局を観戦する。
その見方は人それぞれです。残念ながら私にはプロの対局や棋譜を観ても、どんな内容だったのか?正しく判断できるほどの棋力はありません。
プロ棋士の解説を聞き、対局の雰囲気や背景などから、対局者がどのような気持ちで思いで、碁を打っているのか?
その心理面を想像し、頭の中である種の物語を作り、観戦するのが私は好きです。
上記は、私が引きこもっている時に、テレビで観戦したプロの対局の中で、特に印象的でお気に入りのものです。
そのプロ棋士が、どんな気持ちで碁を打っていたのか?当然私には分かりません。
しかしここで紹介した対局は、
若くてこれからのプロ棋士が、超えなければならない大きな壁に対峙し、勝ちたいという気迫を全面に見せて挑んでいく様を、私の心に深く刻ませて頂きました。
これからも、このような素晴らしい勝負を期待しています。
現在の囲碁界のトップ棋士は、どちらかと言えば地に辛い、またじっくりとした棋風の棋士が多いように思います。
タイトルを何期も防衛したりと、常に安定した成績を残すためには、負けにくい棋風が有利だからです。
答えの分からない部分よりも、答えの分かる部分を重視。派手なKO勝ちより、着実にポイントを重ねて判定勝ちを狙う。
しかし見た目が地味で、時には面白みがないなど批判されることもあります。
全盛期の小林光一九段は、
「ああいう碁に負ける我々が悪い」
などと批判されたそうです。
(日本経済新聞社発行の囲碁大全より)
囲碁界以外でも、将棋界では激辛流と揶揄された丸山忠久九段。大相撲の横綱大鵬。森監督時代の西武ライオンズなど…
もともと強い。その上石橋を叩いて歩くような勝ち方は、ファンにもライバルにも、批判しやすい対象なるのかなという気がします。
私も見ていて楽して面白い、派手な対局を観たいと思うし、面白くて派手なことや挑発めいた発言をしたり、時には問題行動をしたりする棋士に惹かれてしまいます。
でもだからといって、そうではない地味な棋士を批判する気にはなれません。
普段の精進努力。その人が勝ちたいと思い、全身全霊を込めて打った一局は、どのような棋風であれ、観ている人の心に響く、感動させるものがあると思うからです。
プロ棋士それもトップ棋士ともなると、特にそういうものを私は感じます。
才能は必要です。でもそれ以上に、
勝ちたいという一点の曇りのない強く、そして全く迷いのない思い。それがなければ碁を打つだけで生活はできないし、ましてタイトルホルダーにはなれません。
5.囲碁の碁盤はやっぱり19路盤?
さて、ここで終わると『囲碁の碁盤はやっぱり19路盤?』のタイトル名と結びつかないのでもう少し話を続けます。
いろいろな棋士がいる。そしてそれと同じ数だけの棋風がある。
地に辛くじっくり型の堅実派。しのぎ勝負のスリル派。手厚い本格派。戦い大好き戦闘型。誰も真似しない独自路線を行く芸術派。試行錯誤の末たどり着いた道を貫く頑固派。あらゆるうち回しに精通し、そこから変幻自在の技を繰り出す自在流。そして中央重視のロマン派など…
『囲碁の碁盤はなぜ19路盤なのか』
で述べましたが、19路盤では辺、隅、中央の地確率の割合がバランスよく配置されているとしました。そのことがあらゆる棋風が混在できる要因なのではないか?とも思えるのです。
わずかに中央の割合が、隅のそれより少ないことが、地に辛い堅実派と中央重視のロマン派なんて、上手く言えることも、絶妙のような感じもしてしまいます。
とか思っていると、
『神の与えた無限の碁盤』のうち、あらゆる個性の人間が、それぞれの個性と持てる力を存分に公平に発揮して、勝負を楽しむことのできる大きさとは、19路盤なのではではないか?という気もしてきました。
… う~ん… でも…
今から数百年経っても、囲碁の碁盤は19路盤のまんまっていうのも、何となく味気ないとも思うんのですよ。
奈良時代にはもう19路盤。
19路盤になって千数百年以上経っている。そろそろ21路盤に、チャレンジしてはどうでしょうか?とも思います。
別にバチは当たらないでしょうし、
シャレの分かるプロ棋士の方とシャレの分かる職人さん!一度試してみては…
*現在2022年1月16日午前2時前です。
予想より早く編集終了しました。最初は大変でしたが、後半、特に4と5はほとんど原文そのままを記載することができました。
*いやいや… 我ながらいい文章だなと自画自賛している所です。夜中だし、疲れたし、変なテンションになっています。
*読まれた方がどう思うかは、分かりません。そしてこの文章を読まれる方が、今後現れるかどうかも、もちろん分かりませんが…