収録文章

織田信長ちょんまげ説   08年1月3日
ニ番目が世界一?   08年1月5日
サヨリを釣る  09年4月5日
真面目  22年3月9日
公共事業の減らし方  10年3月26日
メチャクチャなのだ!  09年6月26日
〜のつもり  22年11月1日
YouTuberがいた  22年11月12日

織田信長ちょんまげ説
2008年1月3日記載

私は歴史に結構興味があります。
特に日本史はなかなかのもので、小学校の頃から『漫画少年少女日本の歴史』を暇があっては読んでいました。歴史上の出来事の年号や歴史上の人物の生没年にはやたらと詳しいを自負していました。

最近は歴史ブームと言いますか?テレビや本などで、歴史を扱ったものに触れる機会が多いような気がします。そこで歴史好きの私も何か書いてみようと思います。

別に日本史の謎という訳はありません。私の考えた2つの新しい説を紹介します。
【なぜ武士はちょんまげなのか?】
【なぜ天皇制は長く続いているのか?】
というものです。私の考えたこと。気楽な気持ちで読んで頂ければ幸いです。

【なぜ武士はちょんまげなのか?】

武士は中世日本の歴史の主役です。
その武士は、頭の前面から上部にかけての範囲の頭髪を剃り、残りの頭髪を結った髪型『ちょんまげ』をしています。

ちょんまげは鎌倉時代からあり、一般的な理由として、武士の兜などを被る際に、頭部が蒸れるのを防ぐためと考えられています。

戦国時代に武士の間で大流行、江戸時代には武士の髪型として定着しました。

『頭部が蒸れるのを防ぐため』
私はどうも引っかかるのです。なぜ引っかかるのか?貴族の冠について考察してみましょう。

なぜ貴族は冠を被っていたのか?
冠とは簡単に言うと帽子です。現代の我々が帽子を被るのは、基本的に外に限られます。

帽子を被る本来の理由とは、日光の直射を避ける、寒さを防ぐ、頭部を守る、髪の乱れを防ぐという実用的なものだからです。

貴族が冠を被るというのは、豪華な服装と同様に自分が一般の人とは違って、特権階級の人間であることを誇示しようとしていると考えられます。

つまりファションとして、豪華な帽子である冠を被るようになり、やがて身分や階級を示すようになったという訳です。

確かにこの説明で納得がいくのです。
だた規則だから特権階級の証しだからと言っても、四六時中貴族は冠を被っていなければならないというのは、大変ではないか思います。

今の時代、帽子を被っている人はもちろんいます。しかし建物の中で、帽子を被っている人はほとんどいません。

上記の考察を踏まえて、なぜ貴族は冠を被っていたのか?私はこう考えました。
私もそうなのですが、男性には頭髪が薄くなる人がいます。身分の高い特権階級である貴族の人の中にも、頭髪が薄い方がいたはずです。

そういう人たちが、自分のハゲた頭を見せるのが恥ずかしいので、それを隠すために、常に冠を被らなければならないという規則を作ったのではないか?と考えました。

中世ヨーロッパで、貴族がカツラを被っていたのも似たような理由ではないかと思います。

武士のちょんまげに話を戻します。
確かに武士の鎧や兜は重い。戦場では命がけで戦うわけだから、できるだけ体に負担がかからないようにしたい。
頭部が蒸れるのを防ぐために頭髪を剃るちょんまげは、理にかなった髪型だと思います。戦国時代に武士の間で大流行したのも頷けます。

そのちょんまげが、江戸時代になり平和な世の中になっても、武士の髪型として定着したことは、自然な流れだと思います。

では終わります。では面白くない。
ここからは、もしそうなら面白いから、何とか証拠をひねり出してみた、ただの作り話つまりフィクションです。

織田信長

戦国時代に活躍し、天下統一を目前に、本能寺の変で志半ばにして倒れた武士の英雄です。

私はこの信長が、ちょんまげを武士の髪形として定着させた一番の功労者ではないかと、まず最初に勝手に決めつけて、何とかその証拠を捻り出そうと考えました。

実は日本史に出てくる人物の肖像画を見ていて気がついたことです。
室町以前の武士や貴族の肖像画は、基本的にはほぼ全員が帽子(冠)を被っています。
僧侶や出家した武士や法皇などは、帽子(冠)を被らずにスキンヘッドです。

