収録文章

ある女医先生の憂鬱?  07年5月22日
📝障害者のこと  06年11月21日
📝ただいま修行中  06年11月27日
小グレ釣り  08年9月8日
📝当たり前のことをする  06年12月19日
📝名人になる  22年5月18日
📝私は… 違和感  23年6月13日
📝大人らしい人  24年1月28日

ある女医先生の憂鬱?
2007年5月22日記載

去年の5月のことです。
当時の私は、主に病院を回る営業の仕事をしていました。連休中に手をねん挫した私はある病院に治療にいきました。

その病院は、連休前に2度ほど営業をしようとしたのですが、車がいっぱいで断念した個人病院で、どうも気になっていたところでした。
「さぞかしいい病院なんだろうな」
と思い、行ってみることにしたのです。
中に入ると「なるほど」と思わず納得してしまいました。

なんとなく病院内のすみずみまで心配りの行き届いた雰囲気がします。待合室には患者さんを安心させるような院内感染防止のポスターや説明文。空気清浄機を設置。そこにも大きな文字で説明文。
男の私でも思わず「いいな」と感じてしまうようなぬいぐるみや生け花の数々。
なんとも言えず落ち着きます。

他の病院もきれいにしているところが多いのですが、どことなく上品過ぎたりして殺風景な感じを受けてしまいます。
この病院はなんともあたたかく安心してしまうのです。別に行きたくなかったのにトイレものぞいてみましたら、洋式の便器の横にも小さな空気清浄機。
「こりゃ~患者さんが多いわけだ」
「いいな」と思ってしまうと何でもよく思えてしまいます。

手ひらのレントゲンを取ったときに、ダメになったらすぐに取り替えられるように、机の台の下に置いてあった細いダンボールで包装された3、4本の蛍光灯を見ても、
「きれいなだけではなく実用的なんだな」
とか思ってしまいました。

院長先生は50代くらいの女医先生でした。
ドーン!体格のいい方です。横にも縦にも。でもかわいらしい顔をされています。
やさしそうで頼りがいのある方に思いました。怪我のほうは、骨に異常はなくただのねん挫ということでした。

処置としては、シップを貼って包帯をするだけでしたが、私はこの女医先生と話がしたいなと思い、いろいろ症状のことなどを適当に聞いているうちに、だんだん楽しくなってきました。先生もなぜか楽しそうです。診察なのに。

仕事が営業で病院関係を回っているということを言った後、思わず商品の説明までしてしまいました。(光触媒の営業)
「なんだか練習みたいになってしまいまし
 たが、またよろしくお願いします」
先生はニコニコしながら「お大事に」

気分の良くなった私はちょっとふざけてしまう癖があります。薬の処方箋をもらい、すぐ近くの院外薬局へ。
薬を受け取った後、冗談で「今すぐ飲みたいので水はありますか?」と尋ねたところ、薬剤師の方は少しびっくりした様子でした。

しかしすぐに、そばにいた女性スタッフに指示して紙コップに水を汲んで持ってきてくれました。思いつきで言ってみたのですが、こういうサービスがあってもいいのではないかと思います。それにしてもこういった無理にもすぐに対応してくれる。いい病院だなとまた思ってしまいました。

営業の仕事を始めて人と話すのが楽しいと思い始めた頃で、その先生にもう一度会って話をしたいと思いました。
そこで一週間後、ねん挫の状態確認を理由に、たいしたことはないのはわかってはいたのですが、この病院に行くことにしたのです。

午前の診察時間ギリギリに行きました。
私は午前中最後の患者。診察が終わり、
「あの~ちょっとご相談したいのですが…」
人と話していてここはおかしいとかここは違う変だと思ったことを、正直に包隠さず言ってしまう癖というか…
その人のアラが見えてしまうとほっとけないでつい言ってしまって、相手を不快にさせてしまうことがあるという悩みを打ち明けました。

*この話は本当です。今なら絶対にしないことですが、長い人生一度くらいはこういう経験も必要かもしれません。但し両者にプラスになる場合に限りますが…2022年2月5日記

実は1月から4月まで派遣社員として働いていたのですが、仕事の仕方が違うと思ったら、我慢せずにやり方を変えたり意見を言ったらエラく嫌われてしまい辞めてしまったのです。
派遣社員という立場上そういうことを言ってはダメなんでしょうけれど我慢できないのです。
「その人の嫌な部分やアラが見えてしまっ
 ても、そういうときは我慢しなければな
 らないの。私も嫌な思いをしてきたし、
 毎日たくさんの人と会うけれど今も人と
 会うことはこわいしね」
との返答。当たり前のような意見ですが、私にはちょっと引っかかります。
「ダメなことをダメだと言ってはいけない
 のかな~」……

そういった話をしているうちに先生はどうも私を気に入ってくれた様子。なんとその後1時間近く私と話をして頂けました。
というか先生がず~っと喋るのです。自分のことを。どうなってんでしょうか?

