闇鍋 07年2月4日
夜の山道ドライブ 07年2月12日
さかな大好き! 06年12月13日
ノーベル賞 08年4月29日
福祉の理念の理解について 08年9月20日
仕事とは? 09年3月12日
悩まない罪 22年7月11日
非戦への思い 24年2月14日執筆中
闇鍋
2007年2月4日記載
闇鍋とは、おのおのが持ち寄った食材を、鍋に放り込み、最終的には電気を消す。鍋の中身が見えないため、何をつかむか分からない恐怖を楽しむ。そしてつかんだ物は、絶対に食べなければいけない。(ネット調べ)
というものです。
実は私は、大学時代に一度だけ闇鍋をしたことがあります。
鮮明なる記憶。ケタケタ笑い。薄っぺらな思い出。後悔の念。食べ物に対する罪悪感。後に残った空虚感。これが今となって思う、闇鍋に対する私の感情である。
大学4年生の晩秋の頃だったと思います。就職や進学が決まり、サークルのみんなで集まろうかということになりました。
メンバーは5人。内2人は後から遅れて来るということだったので、私を含めた3人で、鍋でも作ろうか?ということになりました。
北国の地方大学であったため、みんなで鍋を囲む機会は結構あったわけですが、久しぶりということと進学就職も決まり、ハイテンションだったのでしょうか。
誰とはなく「闇鍋でもしてみるか」ということになりました。
近くのスーパーに行き、
「最初は普通のにしよう。食べれなかった
ら困るから」
と、まずはおでんの材料を購入。そしてそれとは別に闇鍋用の具材を一人3種類づつ買うということになりました。
私は魚と野菜と果物にしようと、サンマとキュウリとバナナを購入。
「さすがにこれはちょっと…やりすぎかな」
とか思って、ニコニコしていたのですが、残りの2人は…
『食べれなかったら困るから』
当たったどころか…あんなことになるとは…
ここで『残りの二人』の簡単なご紹介。
一人はG君。もう一人はS君と言います。
闇鍋の舞台となった場所は、G君のアパートでした。G君の部屋は広い!というか物がないのです。コタツに小さな本棚の他には、でっかいテレビとプレステなどのゲームとそのソフトがたくさんあるだけ。いつもみんなの溜まり場になっています。
「いいんじゃない」「フ~ン」「どっちでもいいよ」というのが口癖のポカ~ンとした性格。ゲームのこと以外には無頓着。
小学生のとき、一人で『ウメボシ食べてスッパマンごっこ』と称して、一度に30個食べて気分が悪くなって入院したという逸話の持ち主。
少し変わり者。でも周りのみんなをホッとさせる存在である。
もう一人のS君はおもしろい?ヤツである。
彼とは、お笑い好きという共通点があり、よくファミレスなどで内容なしのバカバカしい話を数時間したりしていました。
北陸出身で、大学時代は私に影響をされて関西弁モドキを喋っていました。
私は徳島出身なので、正確にいうと関西弁モドキのモドキである。
関東近辺の会社に就職。職場に関西出身の先輩がいたが、関西弁モドキは喋りたくても、恥ずかしくて喋れない。
その先輩に影響されたかのように見せかけて、徐々に喋れるようになったそうな。
見た目は、実写版ミッキーマウスの出来そこない。なのに大学時代の一時期キムタクに憧れ髪を伸ばす。クセ毛で頭爆発!輪ゴムで止める。
就職してすぐ買った自慢のホンダの車。オートマだったことを散々言われ、一年後同じ車のマニュアル車を購入。
S君とその車でドライブ。車中で聞いたCD。帰って見たCDTVの最新アルバムチャートベスト10のうち、8枚をドライブ中に聞く。
とにかく、いろいろなことにすぐ影響される男である。またとにかく、女性にモテナイというカナシイ共通点もあります。
さて本編に戻ります。
買い物を終えて、G君のアパートに行き、まずはおでんを作り食べました。
と言っても、材料を適当に入れて、即席のおでんの元を入れるだけ。味のほうはまぁこんな感じというものでした。
「さぁ闇鍋、闇鍋」
ナンダカンダで変に盛り上がります。
G君の部屋には、カセットコンロがなかったので、一人ずつ台所に行き、材料をおでんの残りに入れるという方法を取りました。
鍋はふたをして、弱火の状態。材料を入れるときだけ電気を消しました。
最初に私。そしてS君、G君の順番。
G君が戻ってすぐ、我々3人は顔を合わせます。みんなニタニタ笑っている。
「どんなん出来るんだろうな~」
ここでG君の一言が我々を凍りつかせる。
「あのさぁ、プラスチィックって体に悪い
んだっけ?」
「ああ~ん!アホか!お前!そんなもん喰
えるわけないだろ!!」
「どういうことやねん!プラスチィックっ
て!」
「いやさぁ、卵豆腐入れたんだけどね。形
崩れるんじゃないかと思ってね。だから
さぁ、そのまんま入れちゃった」
「あかんよ!そんなん!だめだめ。頼むよ
勘弁してよ!」
「ふ~ん。ンーじゃあ、取ってくるよ」
G君はあわてるそぶりも見せず、台所へ。私は不安になりS君を見ます。
「お前、変なもの入れてないだろうな」
S君は、G君のプラスチィックにはさすがに驚いていたのに、すぐ立ち直り、不安で仕方のない私のほうを見て、ニタニタ笑っています。
「だいじょうぶかな~」私は本当に心配になってきました。その数分後、それは現実のものになってしまいました。
そしてその時!歴史は動いた!
…え〜と、平成7年の11月ぐらいかな?
生ゴミのにおい?ナマゴミ?生ゴミの臭い!?