戦国時代になると、帽子姿が多いのは同じですが、加えて兜姿が目立ってきます。
そして織田信長や斎藤道三、浅井長政、朝倉孝景など、ちょんまげ姿そのままの肖像画が、登場しました。

安土桃山時代になると、加藤清正、石田三成、真田幸村、福島正則など、多くのちょんまげ姿そのままの肖像画が増えてきます。


江戸時代では、バリエーションがあり、有名な武士の肖像画は帽子姿が多く、町人や名もなき武士の肖像画は、ちょんまげ姿そのままが普通になります。


織田信長は、天下統一目前までいった戦国時代を代表する武士。朝廷の官位も正二位右大臣までなった人なのに、肖像画では冠を被らずに、ちょんまげ姿のままです。
普通の戦国大名や家臣クラスなら、ちょんまげ姿のままというのも頷ける。
でも有名戦国大名で、身分も高い織田信長の肖像画が、ちょんまげ姿そのままであることは、なんとなく違和感がある。
私にはそれがどうも引っかかるのです。

*ネットで調べてみたら、織田信長には帽子姿の肖像画もありました。でもなかったことにして話を続けます。
どうせ私のふざけた作り話だし…その肖像画イマイチなんですよ。
ちなみに肖像画は、著作権がどうのこうのあるかも…らしいのですが、有名なものばかりだから大丈夫でしょう。2022年3月8日記

そこで私は、こういう話を創作してみました。織田信長は若ハゲで、それをすごく気にしていたとします。そして戦国時代は、ちょんまげは大流行したわけですが、武士の髪型がちょんまげだと決まっていなかったとします。

戦国の世の風雲児である織田信長は、若い頃は恰好も行動も普通ではない異端児であり、尾張の大うつけと呼ばれていました。
後になにか偉大なことをする天才とは、常人には理解できないことをしたり、考えたりすることは歴史が証明しています。織田信長も歴史に名を残す天才です。

幼い頃から常人とはかけ離れた異端児で、天下統一を目標にしていた織田信長の唯一の悩みが若ハゲだったとします。

俺は天才やし、
天下統一なんぞ楽勝やけど…
どうにかならんのか!この頭は…
かっこ悪いっちゅうねん!
そのうち天下人になるんやで~ワシは!
ずっと帽子被るゆ~のも、邪魔くさいし、
そやゆ~て、出家しようにも…
神や仏を信じる?
アホくさ~てやってられへん!
…チッ…はぁ~…どうしょうかな~
これから、天下統一せなあかんのに!
下のもんで、髪フサフサのやつ見んのも
ムカつくし…ワシが一番エライやで!
…あっ!そやそや!
これからは、ちょんまげ以外あかんこと
にするか!
…それええわ!
帽子被らん絵とか描かせて…
なにゆ~てもやな~
ワシが一番エライんやからな…

江戸時代に武士の正式な髪形として定着し、町人も農民もちょんまげ姿になったのは、いつ果てるのかも知れぬ戦国の世を、天下統一に導いた織田信長のツルの一声だった?というおもしろ~い作り話を書いてみました。

こんな文章を読んで頂いて、本当に感謝しています。最後にこのフィクションを書いたまとめを書いておきます。

貴族の冠の下りでも書きました。ここでは織田信長にしましたが、当然フィクションです。
現代もそうですが、男性にとって薄毛は、由々しき問題です。私もそうです。コンプレックスに感じています。
いつの時代も、男性にとって薄毛は恥ずかしいこと。それは戦国時代を含めて封建制度下の支配者である武士も同じ。
大名や天下人ともなれば、大勢の人の前で威厳を保ち、偉そうにしなければならない。人前で薄毛を晒すのは、気になるし恥ずかしい。
兜を被る時、蒸れるからとかいう理由で流行していた髪を剃ったちょんまげ姿。それを武士の正式な髪型とすることで、堂々と薄毛を晒せる上に、特権階級を示す威厳のある髪型とした一石二鳥のグッドアイデア。
それを薄毛に悩んでいた身分の高い武士の誰かが、制度化したと考えることは面白いし、自然な感じもします。