子供の頃は文学少女だった。物理で0点を取ったこともあるが、医者を目指して勉強した。若い頃は外科医として救急病棟で働いた。子育ては母親に任せた。
料理は好きだけど今はしていない。知り合いに作家がいる。医者の仕事は生涯続けるつもりだけど…など。

喋る喋る。最初は私の話も聞いて頂いていたのですが、途中から私はただ聞いているだけ、私が発言する隙すら与えないのです。
「あの~もう30分以上経ちましたね。休
 憩時間なのにすいません。」
「いいのよ別に。それでね……」
いつ終わるんだろう。しかし…まいったな…

喋り終えた後の先生は上機嫌だったので、なんだかよく分からないけれど、ま~よかったよかった…のですが、なんで2度しか会っていない私なんかにこんなに色々と喋って頂けたのか気になってしまったのです。

どうでもいいと言えばそうなのですが、こういうことがあると、色々と想像するというか考えてみるのが好きなのです私は。…暇だな~

それじゃあ、考えてみるか!
まず、こんなに喋って頂けた。それは私のことを気に入って頂けたという以外に、寂しがり屋というか普段は退屈なつまらない日々を過ごしているのではないかと思ってしまいました。

この病院は週に休みは日曜日だけ。普通こういう個人病院は2日休むところが多い。
いい病院でいい先生だから仕事熱心だ!と普通の方は思うでしょう。ですが、子育てを母親に任せたり、料理はしていないなんてところを考えると現在は一人暮らし?家にいてもさみしいし、つまらないから仕事をしている?かもしれません。

人柄もよく、仕事は完璧!そして熱心!誰からも尊敬されている女医先生。
その先生がさみしい思いをしている…
と仮定して、どうすれば楽しく人生を歩めるのか考えてみることにしました。
なんでやねん!
*ホントなんでやねん!2022年2月5日記

経営者、組織のトップの人は、会社のことや部下の人のことを考えなければなりません。会社のため、部下のために時には厳しくすることも必要です。
部下がだらだらと適当な仕事をしているのを黙って見過ごすことは、会社のためにもその人のためにもなりません。
誰だってしたくない。でもそのしたくないことを出来る方が組織のトップになれる器であり、そういう組織の中にいる人は、幸せなのではないかと思います。

でもそれ故に、部下や周りの人からは、遠慮されて近付き難い存在になっていると、考えても不思議ではありません。
誰だってみんなと仲良くしたいと思っているはずです。もしかしたら経営者、組織のトップの人は、孤独であり、さみしい思いをしているのかもしれません。
私は、トップになったことがないので本当はどうなのかは分かりませんけれど。

トップの人、偉い人は大変な苦労をます。
そのかわり地位や名誉があり、いい暮らしができます。でも周りの人からは、尊敬されても遠慮されたりして、孤独でさみしい思いをするのでしょうか?
「まあ、そんなもんじゃないの?」と思いませんか?私もそう思っていました。

しかし私は男であります。やっぱり女性の味方になりたい。私のことを気に入ってくれた?女医先生にさみしい思いをしてほしくない。部下である看護師さんと仲良くなって欲しい。

でも仕事を通じて仲良くなるというのは違う。それは筋違い。仕事は厳しいもの。論外です。なので仕事以外のコミュニケーションを通じて仲良くなればいい?
なるほど!それをふまえて考えてみるか!

女医先生と看護師さんの共通点と言えば、女性だってことか。女医先生は、今はしていないが料理が好きだと言っていた。女性は料理を作るのが好きだし得意だから。
よし、これで考えてみよう!

例えば女医先生が、肉ジャカやほうれん草のごま和えなどを作って病院に持って来たとする。
「これ作ってみたの。食べてみて」
「おいしいですね」
「先生って料理お上手なんですね」
「あら!そ~お…ありがとう」
…いい感じの空気が流れるでしょう。
人は褒められるとうれしいもの。また作って食べてもらいたいと思うでしょう。
そのうちに家に帰っても退屈だったのに、次はなにを作ろうかな?と考えている自分に気が付くでしょう。なんだか楽しい!
…うんうん…そんな感じかな?

看護師さんの女医先生に対するイメージもだんだん変ってくるでしょう。
「偉い人、雲の上の人。どう考えても私た
 ちなんかとは住む世界が違うのだから」
と思っていたのに、あれ?私たちとそんなに変らないんじゃないかな…今までは遠慮して話せなかったのに、料理のことならなんだか普通に話せる。

それは…でも、そうか!先生だって女性なんだから。この前のあの料理、私だったら味付けもっと工夫するんだけど。今度先生に言ってみようかな。言ってみると先生はうれしそう。
「へ~なるほどね~それいいね」
「そうなんですよ。家族にも評判なんです
 から!」
「ふ~ん…そうなの?私だって取っておき
 のがあるんだから!今度紹介するから待
 っててよ!」
えっ!…先生ってなんだか子供っぽい?偉い人、雲の上の人?全然違うじゃない!