台所から、とんでもない臭いがします。冗談ではなく、本当にナマゴミの臭いがするのです。
出来たての生ゴミの臭い。
「ちょっ!まっ!なんだこの臭い。え~?」
私は目を丸くしながらS君を見ます。
「オマエ!なに入れたん!」
S君は私の方を見てニヤニヤしています。
「これはあかんよ!」
私は、戸を開けて台所へ。ものすごい臭い!思わず!手で鼻を押さえる私。
恐る恐る、鍋のふたを開ける私。こりゃまたびっくり玉手箱!!
むらさき?ムラサキ??紫!?
ドロドロのどす黒いムラサキ色。魔女の毒薬のようにブクブク泡立っています。
そして鍋の中央には、なにやら木の枝のようなものが…
「お前…なに入れたん?」
ニヤニヤしているS君に、私はあきらめに近い心境で尋ねました。
「ぶどう」
「ぶどう!ええかげんにせ~よ!オマエ!
どうすんねん!これ!」
「いや~ぶどうの実がこんな感じになると
は思わんかった。はっはっは」
オタマで鍋をかき混ぜると、ぶどうの皮のようなものが湧き上がってきますが、実として原型のあるものはありません。
「全部溶けてなくなっているやないか!」
「ヒャハッハッハ」
そんなこと指摘してもしょうがない!わかっちゃいるけど、なんじゃこりゃ!
闇鍋であるので、電気を消して食べると言うのがルールなのですが…
「こんなもん!電気消して食べられへん!
危なすぎるわ!」
食べ物である以上、捨てるわけにもいかない。とりあえずは食べてみるということに話がまとまりました。
火を消して、鍋を部屋に持っていくだけでも鼻が曲がるようなニオイ!
オタマで魔女の毒薬鍋をかき混ぜます。とんでもない香り!ムラサキの毒薬の表面に得体の知れないものが浮かんできます。
「ヒャハッハッハ」「これすごいね」
「とりあえず喰わなしゃ~ない。食べんか
ったらバチ当たるからな」
私は自分の入れたサンマの切り身を、皿に載せて食べてみました。一旦口元に持ってきてしばらく見つめます。スッゴイ臭い!覚悟を決め、意を決して食べました。
「…ん!ま~喰えるやん。口の中入ったら
臭わへんで」
「これすごいね」
G君がオタマでワンタンをすくっていました。紫色のワンタン!
「ヒャハッハッハ」
こんな感じで、このオゾマシイ魔女の毒薬鍋パーティーはしばらく続きました。
その間遅れて後の二人もやって来たのですが、チラッと見ただけで鍋には一切触れず、鍋から一番離れたテレビの前に座り、我々のほうは一切見ずに、二人でなにやら進路のことなどを喋り始めていました。
五人は仲が良いのですが、この二人は我々に比べて常識人。ノリは悪いわけではないけれど、さすがにこの魔女の毒薬鍋にはついてこれなかったようです。
G君の活躍はすごいものがありました。私の入れたバナナやキュウリをパクパク食べます。
「けっこう食べれるよ」
私も頑張ったのですが…
強烈なニオイにダウン寸前!おでんの残りのムラサキの大根で戦意を喪失してしまいました。
そこにとどめの一撃!
私はサンマにキュウリにバナナ。G君はワンタンに卵豆腐にビーフジャーキー。
それは確認できたのですが、S君の入れた具材がぶどう以外に見つからない。
「お前って、ぶどう以外になに入れたん」
おそろしい答えが返ってきました。
「なにって、サケフレークにパジリコ入り
のバター」
サケフレークにパジリコ入りのバター!?
それにぶどう!!
ナンダカンダ言って、この瞬間まで私は楽しんでいました。この言葉を聞いて私は力が抜けてしまい、むなしさが漂う空虚感にひたってしまいました。
「俺は…こんなやつらと…青春時代の貴重
な四年間を過ごしたのか…」
一瞬だけど本気でそう思いました。
もちろん今もいい友人であり、一年前に四年ぶりに電話をしても、前と変わらず話が弾みます。持つべきものは友!なんだけれど…さすがにこのときはね…
「全部溶けてなくなってるやないか!お前
が入れたんは、鍋の具材じゃなくて調味
料だろ!」
あまりにもあきれ返ってしまい、私もなにを言っていいのかわからなくなりました。
「だってさ~ぶどうがこうなるとは思わん
かったから」
「え!あ~実がプカプカ浮いてるのを想像
してたんか?」
「そうそう」
「はっはっはっは……もう食べられへん!
どうすんねん!これオマエ」
「ていうかね。ニオイの原因は、俺はサン
マだと思うんだけどな~」
「はっはっはっは…この期に及んでなに言
うてんねん!百歩譲ってニオイの原因が
サンマだとしても、ムラサキの鍋って見
たことあるか?」
「ヒャハッハッハ」
………
この後何年かに一度はS君とこのニオイの原因の話をします。
サンマだ!なんでやねん!ぶどうだ!
鮮明なる記憶。ケタケタ笑い。薄っぺらな思い出。後悔の念。食べ物に対する罪悪感。後に残った空虚感。これが今となって思う闇鍋に対する私の感情である。
それではこのオゾマシイ魔女の毒薬鍋パーティーの結末をどうぞ!
「これどうする?捨てるったってどうすり
ゃいいねん?」
そのとき私とS君のやり取りを静かに聞いていたG君が突然立ち上がり、なにも言わず鍋を持って台所のほうへ。
「えっ!どど…どうすんの?」
G君はなにも言葉を発せずに、機械のような動き。台所の隣のトイレのドアを開け、便器にムラサキの液体をドバドバドバ……
レバーを引く。ジャ~。終了!!
グルグル廻りながら便器の奥に消えていくムラサキの液体を私は一生忘れない。
もうこんなこと二度としない!