2番目が世界一の国?
2008年1月5日記載

【なぜ天皇制は長く続いているのか?】

現在の天皇制は、第二次世界大戦後に制定された日本国憲法第1条により、天皇は国の象徴であり、国政には全く関与していません。
現在の天皇陛下は、神話の時代の初代神武天皇から数えて第125代目です。
*今は令和4年。天皇陛下は126代目になります。2022年3月10日記

世界には、日本と同じような皇室なり王室がある国はあるのですが、日本の天皇ほど長く続いている例はありません。
キリスト教のカトリック教徒の最高指導者であるローマ法王(教皇)は、二千年近く続いていますが、あくまで宗教の指導者です。
日本の天皇制が、なぜこれほど長く続いているのか?私は疑問に思いました。そこで考えてみることにしたのです。

現在の天皇は、弥生時代後期から古墳時代に日本の国を統一した大王の子孫です。つまり国の支配者であったわけです。
ところが時代を経るにつれて天皇は、直接政治を行うことがだんだん少なくなって、現在に至っています。

天皇や皇族が政治を直接行っていたのは、平安時代の前半まで。平安時代の中期以降は、藤原氏による摂関政治や、上皇や法皇による院政。鎌倉時代から江戸時代にかけては武士が政権を握り、明治時代以降になっても、天皇が直接政治に関与することはありませんでした。

でも日本の天皇制は現在も続いている。中国を例にしてみましょう。
中国の最初の統一国家は秦です。始皇帝はあまりにも有名です。でも秦はたった2代15年ほどで滅びます。その後中国は、
前漢 後漢 隋 唐 宋 元 明 清
と統一国家が登場しますが、王朝はその都度変りました。

国の支配者や権力者が変われば、それまでの支配者や権力者は滅びてしまう。ごくごく当たり前の世界の常識のはずです。

日本でも同じように時代によって支配者や権力者は変わっています。なのに最初の支配者であった天皇は滅びずに現在もなお続いている。

しかも歴史の記録上、暗殺された天皇は、592年に蘇我馬子に暗殺された崇峻天皇ただ一人だけ。戦いに負けて命を絶ったという例にしても、壬申の乱で自害した弘文天皇と、壇ノ浦の戦いで海に入水した安徳天皇くらい。

すごく不思議に思うのです。時代を経るにつれて天皇が神格化したから、現在も続いていると考えている人もいます。
神様なのだから、時の権力者も、天皇の権威を利用することはあっても、天皇家を滅ぼそうとはしなかったというわけです。

神話によると、天皇の祖先は天照大神であり、天皇は神の子孫なのだから、神格化しても不思議ではありません。
でも私はそういう理由だけで、天皇が現在もなお続いているとは思えないのです。
なぜ天皇制は長く、そして現在も続いているのか?私なりに理由を書いてみます。

天皇に関することを書くことは、大変デリケートなことであり、細心の注意が必要です。
しかし深刻にはならないはずです。だって私が考えたことなんだから…

現在の天皇は、日本国憲法によって、日本国の象徴と位置づけられています。
そのことと直接何の関係もないのですが、私は天皇という存在は、日本という国とそこに住む日本人のアイデンティティを象徴しているのではないか?と考えました。

日本という国の成り立ちを考えてみましょう。

日本は、ユーラシア大陸の東の端にある島国です。島国と言っても、太平洋上にあるハワイ諸島やミクロネシアの島々とは違って、大陸のすぐ近くにあります。
そしてその大陸には、世界四大文明の一つである中国がすぐ近くにありました。

通常は、文明の発達した大きな国が近くにあると、周りの小さな国々は大きな国から進んだ文化や知識などを得ることができる反面、常に大きな国から侵略される危険性があります。

ところが、日本と中国の間は、地理的には近いのですが、東シナ海と日本海という海によって隔てられています。そのため中国の優れた文化や知識は海を渡って日本に入ってきますが、軍隊はなかなか進入できなかったのです。
平安時代の刀伊の入冦や鎌倉時代の元寇にしても失敗に終わっています。