とまあ、こんな感じでしょうか?もしこういうふうになったとしたら、先生も看護師さんたちもなんだか楽しくなるでしょう。
仕事に支障ない範囲内で…ですよ。

仕事は大変です。病院の仕事も同じ。
怪我や病気の人が毎日やってきます。人の命にかかわる仕事だから、ミスは許されません。体力的にも精神的にも大変だと思います。

仕事に支障ない範囲内で、上記のようなコミュニケーションを取ることにより、ただでさえ厳しく大変である病院での仕事に余計な人間関係のストレスがなくなるのではないか?と私は思いました。

そういうストレスがなくなれば、仕事に集中する事ができますし、料理のことで看護師さんが先生に言いたいことが言えるようになれば、同じように仕事面でのことでもそのうち言えるようになるのではないか?
…う~ん……そうそう!それいいな!

医療のことに関しては、看護師さんより院長先生の方が上です。しかし看護師さんだって医療のことに関してはプロだし、看護師さんに気づいて院長先生には気づかないことだって、いっぱいあると思います。

でも言いにくい。当然です。看護師さんにとっては院長先生は雲の上の人。その私たちなんかよりはるかに偉い人に仕事のことでなにか意見というなんてとてもじゃないができません。

でも上記のコミュニケーションを通じて、院長先生と看護師さんたちの距離が縮まれば、今までしなかった仕事面での意見の交換だって自然にできるようになるのではないでしょうか?

職場の雰囲気が良くなれば仕事もうまくいくようになる
…ふ~む…そうかもな…

でも看護師より院長先生の方が偉いしスゴイ!当たり前じゃん!だってさ~看護師が一人休んでも、ど~ってことないけれど、院長先生が休むと診察出来ないから。看護師の代わりなんていっぱいいるけれど、院長先生の代わりはいないから。

確かに私もその通りだと思います。
でも視点を変えてみて、こういうふうに考えてみるのはどうでしょうか?

院長先生は、看護師さんの仕事をすることはできるでしょうか?もちろんできます。
なぜなら、院長先生は看護師の仕事が出来る才能があるからです。
では看護師さんは、院長先生の仕事をすることができるでしょうか?できません。
なぜなら、看護師さんは医者の仕事をする才能がないからです。

でも実際には、院長先生は看護師の仕事をすることはできないと私は思います。
ストレスが溜まると思うのですよ。医者の才能のある人が、その才能を100%生かせない看護師の仕事をすることは…

だから、院長先生は看護師の仕事が出来る才能はあるけれど、実際には看護師になることができない。
つまり、結局は院長先生は院長先生しかできないし、看護師さんは看護師しかできないということになります。

芝居の舞台に例えてみましょう。
監督、主役の人、脇役の人、脚本、演出の人、そして裏方さんと、いろいろな人が、それぞれに与えられた役割をすることによって、その舞台上で一つの物語が進行していきます。

芝居の舞台のトップは監督です。
仕事に対して厳しくすることは当たり前!その上でいつも舞台全体のことを考える必要があります。その人の才能や性格に合わせて、適材適所に役割分担すること。
その上で、それぞれの人が、それぞれの人を認め合い尊敬し合うことで、その物語はすばらしいものになるでしょう。
そういう仕事や雰囲気作りをすることが、トップである監督の役目でもあると思います。

『雰囲気作り』そこなんですよ!この文章で私が言いたいことは!

病院のトップである院長先生が、入ってきたばかりの新米の看護師さんに、
「仕事真面目に頑張っているね。あなたの
 こと認めているんだから、気づいたこと
 何でも言ってね。私が気がつかなくて、
 あなたが気がつくことなんていっぱいあ
 るんだから」
などと言っても、新米の看護師さんは言えるわけがありません。

どう考えたって、新米の看護師さんにとって院長先生は雲の上の人。偉い!すごい!とんでもない方!そんな人に仕事のことで意見するなんて、とてもじゃないけどできるわけがない!
直接こんな感じで言っても、絶対に無理!だから工夫をするのです。間接的に。

例えば上記のように料理のことを通じて、院長先生と看護師さんとの心理的な距離を縮める工夫をするのです。上司と部下の関係、それは変わらない。でも変わると思うのです。職場内での雰囲気が…

休憩時間に院長先生も含めて、みんなが気軽に話をしている光景が、メリハリがつき仕事は今まで以上に集中してできる光景が、私の脳裏に浮かんできました。

ただ…大きな組織になるとどうかなあ…
トップの人はこういうコミュニケーションを自分からはしないほうがいいかも。仕事が第一優先。こういうことが得意な人にお任せする。あくまで仕事にいい影響を与えるという感覚で、こういうコミュニケーションに参加する。
したいから参加する。したくない人はトップにはなれないのかも…