夜の山道ドライブ
2007年2月12日記載
私は、フラッと車でドライブに出かけることが好きです。
すぐ近くをぶらりと走ることが多いのですが、かなり遠くまで、人里離れた山の中まで行くこともあります。
夏ごろのことでした。
休みの日の夜に、徳島県の最高峰である剣山という山までドライブしました。
ポツポツと家のある集落の細い道を走っていたとき、一台の車がライトを付けたまま止まっています。
私はいったん止まり、しばらく待っていたのですが、前の車は動こうとしないので、横をすり抜けることにしました。と、前の車のライトの照らす車道に一匹の野ウサギがいました。
「あっそういうことか。だから止まってい
たんだな」
野うさぎは驚いて逃げていきました。
「なんかこの車の人に悪いことしたかな」
なんて思いましたが、仕方ありません。
それよりも野ウサギなんて町中に住んでいる私には、見る機会がありませんから、なんとなく得をした気分になりました。
「また見たいな」そう思って、辺りを気にしながら走ることにしました。
夜道などで、何かが動いたような気配がすると怖いものです。でも動物がいるかもしれないと思うとそんなことは吹っ飛んでしまいます。
「あっ!なんか動いたような」
周囲に目を光らせます。
そして道路工事で使うショベルカーなどが置いてある道沿いの空き地で、ついに動物を見つけました。
「あっ!リスかな?」
車を止めて、ライトをリスに当てます。しばらくこちらの様子を見ていたリスは、さっと暗闇に姿を消しました。
「今度はリスか。おもしろいな」
その後も何匹かリスを見つけました。最後に見たリスがとてもおもしろかった。
道路にいるリスは、逃げるときアスファルトの道路をしばらく走り、サッと山に逃げこむのですが、そのリスはずっと道路を走り続けたもです。時間にして3分ほど。時速は30キロほども出ていました。
追っかけている途中から、かわいそうになってきたのですが、細い山道の下り坂で時速30キロだといいペースメーカー代わりだし、全力で逃げるリスの後姿は、なんとも健気で可愛らしいのです。
急カーブのところでようやく山の中に消えていったのですが、しばらくその場に車を止めて、その余韻にひたっていました。
しばらく後に、今度はシカを見ました。りっぱなツノを生やしたオスのシカでした。
これも良かった。
出くわした瞬間は、前のうさぎと違って大きくて怖かったのですが、10メートル程の距離でしばらくこちらを見ていたシカは、スッと林の中へ身を隠していきました。
この野生の動物たちとの出会いに、私は心トキメク気分になりました。
そこで秋になってから、池田町から大歩危小歩危、剣山を通って徳島に戻るという夜の山道ドライブを行いました。
往復200キロ以上、6時間のドライブ。
暇ですね~
最初に出くわしたのは山道に入ってすぐ。
なんとイノシシ。
道にいたイノシシは私の車に驚いて、猛スピードで逃げて藪の中に飛び込んでいきました。徳島県にはイノシシがかなり多く生息していて、畑を荒らすなど被害も多いそうです。
次に出くわしたのは、タヌキでした。
タヌキは他の動物と違い、私の車に驚くのは同じですが、道沿いを猛ダッシュで逃げるようなことはせず、いた場所からスッとすぐ山に逃げ込みます。
次に出くわしたのは…タヌキ。
その次は…タヌキ。タヌキばっかり。
最初はうれしかったのですが、こんなにいっぱい見ると、どうでもよくなります。
「ん!またタヌキか」
山の中と言っても、民家の多い場所。こういうところに、タヌキはいっぱいいるみたいです。
「なんかいる…タヌキと違う。なんだ?」
明らかにタヌキと違う動物に、私は興奮しました。しかし…
「あら!ネコか…」
タヌキに混じってネコ。リアクションもイマイチ。いた場所からゆっくり移動。私の車のほうをただじっと見てるだけ。
結局最初の2時間ほどで見たのは、イノシシにタヌキにネコ。
そのうちに民家もなくなり、なんとか別の動物にと、私の期待は高まります。そしてついにそのときがやってきました。野ウサギです。
野ウサギのリアクションは、リスとタヌキの中間ぐらい。サッと山の中に身を隠すものもいれば、道路を猛ダッシュでしばらく逃げるものもいます。
なかなか楽しい。そのうちにリスも混じってきました。リスはやっぱりリアクションがいい。最高である。
タヌキやネコはイマイチ。リスやイノシシそして野ウサギはすばらしいパフォーマンス。私は酔いしれました。
遭遇した動物は、イノシシ1匹、タヌキ7匹、ネコ4匹、野ウサギ7匹、リス5匹。
大満足の夜の山道ドライブでした。
野生動物との出合いは他にもあります。
大学時代に私は、サイクリングクラブに入っていました。大学のあった山形や北海道や九州など、いろいろなところを自転車で走っていたのですが、けっこう動物とも出くわした経験があります。上記の動物以外ではキツネやサル、そしてカモシカも見たことがあります。
北海道では、キツネやシカや牛をよく見ましたし、九州の都井岬では馬を見ました。
牛と馬は道路のすぐ側に牧場があったためいたのですが、都井岬の馬は、道路にいたような記憶があります。
ただし野生の動物に出会うことはいい思いをするとは限りません。カモシカと初めて出会ったとき、私はがっかりしました。
みなさんは、カモシカと言えばどういうイメージがあるでしょうか?
切り立った断崖絶壁をピョンピョン軽やかにジャンプするイメージでしょうか?私もそうだったのですが…
見た場所は、山形県の笹谷峠に行く県道の小さなドライブインの横の畑の中。
見た瞬間私はブタかと思いました。お尻を向けて、ゆっくりのっそりと奥の林の方へ歩いていました。灰色っぽい、みすぼらしい毛並み。
「あれ?もしかして…」と思う反面、
「そうでなくてほしい」とも思いました。
イメージが崩れる!その私の思いはもろくも崩れ去っていきました。私に気が付いたのか?立ち止まってゆっくり私のほうを見ました。
「やっぱり!カモシカだったか…」
うれしいけど…なんとも残念…イメージが…
「今までは水に流そう!突然だったから。
わかってるって。さぁこれからが本番!