仕事もプライベートも充実する理想の職場が、たくさんあればいいなという結論がでたところで、私の空想を終わりたいと思います。

私はトップの器などないので、こういうことが得意な人を目指そうかな。

*何という文章を書いたんだろう…編集難しかった…何とかなったか…分からん…
でもせっかく書いたから掲載します。よく考えてみたら、院長先生はそういう雰囲気作りできていたと思います。2022年2月7日記


障害者のこと
2006年11月21日記載

医学の進歩発達により、
昔なら生きられなかった人が、生きていくことができるようになりました。

結核など様々な伝染病の薬の開発に、
移植手術等、昔なら死を待つしかなかった病気が治るようになりました。どう考えても今のほうが良いに決まっています。

医学の発達は、良いことに決まっていると思っていると、生来の私の天の邪鬼な性格が出てくるのです。本当にそうなのかな。

まず頭に浮かんだのは障害者のことです。
障害者には、事故などで車椅子生活をされている方、知的障害者の方、盲目の方、筋ディストロピーの方など… 色々な方がいます。

私は健常者です。もしその立場だったならと考えただけでも怖くなります。

医学の発達で生きることは出来る。
寿命を延ばすことは出来る。でも元に戻ることはない。障害者として過ごす日々。こんな辛いことってあるでしょうか。

重度の障害者の方のことを考えます。
原因不明、突然発症し、筋肉が段々動かなくなる筋ディストロピー。

養護学校から重度の障害者の施設へ。
何をするにも一人では出来ない。出来ることは少ない。そこで一生を終える人。

この人は生きて良かったのだろうか?医学の発達はこの人に良いことをしたのだろうか?

*後年そんな殺人事件がありましたね。
*単純に誰も死にたくないし、まして殺されたくなんてない。2024年3月17日記

私はよく人のことを考えています。
世の中には沢山の人がいる。偉大な功績を残す人はその他の多数に尊敬されています。

そういう人は選ばれた凄い人で、
他は大したことないと考えてしまうと、私などは全く大したことない人間。そして、

一人では何も出来ない障害者の方は、もっと大したことない人間になってしまう。

このように思う人は世の中に沢山いる。
そう考えることは簡単。ただしその結果は詰まらない。寂しい気分しか与えない。

人はそれぞれで、良い面と悪い面がある。
感情でなく理屈として考えて、人は皆同じだと私は思っています。そしてそう思いたい。

人は自分の良い面を見せようとする。
当然です。悪い面なんて見せたくない。周りの人によく思われたいのは当前です。

でも自分のことしか考えない人間は、
自分の良い面だけを自慢げに見せつけて、悪い面については誤魔化したり、人のせいにしたりします。要するに自分の悪い面を見せないように逃げているのです。

そういう行為というのは、回りの人たちに嫌な気分にさせるし、悪い影響を与えて自分も回りの人も不幸にしてしまうと思います。

良い面だけでなく、悪い面、
ダメで恥ずかしい部分をさらけ出し、それを克服しようと努力することが、生きていく上で大切なことだと私は思います。

一人では何も出来ない重度の障害者の方。

世の中に大した貢献は出来ない。
確かにそれは事実。でも隠せない障害。さらけ出すしかない。そして懸命に生きている。

そのことが周りの健常者の人たちに、
生きていく上での大切なメッセージを与え続けていると私は思います。

素晴らしい生き方だと思う。

一生懸命に生きているか… 
やっぱり人は皆んな同じだ。
私もそういう生き方をしていきたい。


*この文章の編集中、世界的に有名な理論物理学者スティーブン・ホーキング博士のことが頭に浮かんで、何度も手が止まりました。

*文章の意図は良いと思うのですが、
博士は理論物理学の分野で、世界的に優れた業績を残したからです。

*そして障害者となっても、死の直前まで物理学者として活躍し続けられました。

*ただ博士の優れた業績と、博士が障害者であることは関係のないこと。

*博士の優れた業績とは別に、
障害者というハンデを背負い全うした人生にも、人々は多大な感銘を受けたと理解して、この文章を記載することにしました。2022年2月8日記