ピョンピョンってジャンプして逃げてく
れない?」
私のこの切なる願いのむなしく、カモシカはゆっくりと顔を戻して、ゆっくりのっそりと林の中へ消えていきました。
なかなか見ることができない野生のカモシカを見た!のに…私はしばらくその場にぼうぜんと立ち尽くしていました。
「あ~あ…見なきゃよかった」
さかな大好き!
2006年12月13日記載
私は魚が大好きである。
肉も好きだが、脂身がどうしても苦手だ。
から揚げなどで脂身がカピカピだといいけれど、煮たり炊いたりした脂身はどうにもこうにも…である。
その点、魚に関しては苦手なものが一切ない!な~んでも食べる。おいしいな~さかなは!
ということで、私が好きな魚料理をご紹介しましょう。ン~ワンダフォ~!
焼き魚!私はさかなは焼き!が基!本だ!
と思ってま〜〜
な~つっても!アユの塩焼き!これ最高!
養殖ダメダメ!天然!これこれ!
子供の頃↗父親↘釣ってきた↗アユ↘塩焼き↗うまかったな↗イヤー!
アユはスイカ↗香りがする↘別名香魚ってね!これってホント!フシフシ不思議!
背中をガブリ!この一口目≪うまいってね~!ほかのトコもま〜うまい↗あ~たりまえ~
きもっ肝↘↗ま~喰える〜フゥー!
最後に内蔵〜テキトテキトに取った→薄〜い腹の身ペラっペラ!苦味の効いた〜香ばし〜い→う!ま!さ!
釣りたて↔天然アユ↔塩焼き!な~つっても
これ1番!
ヤバイヤバイ!オサエロ〜
次は太刀魚!これもいいね~
なんと言っても味が濃い!ただ小骨が多くて、これやっかい!
内臓の部分の黒い皮は、う~ん気持ち悪いね~その中にたまにある卵!これはあんまりうまいとは思わないな~って!
焼いた太刀魚はうまいっちゅ?
チヌの塩焼きもグット!釣ってきたのが最高!半身は刺身で残りを骨ごとぶつ切りにして塩焼きに!すぐに食べずに冷蔵庫へ!次の日レンジでチンして食べる!水分が適度に抜けて最高にうまい!なかなか釣れないのがネック!レス!ん?
他にもサヨリ!サンマ!ブリ!塩サバ!アジの開きetc!もちろんうまい!
最後に『ぼうぜ』という魚をご紹介!一般的にはイボダイという名前!
フナみたいな海の魚!パッと見はとてもうまそうには思えない!けど最高!
太刀魚に似た味。味が濃い濃い!小骨が全く気にならない!食べやすいね~ワォ~!
一匹でごはん一杯は絶対いける!!
…ん!…ま~そうか…そうか…以上…↘↘↗↗
煮付け!これも〜いいな~セイヤ~!!
カワハギ!メバル!カレイ!サバの味噌煮!ブリ大根!もちろんうまい!
しか~し!なん〜と言ってもグレ!であ~る!もちろん釣ってきたやつ!これ最高!
煮付けはさかなの身を全部たべられる!グー!頭と骨に付いた身!ホゼ食って食べる!
うまいね~って!貧乏くせ~!
釣りたてに比べりゃ!スーパーで売ってるのなんてうまくな~い!なんて言うまでもな~い!
天ぷら!いいね~柵っ浮葉ぁ銃紙ぃ〜
キス!イワシ!アジ!いけるね~!
でもでもでもでも!ハゼ!これが一番!もちろん釣ってきたやつ!サクット衣!中身はうま味たっぷりジュウシ~!キュ〜☆
独特の?泥臭い?におい?ノンノンノン!
ヤ♡ミ♡ツ♡キ★
最後はアジのお寿司にアジの南蛮漬け!
これはうまいね!釣ってきたや~つ♪
アジのお寿司は最高!何とな〜く高級感!
南蛮漬け〜カモ〜ン!小さい〜のはあんまり浸けないのがいい!大きいの〜はたっぷり浸けているのを!骨〜も尻尾近くの固〜いトコロもバリバリ!バリッと!
喰う!喰う!喰う!……あれ↗ま?!
口の中を切って↘血のにおい?最高!!!
いや~さかなはいいね~さかな!サカナ!魚!差かな!肴!鎖かな?
以上!ハイテンションで文章は書けるか?でした~~ハァー……
今度は、ピカソの絵のような文章は書けるか?に挑戦してみるか!
*誰か私の代わりに編集してくれないかな…普通に書いていたらつまらなかったので、昔の私はハイテンションにしたそうです。
2022年2月12日記
ノーベル賞
2008年4月29日記載
ノーベル賞は「ほしいな」と言っていれば貰えるもの、ではありません。この賞を貰うには、人々のためになるすばらしい功績を遺さなければなりません。
そしてノーベル賞がほしいがため、に頑張った人で、貰った方はいないと思います。
私はどうせ生きるなら、多くの人に認められたいし、尊敬されたいと思っています。そして、ノーベル賞を貰いたいと考えています。必ず取ってやる!そのような心境です。
そんなことを考えている上に、ホームページに書いている。私はノーベル賞を貰うことは絶対にないのでしょうか?
(注意)ネタがないので、メチャクチャ書いています。ので、あしからず。
ほしいですね~ノーベル賞!
ノーベル賞にはいろいろ種類があります。
『究極の取らぬ狸の皮算用』
どれがいいかな〜
物理学賞!化学賞!生理学医学賞!文学賞!平和賞!経済学賞!の六部門!
とりあえず最初の三個は、私にはもう無理なのであきらめる。経済学賞もありえない。興味ないから。と言うわけで、残ったのは文学賞と平和賞である。
文学賞か~私の文章力もなかなか捨てたものではない。徳島新聞の読者投稿に3度も掲載された実績があります。【納得できる人生、犬との交流、木工家具職人】
しかも5回投稿しての3回です。高確率!
ボツ作品は【携帯ショップの人、イタドリとカキ氷】
でもどうでしょうか?みなさん!
短文紹介の文章を読んで私はノーベル文学賞を貰えると思うでしょうか?
シンキングタ~イム!って無理でしょうね~はっはっは!
考える価値もない!どう考えても無理!あなたはなにを言ってんの?
という御意見が大半でしょう。
私は、結論としてはみなさんと同じです。でもその理由はみなさんとは少し違います。
私がノーベル文学賞を受賞する才能がないと誰が言えるでしょうか?それはみなさんも同じです。誰にだってその可能性は少なからずあるはずです。
「絶対に無理」と思うのは自由です。
でもそれは自分の尺度で考えたこと。それを他の人に強制することはしてはいけない行為だと私は思います。
『ゼロではなくてほぼゼロ』
人生の大半を占めることになる、ありふれた生活を過ごす中で、こんな風に思っていると、なんでもないようなことが、なんだかほんの少しだけ楽しく感じるものです。
正確に言うと、私がノーベル賞を貰えることは絶対にない!こともない。である。
受賞するではなく貰えると書いた時点で絶対にない!でしょうけれど…
さて、このデタラメな文章に、とりあえずなにかしらの意義ある内容を強制的にねじ込んだと思い込み続けます。
残りは平和賞か…どうしようかな~
とりあえず、今までろくなことをしてこなかったから、これからは何をするにも慎重に熟慮して、自分が正しいと思ったことばかりすることにしよう。小さなことからコツコツと。
私にも資格はある『ゼロではない』
いつかノーベル平和賞を『受賞』
できるようガンバロウ!
『ツッコめないボケ』…
私の最も得意とする分野です。
福祉の理念の理解について
2008年9月20日記載
これはホームヘルパー2級の講座を受けていた時に書いて提出したレポートです。
結局介護の仕事は自分には向いていないとあきらめましたが、このレポートはかなり上手く書けたと思ったのでご紹介します。
ホームヘルパー2級講座レポート
福祉の理念の理解について
平成20年5月24日
福祉の理念とは、すべての人々に『人間らしい生活』の保障をすることである。
人は誰でも、自分らしく生きたいと思っています。しかし障害者や高齢者のように、自分自身の日常生活動作(ADL)を人の助けを借りなければできない、いわゆる社会的に『弱い立場』の方々は、自分らしく生きることが困難です。
そういう方々に自分らしく生きるために、普通の生活をしてもらうべく、福祉の仕事に従事している人はもちろん、社会全体でそれを実現させていくことが福祉の基本理念であり、ノーマライゼーションの思想と呼ばれています。
1950年代に、北欧で生まれたこの思想は、人の正しい生き方を表現したもののように私には感じられました。
人は誰のためでもなく、自分のために生きたいと私は思います。自分よりも人のために生きるなんてつまらないから。でも自分のことが一番大事だからと言って、自分のことしか考えないで生きることは、間違っていると思います。
人は誰でも老いてくるし、いつどこで障害者になるかわからない。
もし人がそれぞれ自分のことしか考えていなければ、自分がそうなった時に誰も助けてくれません。もしそうなった時どうしましょう。
あきらめて「まあしょうがない」なんて想像しただけでも怖くなります。
人の正しい生き方とは『自分のために人のためにも生きること』だと思います。
自分のために、まず周りにいる人のことを考える。できる限りのことはする。
その上で、自分のしたいことをする。
それが人の正しい生き方であると言うよりも、その人が一番良い人生を送ることができる、つまり『幸せになる秘訣』ではないかと私は考えています。
これから福祉介護の仕事をするにあたり、高齢者や障害者の方たちに、こういう気持ちで接していきたいと考えています。
まずはできるだけ普通の生活をしていただけるように努力する。
そしてその人が自分らしく生きていくために、若い頃や健常者と同じことをすることができないと悲観的にならないように、今までしなかったこと、今までできなかったこと、年をとったからこそできること、障害者だからこそできることを一緒になって考える。
その人が前向きに向上心を持って、ある意味では、介護を受ける以前よりも、より積極的に生きていただけるように努力する。
そういう仕事をしたいと考えています。
仕事とは?
2009年3月12日記載
仕事とはどういうものなのでしょうか?
去年の4月に、徳島県若年者就職サポートセンターでカウンセリングを受けました。
その頃は目指していた木工家具職人を諦めて、介護職に就こうとホームヘルパー2級の講座を受けていたのですが、どうも向いていないような気がしたので、どういう仕事をしたらいいのか分からなくなり、カウンセリングを受けることにしたのです。
カウンセラーの方から、
「仕事ってどういうものですか?」と質問されました。その時に、そういえば今まで仕事について、深く考えたことがなかったことに気がつきました。
その場で考えて出した答えが、いいなと思ったので、ホームページで書きたいと思います。
仕事は自分がしたいことをする。したくないことはしたくないから。でもそのしたいことが得意なことだったら、すぐできるようになって、飽きてしまう。だからその仕事は続かない。
したいことでも苦手なことなら、なかなか上達しない。失敗もする。でもしたいことだから、その仕事を続けることができる。
まとめると、
『仕事とは、自分のしたいことで、一番苦手なことをすることである』
私は仕事がなかなか続かないという視点で答えたのですが、少し考えただけでも、仕事の本質を捉えている気がします。
私はこのフレーズ気に入っていて、いつも頭の片隅に置いています。
悩まない罪
2022年7月11日記載
悩むことってしたくない↗
全く悩まない人はいないけど
私はいつも悩んでいる
悩むことが割と好き♡
悩んでいるとやる気が出ない↘
やる気がないと何にもできない↘
何にもしないとのんびりできる↗
悩みを理由にのんびりできる↗
だから悩み続ける訳ではないが
無駄ではなく必要だ!と思うから…
一日の1/3は寝ている時間
無駄ではなくて必要でしょう↗
悩むことは必要である→それは
人生をフルタイムで楽しむ秘訣
悩みたくない悩まないこと
それは人生の1/3を否定して
2/3に悪影響を与えてしまう
わかりづら〜い罪なのかもね…
非戦への思い
2024年2月14日執筆中
*現在ブログにて連載中
⭐PART①
なぜ戦争は無くならないのか?