ただいま修行中
2006年11月27日記載

現在私は木工家具職人目指して修行中。
つい最近7月から勤めていた木工所を辞めて別の木工所で働き始めました。

というのは、このままでは職人になれないのではないか?と思ったからです。

今まで勤めていた木工所は、大手の家具メーカーの下請け会社で大量に生産する既製品の家具を手がけていました。

同じものを10とか100とか、
まとめて材料を旋盤機で切り出し、家具の側板や天板、棚板に加工。でも組み立てずそのまま出荷するといった仕事内容でした。

ベテランの方に話を聞いているうちに、
今の仕事を続けても、私の目指す木工家具職人にはなれないと思いました。

中国から来た女の子との、
楽しい交流もありましたが、将来を見据えてより高いレベルの仕事をしたいと、現在の木工所に就職しました。

従業員はたったの5人。
肝っ玉母さん風の女社長に一人息子、同い年ぐらいとベテランの職人と私。仕事内容は下請けのオーダー家具の製作です。

寸法や形、使う材料などを書いた家具の図面を元に、家具を一から作っていきます。寸法をキッチリ合わせるのは大変です。

例えば最後にベニアを貼り付ける場合、
ベニアの厚み2.5mmを考慮に入れて、その分本体を小さくする必要があります。

いろいろと部品を組み合わせて、寸法通り作るのはかなり神経を使います。

材料は機械で切るのですが、
切った後は必ずメジャーや差し金などで測っておかないとずれてしまいます。

奇麗に仕上げるためのヤスリがけの仕方、しっかりとしたビスの止め方など、細かいところで職人としての資質が試されます。

誰が作ってもある程度の物は出来る。差がつくのは細かい部分。コンマ数ミリ以内、正確に図面通り出来るかどうか。丈夫にそしてきれいに作ることが出来るかどうか。

家具職人歴30年のベテラン職人のSさんの言葉は重く感じました。

入社一週間で、簡単な本棚を作成。
でも満足いく出来ではありません。製品として出荷されていく風景を見ていて、うれしさも感じることができましたが…

現在入社2週間、金槌やメジャー、サシガネなどの道具を購入したり、材料や家具の種類や専門用語などの知識を覚えたりと、

先輩の作業を手伝いながら、いろいろと教えてもらったりという日々を送っています。

最近ようやく職場の雰囲気にも慣れてきて頑張って仕事をしています。

さあ!これからだ。これから!

*しばらく後この木工所も辞めて、
また別の木工所へ。結局木工所ではトータル2年くらい頑張りましたが諦めました。

*その後介護の仕事を目指すも挫折。警備員になりました。でも嫌になり派遣社員になるもまた警備員に戻ったり…

*仕事は今も迷走中。新たな仕事や会社に入るといつも頑張ろうと思います。だから辞めた時は物凄く落ち込みます。

*でもいつも前向きです。それは、
本気で向き合った経験と挫折が、少しだけ自分を成長させると感じるからです。
2022年2月8日記


小グレ釣り
2008年9月8日記載

私はたまに釣りをします。
子供の頃に、父親に連れられて行ったハゼ釣りに始まり、中学の頃はルアーでブラックバスを釣ったり、20代の頃は勤めていた会社の先輩に誘われて、伊豆の防波堤などに釣りに行ったこともありました。

ただ生来の性格で、昔から何かに一生懸命になるということがなく、時々思い立って適当に安い道具を揃えて、ちょっと暇つぶしに釣りをするという感じです。

さて、小グレとはどういう魚なのかの説明をします。一般名はメジナ。西日本や釣り人の間では普通グレと呼んでいる魚。
防波堤で釣れる30cm以下の小型のものを、私は『小グレ』と呼んでいます。つまり私の考えた造語です。

20cmクラスのキープサイズを掌 (テノヒラ) グレ、10~15cmクラスのリリースサイズを木っ端 (コッパ) グレと言います。
釣り人ならではの呼び名です。それだけ釣り人には人気のある魚なのです。
「コッパばっかりや」「テノヒラですけど
 3匹ほど」てな感じで使います。

鯛というか『タイ焼き』に似た姿。体色は青緑色を帯びた灰色。目はクリッと丸く青みを帯びていて、愛くるしくて美しい。
でも死ぬと体も目も真黒になってしまう。

秋から冬が旬で、刺し身や煮付け、焼き魚など何でも美味い。
赤アミかオキアミに、配合餌と海水を混ぜて作った撒き餌を使用して、オキアミやゴカイを餌にウキ釣りをします。
35cm以上の大型は磯でなければ釣れませんが、小グレは防波堤で釣ることができます。

3月まで木工所で働いていました。そこでMさんという65才の人と仲良くなりました。面倒見の良い気さくな人で、とにかく釣りが大好きな方でした。
当然の成り行きの如く、一緒に釣りに行こうということになったのです。

去年の11月のある日曜日、朝6時に集合。Mさんとその友達である69才のKさんと三人で鳴門の堂浦港の防波堤を目指します。

Mさんによるとそこに行くのは久しぶりだけれど、昔からよく釣れる場所で、クーラーいっぱい釣れたこともあるそうです。
今まで一日でグレ2匹が最高の私には、信じられない話で期待感いっぱいでした。

朝早く釣りに行くのは、気分のいいものです。今日はどのくらい釣れるのかという期待感と、晩秋のこの日は、少し寒かったのですが、朝というのは何ともさわやかな気分になります。