今年3月末、坂本龍一さんが亡くなりました。YMO時代のテクノポップに、戦場のメリークリスマスやエナジーフローなど唯一無二の楽曲。
リアルタイムでも聞いていて、
坂本さんが亡くなった頃に、テレビで盛んに流されていて、やっぱりいいなと思いました。
そんな世界的音楽家である坂本龍一が、
音楽活動と並行して、晩年に取り組んだ活動の一つに『非戦への思い』があります。
その『非戦への思い』での、
なぜ戦争はなくならないのか?という問いに私なりに考えてみたいと思いました。
この世に戦争なんてなければいいのに…
それは人類共通の目標。でも今だに、戦争やテロ行為は無くならずにいる。
仕方がないかな… とも思う。
人間を含めた生命とは?そして人類の歴史を少し紐解けば、簡単には無くならないだろうな…
⭐PART②
戦争をするということは、
暴力により、自分たちの支配を広げてことを目的にそれ以外を叩きのめすこと。有史以来の人類の歴史で一度たりとも途切れたことはない。
でもそれは人類に限ったことではない。あらゆる生命は、生存競争の只中にある。同種同士でも異種に対しても競争競争…
食うが食われるか。生き残るや否や。子孫を残せるか否や。種の繁栄か衰退か。
食いたい。残りたい。残したい。させたい。それは全ての種の全ての個が、個々に願うこと。
個々がその願いを求めるのだから、
『戦う』ことは普通で自然なこと『非戦』なのは異常で不自然なこと。
歴史は語る。戦争は誰も得をしない。
結果は破壊、悲哀、憎悪、空虚感が支配する。でも本当に無意味でマイナスなのか?
⭐PART③
もちろん戦争は無意味でマイナスだ。
という結論は正しいと私も思う。戦争なんてしたくないし、巻き込まれたくもない。
でも… あえて疑問符にしてみる。
戦争は現在も世界のどこかで行われている。戦争は痛手や悲劇を被る。でも人類は発展進歩を続けていることも事実。
戦争で多くの人が犠牲となり苦しめられた。
でも… あえて思ってみる。戦争が人類の発展進歩のキッカケのような気もする。
戦争はあらゆる科学技術を発展させる。
そして古き悪しきことが破壊され、新しき良きことが生まれることもある。
そんな気がする。
歴史を少し再考すれば、事実かも…
でもシリアスで重たい話だ。
もっと慎重にゆっくりと、そして何度も繰り返して考えてみなければダメだろう。
⭐PART④
戦争なんて絶対ダメだ!と私は思う。
あえて… です。戦争とは本当に無意味でマイナスなのか?と思ってみる。
ここで比較対照として、戦争と同様に痛手や悲劇を生む天変地異のことを考えてみる。
地球は、生命の大量絶滅を何度か経ている。
火山の噴火や隕石の衝突、気候変動などが原因とされている。超新星爆発の影響なんてのも…
大きな大量絶滅は5回確認されており、
その当時繁栄していた生命が、同時期に7割から9割以上死滅してしまった。
絶滅してしまった生命にとって、
ただ単に不幸である。最悪である。普通に暮らしていたのに… 何もしていないのに… 突然襲った無慈悲な惨劇。悪夢である。地獄でしかない。
そう。そうなのです。
それは戦争に巻き込まれた全ての人に当てはまる運命であり、感情と同じである。
ただしこの2つには違いがあります。
大量絶滅の原因である天変地異は、確立の問題で起こってしまう。でも戦争は意図的に起こらなくする可能性がある。
その戦争を意図的に起こらなくする方法を、模索しているのですが…
⭐PART⑤
… 実は書きながら考えています。
どんな結論になるのか?下手ならボツになる。でも普通の結論にはしたくない。
いろいろ組み合わせて『非戦の思い』の新たな手法なり概念なりを書きながら捻り出したい。
では2つについて結果の比較。
天変地異による生物の大量絶滅の場合。悠久の暫し後、生き残った生命が再び繁栄する。そして主役の生命が進歩している事実。
有名な隕石衝突による恐竜の絶滅後に、地球の生命の主役は、爬虫類から哺乳類に変わります。
変温から恒温動物へ、卵生から胎生へ、
生息域も拡大、脳も発達など、爬虫類より哺乳類の方が生命として優れています。
他の大量絶滅も同様に、当時繁栄していた主役の生命は絶滅する。その後主役の座を得る生命は、前時代の主役の生命より優れた特徴を持つ。
もちろん前代の繁栄した生命は、
全てが絶滅するという訳ではない。だけど虫にしろ両生類、爬虫類にしろ、大抵は小型化したりして地味な脇役となる。
そしてかつて主役の生命が、再びその座に返り咲いた例は今のところない。
例えば恐竜の子孫である鳥は、大繁栄しているが主役ではない。ワニやコモドドラゴンも、人間に保護されている存在だ。
⭐PART⑥
では戦争その後について。
人類の歴史は、戦争抜きには語れない。
自分の願いを叶えるべきの競争。でも如何なる理由があれ、戦争は無秩序な暴力行為。多大な被害や悲劇を与える。
時代を経るにつれて、そのスケールは肥大化。
20世紀の2つの世界大戦で、今のところのピークを這える。
その最終局面に登場した、史上最悪最強の大量破壊兵器である原子爆弾… でも今のところ破綻をするには至っていない。
それはどうしてか?戦争その後に、
戦争を引き起こした原因や旧体制は、痛手を受けて後退し縮小。代わりに二度と同じことがないように秩序や倫理に新体制が生まれるからだ。
国際連盟の設立。核軍縮不拡散条約。
宇宙船地球号の倫理。憲法第9条。経験者の悲惨な体験談の継承。広島長崎の平和への願い。非戦を訴える世界中の人々の声。
戦争を繰り返し、繰り返し経験して、
少しづつ少しづつ、戦争は絶対にしてはいけないと人類の心に刻まれていく。
そして戦争やいくさは、
現行の人間社会を改善するための手段でもある。あるいは原因とも言える。
大和朝廷による国家の成立。壬申の乱後の律令制の確立。源平合戦後の実力主義支配の実現。戦乱の世から平和を実現した徳川幕藩体制。戊辰戦争後の民主化に身分制度撤廃への道。
後戻りすることなく、少しづつ少しづつ、
人間社会は進化進歩を続けている。それを妨げる要因は不満の限界を超えると、戦争やいくさを経て、取り除かれる傾向にある。
⭐PART⑦
しかし如何に正当化しようとも、
戦争は無秩序な暴力行為。多大な被害や悲劇を与える。戦争は絶対にしてはいけない。
戦争は科学技術の発展を促す。敵を倒すために優れた武器が発明される。それらは戦後、平和利用されて人間社会を進歩させる。
人工衛星、月面着陸、コンピュータ、ドローン、GPS… いくらでもある。城造りに河川工事など戦国時代は治水工事が飛躍的発展とか…
また何でもありの無秩序な時代。
前時代の常識や権威、伝統に囚われず、自由な思想や優れた発想が生まれ進歩しやすい。
しかし如何に正当化しようとも、
戦争は無秩序な暴力行為。多大な被害や悲劇を与える。戦争は絶対にしてはいけない。
でも人類に人間社会にとって、
戦争がより良く進化発展するキッカケであることを否定することはできないでしょう。
つまり天変地異による大量絶滅と、戦争による多大な被害や悲劇も、その後を考えると絶対的マイナスではなくて、むしろ進化進歩のキッカケになっていると言える… と思います。
これが私の考察の結果です。けれど…
⭐PART⑧
天変地異は確率の問題で起こり、防ぎようがないから仕方ない。
近年日本を襲った巨大地震。多大な悲劇と被害を与えたが、巨大な防潮堤、盛んに行われている耐震補強工事である程度は防げる。
もっとも壊滅的被害をもたらす天変地異は、人間の文明社会発祥以後は起こってはいない。
でも悠久の歴史を紐解いてみる。
例えば20万年前の阿蘇山のカルデラ大噴火が今起きれば、日本はほぼ消滅するだろう。
ずっと先の未来には、巨大隕石の衝突、超新星爆発による地球上の生命への壊滅的被害など…
この場合は… 諦めるしかない。
でも戦争は人為的行為。防ぐこと、少なくとも肥大化しないようにできる。そう信じたい。
戦争を繰り返し、繰り返し経験して、
少しづつ少しづつ、戦争は絶対にしてはいけないと人類の心に刻まれていく。
言い方を変えれば、
人類の脳のプログラムが変化していく。
刻まれて変化して、戦争をしなくなる、少なくとも肥大化しないようになっていく。
それに期待する。もちろん期待する。
でも少し積極的に、私なりの何か新しい具体的な手法やビジョンを提案してみたい。
それができれば『非戦への思い』の私なりの意見となるからです。実はまだ分からない。書いてるうちに… を期待してトライしてみます。
⭐PART⑨
非戦とはなんぞや?から始めよう。
ネットで調べると戦争を否定すること。どんな戦争もいけない事だと主張する態度。
だそうだ。戦争つまり暴力を否定する。
そしてもう一つ『非戦論』なるものがある。
戦争および武力による威嚇や行使を否認し、戦争ではない手段によって問題を解決し、目的を達成しようという主張、社会運動。
とある。非戦論は日本では明治時代に云々はカットして… 同じ目的である平和運動よりも非戦論の方が私の感覚にマッチしている。
戦争に反対して平和を訴える平和運動。戦争を否定して別の解決策を考える非戦論。
あくまでもイメージとしてですが、
戦争はダメとして平和を押し付ける平和運動。戦争することを別の手段に置き換える非戦論。
争いが起こることは自然のこと。
それをするなと言うのは不自然なこと。
争いは必ず起こってしまう。
その争いの解決手段を、暴力行為から別の手段に置換できれば、そりゃ〜いいに決まってる。
でもそう簡単ではないだろうな…
⭐PART➉
争いの手段としての暴力行為
それは人間を含めて生命体にとって、
極々普通の行為だと私は思う。逆にそれ以外あるのかなと思うくらい。
この文章の主題は戦争をなくすこと。
国や人同士の問題や争い、支配欲を満たすために暴力的手段である戦争をなくすこと。
でも暴力行為はそれだけじゃない。
種の存続や繁栄のために… だけじゃない。生きていくために食べる。そのために…
鳥が生きるために虫を食べる。リカオンが集団で生きたイボイノシシの肉を引き裂く。
虫やイボイノシシにとって、生まれたことを後悔する地獄の断末魔。鳥やリカオンは地獄行き確定の残虐非道の殺戮魔。
よくよく考えれば、地球上の生きとし生ける生命体は、暴力行為のオンパレードなのだ。
*この文章いつ終わるのかな…
⭐PART⑪
そして人間にしても同じである。
生きるために、子孫を残すために、自分自身のために、暴力行為をしてきた。
でもそれは自然なこと。普段の生活を少し考えてみても… そうなんですよ。
食料確保なんて全て、である。
縄張り争いとかも… 水の豊富な平地は人間が他の動物を追い払って占領している。
そして同種同士の殺し合い。戦争なんて愚かな行為をするのは人間だけだ!なんてよく言うが、そうでもない。
オオカミは、縄張りに侵入したオオカミを容赦なく殺してしまうらしい。
クマやライオンには、自分の子孫を残すために、オスが子連れのメスの子供を殺してしまう『子殺し』なんてのがある。
ため池にて、魚を食べ尽くし食糧不足に陥ったブラックバスは共食いをする。
タチウオも共食いをするらしい。その習性を利用したタチウオに似せたルアーがあるくらいだ。
全ての種とは言えない。でも、
少なくとも人間だけじゃない。地球上の存在する生命にとって、同種同士で殺し合うなんてよくある普通のことなのだ。
⭐PART⑫
ならば現状このままでいいのか?