さて目的地に到着。さっそく釣りの準備を開始します。堂浦港はカセと呼ばれる釣り用のいかだへの渡し船や、普通の漁船などの行き来が結構あります。
他の釣り人も10人ほど。それに何気にフラッと来ては、話しかけてくる地元の人もいて、静かな中にも活気がありました。

Mさんの案内で、以前良く釣れていたポイントで釣りを開始しました。
堂浦港は小鳴門海峡にあるため、かなり潮の流れが激しいところです。そういう場所では、下手に仕掛けを投げ入れると、あっという間に沖の方まで流されて釣りになりません。
腕が未熟な私にはなかなか難しい。
「そういうところにグレがおるんじゃ」
と言われても、四国中の磯に行っては、釣りまくり、ウソかまことか?ある時には、ドラム缶いっぱいグレを釣ったというMさんにはかないません。

ドラム缶いっぱいグレを釣ったという話。
ある磯で、とにかくそこら辺の海面が真黒になるくらいに、グレが海面近くで湧いていたそうで、浮き下30cmの仕掛けで、30~40cmクラスが入れ食い状態。
釣っては捨て、釣っては捨てていたMさんを見かねて、様子を見に来ていた船頭さんが、ドラム缶を用意して、
「明日市場に持って行くからそこに入れと
 いて」
「よっしゃ!わかった!」
とMさん。釣っては投げ入れ、釣っては投げ入れる。ドラム缶いっぱいになるまで釣りまくり終了。港で重さを測ったら、なんと62kgもあったという。

ほんまかいな!?

最近クイズヘキサゴンや、行列のできる法律相談所などの、番組に出演するアユ釣り名人の村田満さんという方がいますが、Mさんは見た目がそっくりなのです。。

期待を持って釣り始めたわけですが、なかなか釣れません。後から分かったのですが、常連さんによると、以前は釣れていたポイントは、海中にロープを引いたために、グレが嫌がり寄り付かなくなったとのことでした。
さらに、スズメダイ、クサフグ、サヨリと餌取りの大群が押し寄せる。
潮の流れも悪いのか?午前中の成果は、Mさん2匹、私1匹、Kさん0匹でした。

当然3人とも納得いかない。私も1匹は釣れたのですが、それ以外はアタリなし。餌取りに餌を全部取られてしまいます。
昼食後、気を取り直して釣り再開!気合を入れたが相変わらずダメ。Kさんなんかはもうあきらめ気分。竿をしまおうかという具合。
私とKさんはその場所で粘ることにして、Mさんは離れた所に釣りに行きました。

目の前は、サヨリの大群が押し寄せています。海面近く何千匹も群れをなして泳ぐその姿は、まるで巨大な生き物の様です。
餌はすぐ食べられる。投げ入れてすぐに合わせると、たまにサヨリがかかります。
釣れるのはいいが、ウキ釣りはウキが沈まないと全然おもしろくない。

だんだん腹が立ってきて、タモ網でサヨリをすくってやろうと思ってやってみたら、いくらでもすくえてしまいました。
網の部分を海面ギリギリに沈めて、そのすぐ近くに撒き餌をします。寄ってきたサヨリをタイミングよく網ですくうと、1回で5~10匹簡単にすくえるのです。
「こりゃおもしろい!」
しばらくやっていると100匹近くもとれました。気がつくと周りには、この騒ぎに何人か集まってきていました。
これはこれでおもしろい。でもやっぱりつまらない。グレ釣りに来てるのだから。

また釣り始めましたが、アタリなし。時刻は午後の3時を過ぎました。
そこへ他の場所で釣っていたMさんが、すーっとやって来て私のクーラーにグレを5匹も入れに来たのです。クーラーを持ってきていたのは私だけでした。
「えっ!」びっくりして尋ねてみると、常連さんから情報を得て、港の船の出入り口付近で釣れたということでした。
すでにあきらめて竿をしまって、他の釣り人と世間話などをしていたKさんは、このうれしい知らせに、また仕掛けを準備してMさんについていきます。

もちろん私も誘われたのですが、この場所で粘ることにしました。
実は、手前におせんの群れがいて、少し沖にサヨリの大群、その境界線から海中深くにいるグレの群れが見えていたのです。青味がかった美しい魚体をしています。
「なんとしてもあれを釣りたい!」
と思っていたからです。
しかし仕掛けを投げ入れても、グレのいる層に餌が到着する前にサヨリ、おせんに全部食べられてしまいます。撒き餌をちらして餌取りを誘導しようとしても、うまくいきません。

と、そこへKさんが手にグレを2匹持って来て私のクーラーに入れます。
「あっちは入れ食いじゃ!向うに行こ!」
「いや、もう少しここで粘ってみます」
私にだって意地がある。何としてもここのあのグレを釣りたい!そして5分後、グレを3匹持ったMさんが、ニコニコしながら私のところにやってきました。
「わかりました!僕もそっちに行きます」
さすがに私も、もう降参です。

さっそく場所を移動して釣り開始。
しかし餌のオキアミは、すぐに食べられてしまいます。私だけ釣れない。見かねたMさんに餌をゴカイにしたらと進められました。ゴカイは餌としてはオキアミに一歩譲りますが、餌取りには強いと教えてくださいました。
私は結構意地っ張りなのですが、一度降参したらまた降参!お二人が使っていたゴカイをいただいて再チャレンジ!

潮の流れは早いが、沖から手前の方に流れてきます。撒き餌を沖に捲き、仕掛けを投げ入れます。仕掛けはどんどん手前に流れてきます。
「こんなので釣れるの?」
と思っていたら、防波堤から50cmほどに近づいていたウキがズバッと沈みます。潮の流れも影響しているのか?いい引きをします。
「タモ!タモ!」と、からかわれつつ、24~5cmの良型をゲットしました。

分からないことは、意地を張らず素直に先人に教えを乞う。釣り場の状況だって、常連さんや地元の方にはかなわないので、恥ずかしがらずにバンバン聞くこと。

これが何事に対しても通じる、最良の上達法なのでしょう。

それからしばらく釣って、辺りが暗くなった頃に餌がなくなり、納竿としました。
結局、すくったサユリ100匹ほどに、グレが20匹以上!私のクーラーは、あまり大きくはないのですが、数匹入り切らずにビニール袋に入れるという大釣果になりました。

帰りにうどん屋によって、にぎやかに今日の釣果についての会話。そこでお二人とは別れました。その直後あまりの疲れで、全身がへとへとになっている自分に気がつきました。

月曜から土曜日まで力仕事、そして日曜は朝早くから夕方まで、ほとんど休まずに釣り三昧!
なら疲れるのは当然です。

65才と69才であの元気!
本当にすごい。そしてこの日は、釣り以外にもいろいろなことをお二人から学ばせていただいたような気がしました。

いや~まだまだ青いな~私なんて!


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当たり前のことをする
2006年12月19日記載

【当たり前のことをする】

私のお気に入りの言葉である。

【嬉しかったら、喜ぶ】
【腹が立ったら、怒る】
【哀しかったら、泣く】
【楽しかったら、笑う】

当たり前である。
私はこの当たり前のことを生涯続けていきたいと思っています。どんな時も、どんな場所でも、そして誰に対しても、である。

できるでしょうか?
できるわけないだろう!
これを読んでいる方は思うでしょう。

これができた人は、歴史上の人物にいるかもしれません。だから私はこの4つにプラスして、

【正しいことをする】

を入れたいと思います。これができた人はさすがにいないでしょうね。まとめると、

【正しく正直に生きる】

である。もしこの生き方を生涯貫くことができたなら、最高の人生だな!


名人になる
2022年5月18日記載

私は名人になりたい。

*やばい文章とはどういうものか?
*実験開始!

十数年前に、4年間の引きこもり。
社会復帰しばらく経ちに、なぜか、
頭に浮かぶようになったフレーズ。

*やばい文章とはどういうものか?

どのような世界でも必ずや、
その道の名人と呼ばれる人がいる。
私の目指す名人とは単に名人。
つまり人として名人になりたいと、
私の頭の中が云ってくるのです。

*やばい文章とはどういうものか?

発明王エジソン。彼はこう言った。
発明とは99%の努力と1%の閃きである。
私の思う名人は、こんなことをする。
他人の99%の努力に1%の閃きを与える。

*やばい文章とはどういうものか?

今まで一度もしたことはない。
でも機会があればしてみたい。
でも得がなければ絶対しない。
まだそんな機会は一度もない。
だから今だにしたことはない。

*やばい文章とはどういうものか?

もしそんな機会があったなら、
もちろん迷いなくするだろう。
そんな機会にたくさん巡り合えたなら、
私はいつか名人になれるかな?

*やばい文章とはどういうものか?
*実験終了!

私は… 違和感
2023年6月8日記載

昔からそう思っている。
書いてはいけないのだろうけれど… クジラやイルカの救出劇のニュース。最近では、

今年4月3日千葉・釣ケ崎海岸にて、イルカ32頭漂着。サーファーらが救助活動。

どうも私は… 違和感なのです。

他にも大きなクジラが川の河口に迷い込み、救出しようとしたが死んでしまった… とか

もう随分前になりますが…
国民的人気者になった多摩川に迷い込んだアゴヒゲアザラシのタマちゃん。さらには、

何を隠そう。我が徳島県の那珂川にやって来たアゴヒゲアザラシのナカちゃん。当時は大いに話題になっていました。

でもどちらも死んでしまいました。

このようなニュース。どうもね…
私は… 違和感。迷い込んだアザラシは… でも弱ったクジラやイルカを救出する?