ロシアのウクライナ侵攻やアフリカの民族紛争など今も戦争は絶えない。
このブログに終わりが見えず、ダラダラ続けている間に、ハマスの奇襲攻撃からイスラエルによるガザ地区侵攻が始まった。
ハマスの一般市民の無差別殺害に人質拉致。イスラエル軍の避難場所や病院への空爆等。報道されない残虐非道な行為もあるだろう。
如何なる理由も正当性もない。
かつての日本国も同様の行為を、中国や東南アジアで行っていた。
私がもし兵士なら… と考える。
いつ死ぬか分からない。なぜこうなったかも分からない。でもしょうがない。
非日常の極限の現状を頭に浮かべる。
戦況不利での死への突撃。一般市民への虐待に暴行などの人権蹂躙。そして惨殺行為。
私もしてしまうのか?
命令だから、みんなしているから、どうせもうすぐ死ぬのだから… それもある。
でも本当に怖いことは、
そんな行為をしてしまうのか?ではない。するのか?でもない。そんな残忍な行為をしたくなるのではないか?である。
今の私には現実的ではない。
おそらくこれからもない。そして絶対にしないと思う。でもそんな状況下に置かれたとしたら、したくなってしまうのだろうか?
⭐PART⑬
戦争とは、する側に何らかの利益があるから起きてしまう。多大な戦費や犠牲をして余る益を得るためにするものである。
厳密にはそんなことは成立しない。
戦争とは、全ての当事国や当事者に、破壊と惨劇を生むのみである。
例え責められた側による、
一方的な侵略行為や、弾圧に立ち向かう正義の戦争であってもだ。戦争や暴力は、それ自体否定されるものである。
でもなくならない。現状の対策はどうか。
世界中で非戦への思いを訴え続ける。
そして戦争や紛争、テロが発生、もしくはその予兆があった場合も、マスコミだけでなく、最近登場の個人個人でSMSを駆使して、情報を世界中に発信する。
それは少なくとも戦争をし難くさせる。そして未然に防ぐことも可能だろう。
起こってしまった戦争に対しては、
アメリカやヨーロッパなどの軍事介入や日本もしている資金提供、国際連盟の仲介などで、とりあえずは破綻させないという現状である。
そして… それしかないかな…
現状を続けるしかないだろう。
続けていけば、少なくとも今よりも、より良くなるはずだからだ。なぜなら、
戦争のない平和な世界。
それは間違いなく、人類の抱く共通の理想郷であると、私も含めて世界中の人の願いであるはずだからだ。でも一つだけ…
⭐PART⑭
それは私を含めて人には、
心のどこかに、悪いことや酷いことをしてみたいという願望や欲望があることである。
決めつけるのは変か…
でもそうだと決めつけてもいいかな…
少し前に書いた、もし私が戦場で戦うことになったとしたら、残虐非道な非人間的行為をしてしまうのではないか?
その可能性を私自身は否定できない。
戦争のような事態でなくても、
殺人や窃盗や詐欺などの犯罪、イジメや誹謗中傷に差別や村八分、悪口に陰口、仲間外しにパワハラ・セクハラなど…
してはいけないと認識している。
だから私はしていない。でもたまに頭を過るヤッちまいたい衝動や想像。
やっぱり… 我慢している。
だから否定するのは不自然。その存在を認めることが自然であり、大前提なのだ。
人間の内面に潜むコレを、
悪さをしたいという願望を、何とかすることが、非戦への思いを実現することに、つながるのではないだろうか。
⭐PART⑮
これ… なんですよ。
人間の内面に潜む、悪さをしたいという願望を満たし、かつ実際にはしない方法。
私はこの方法の発見や発明が、
非戦への思いの解決策になると思い、この文章を書き始めたのです。
でも当初考えたそれは、非戦への思いというテーマには、あまりにも適さない。不謹慎極まりない内容でした。
何か他にないか?別の表現法はない?書いているうちに見つかるのではないか?
そう思って、この文書を長々と続けてきたのですが… ありませんでした。
これしかない。これ以上ない。他にない。これ以外に頭に浮かばない。
仕方がないので、そのままで載せてみたいと思います。真面目に考えて… ですよ。
その解決方法は、バーチャル・リアリティの進化と全ての意味での倫理の確立です。
⭐PART⑯
人は誰でも悪いことをしたい。
そんな衝動が心のどこかに秘めている。これが大前提。かつ除くことは不可能。
それをバーチャル、つまり仮想世界で、その衝動を満たすことができれば、平和な世の中が実現できるのではないか?
こんな感じのイメージ。
その仮想世界では、戦争したりや独裁者になったり、またどんな犯罪でも体験できる。
言い方はどうかは別にして、
その人にとって、絶対にしてはいけない悪いことを、心ゆくまで堪能できるのである。
そして仮想世界での体験後、現実に戻った人には悪いことをした実感がある。でもその具体的な内容は覚えていない。
少し詳しく書きます。
どんな悪いことをしたのか?
例えば『殺人をしたい』そのことは覚えていてもいい。でも仮想世界で『殺人をした』具体的な内容は記憶には全く残らない。
そんなバーチャル・リアリティを、
体験できる装置を発明できれば、非戦への思いを具現化できるのではないか?
なんてことを書くのか…
でも唯一でした。
これが私が思いついた唯一の解決策です。