もしも時代が大昔だったなら、
川に迷い込んたり、海岸に打ち上げられたり、そんなイルカやクジラにアザラシ。

可愛らしい、可哀想、見守ってあげよう、助けてあげよう。そんなこと絶対に思わない。

思いがけない天からの恵み。つまり貴重な食料としてしか考えないと思うのです。

えっ… そんなことわかっているよ。
そう… 私もわかっている。わかる?

ワシントン条約や保護団体の圧力など、クジラやイルカを食用にするのはダメだという風潮が、世界的に主流となっている。

クジラやイルカは知能の高い高等生物。
その動物を食べるために捕獲なんて、残酷だし、とんでもないことだ!という訳だ。

日本は島国である。なので、
昔から捕鯨やイルカ漁が行われてきた。クジラやイルカを食べる文化があります。

現在は捕鯨は縮小の一途。イルカ漁に至っては、世界でも和歌山の太地町のみである。

スマホで調べてみたら、
イルカの刺し身は、濃厚でまろやかでトロける肉で美味いのだそうで、私の子供の頃は、まだクジラの肉が給食に登場してたっけ…

う〜ん… わかる!つまんない!そうか…
さっきの『わかる?』を解決すれば…

クジラやイルカに関しての、
そんな難しい問題やノスタルジックな話は、とりあえずは置いといて…

弱って浅瀬に打ち上げられそうなイルカの救出劇という美談としてのTVニュース。

これは現実。そしてもしも昔だったら… と私が思い想像した光景は、

弱って浅瀬にいるイルカの群れ。
噂を聞きつけて、肉を取ろうと刃物や入れ物を持って集まった大勢の人たち…

その2つ光景を重ねてみる。すると、
いつしか私が感じた違和感はなくなる。
でもそれは… どう表現すればいいのかな…

不思(自)然なスッキリ感?… はぁ… ?

可愛らしいイルカたち。
可哀想だから助けてあげよう。でもイルカは美味しいから、何頭かは食べちゃおう。

という訳ではないのですが…
… あ!そうか!わかった!

物理の不確定性原理みたいな感じかな。
そしてそれは、こんな話の内容じゃつまらないと『わかる』の解決にもなる?

はしょりまくって書くと、
全ての現象は確定できない。その現象がどうなるのかは確率でしか表せない。

つまり現実の違和感のある光景に、
仮想の真逆の映像を合わせることで、頭の中がスッキリしたというお話です。

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大人らしい人
2024年1月28日記載

『おとなしい』は『大人しい』と書く。
『大人らしい』から変化した言葉だそうだ。

でも『大人らしい』と『おとなしい』
私は違う意味になっていると思います。

『おとなしい人』とは、穏やかな性格で物静かな人ことです。それがイコール『大人らしい人』な訳がありません。

子供は何かにつけて、初めての経験だらけであるから、何かあるとすぐに騒ぎ立てる。

大人はいろいろな人生経験をする。
その経験を踏まえて対処法を習得し、何事に対しても落ち着き払って動じなくなる。

その落ち着き払った様は『大人らしい』
だから物静かな様を『大人しい』となり『おとなしい』となった… かな?

言葉の意味が、変化してしまうことはよくあることだし、別にいいのですが…

私が引っ掛かるのは、
何事にも落ち着き払って動じないことが、本当に大人らしいのか?ということです。

世間一般には、大人とはそんなイメージだと思います。でも私は、それで大人になったとは云えないと思うのです。

社会の歯車の一つになるには、子供のままではダメで、大人になる必要があります。

大人になると、ずっと大人で過ごします。となると、何事にも落ち着き払って動じない生き方を続けることが理想となる。

それではつまらないし、
それが大人だと云うのなら、簡単に考え過ぎのような気がします。あえて云えば、子供っぽくにも感じてしまいます。

私の思う本当の『大人らしい』とは、
大人らしくすることに満足しないで、それを踏まえた上で、あえて子供のように振る舞うことができる人。言い方を変えて、

『大人を知り踏まえた上で大人を忘れる』
ことだと思います。

特に年齢を重ねると、これはこんなもん、あれはあんなもんとか、先入観や固定観念に囚われがちになる。もっと頭をやわらかくすれば… ね。

もっと楽しめるのではないか… と

つまり大人であるより、子供である方が楽しいでしょう。だから子供のように振る舞うにはどうすればいいか?と考えること。

そして実践することが、本当の意味での『大人らしい人』だと私は思っています。

昨年4月に亡くなった動物王国で有名なムツゴロウこと作家の畑正憲さんの、

『科学を知りそして科学を忘れる』

という言葉。東大卒で専門知識に精通。でも動物と接する時はそれを忘れる。いいなと思い、こんな文章を書いてみました。

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