そこで古代の日本は、時の中国の統一国家に侵略されることなく、逆に友好関係を結んで、渡来人を招いたり、遣随使や遣唐使を送って、中国の優れた文化や知識を学んで、国を発展させてきました。

時代は下り戦国時代に日本は、ヨーロッパと交流し始めました。ここでもやはり日本は、ヨーロッパの優れた文化や知識のみを得ることになります。

世界は大航海時代。ヨーロッパ国々は中南米のアステカやインカ帝国を滅ぼしたりと、次々に世界各地を侵攻していました。

日本は中国の影響により、かなり文明の発達した国になっていたために、貿易の相手国として認識されたこと、地理的にヨーロッパからかなり遠かったために、侵略されることはありませんでした。
加えてキリスト教の広がりを危惧した江戸幕府が、鎖国という防衛策を採ったことも侵略されなかった理由の一つでしょうか。

幕末のペリー来航により開国し、ヨーロッパに加えてアメリカから優れた文化や知識を得て、近代の日本は先進国の仲間入りをしました。

欧米列強の真似をして、韓国併合や中国大陸に侵略戦争を行うという過ちを犯したのち、戦争に敗れて、歴史上初めてアメリカを中心とした連合国に占領されてしまいました。

戦後そのアメリカと友好関係を結び、現在はアジアを中心に、世界中の国々と交流する世界有数の経済大国として発展しています。

つまり日本という国は、その時代の大きくて進んでいる国と仲良くなり、地理的な理由から侵略されることなく、優れた文化や知識を吸収できて、自国の発展に結び付けているわけです。

私は、日本という国は『2番目が世界一の国』ではないかと考えています。

他の国の良い所や文化や知識は、素直に認めて抵抗なく受け入れる。そして受け入れるだけでなく、それらを日本という国や日本人に合わせるて作り変える、さらにオリジナルより進化させようとする。日本人は、そういうことに長けている気がします。

現代の経済発展の担い手である自動車産業や電化製品もそうだし、ラーメンやカレーはもはや日本食。ベースボールは野球となり、クラブワールドカップは日本で開催される。
最近になってようやく文化として認められてきたアニメやマンガやゲームは、日本が世界をリードしています。このように取り上げれば、枚挙にいとまがない。

日本の天皇制が、なぜこれほど長く、そして現在もなお続いているのか?時の支配者や権力者が天皇制を存続させた理由とは、

2番目がトップであると考える日本という国と日本人のアイデンティティを象徴しているのではないか?と私は思っています。

とまあ、こんな感じです。どうでしたか?説得力はあったでしょうか?
私としてはどちらでもかまいません。

それにしても2番目が世界一ですか?
書いた私がこんなことを言うのもどうかと思うのですが、やっぱり世界一が世界一ではないかと私は思います。

天皇制とは何の関係もありません。
ただ日本人の一人として、日本という国が、いつまでも2番目であることに甘えていないで、世界をリードする世界一の国になったらいいのにと、思っています。


サヨリを釣る
2009年4月5日記載

昨秋、私はサヨリ釣りにハマりました。
場所は今切川の河口。数も多いが、型も良い。ほとんどが25cm以上、30cmクラスも結構混じります。サンマのような40cm級も時には混じります。

仕事終わりの帰宅途中、車でフラッと今切川の河口に立ち寄ったところ、たくさんの人がサヨリ釣りをしていました。
普段釣りで賑わうような場所ではありません。興味を惹かれて見に行きました。結構釣れています。仕掛けやエサなどをチラッと見て、釣具屋で購入。休みだった次の日の朝早く、その場所へサヨリ釣りに行きました。

ところが、土曜日なのに昨日はたくさんいた釣り人が1人も見当たりません。
釣ってみる。全然釣れない。3時間粘ってもダメ。いろいろと試行錯誤。多めに買ってきたエサはまだある。けれど釣れない釣りはつまらない。帰ろうか…

時刻は午前11時を過ぎる。
…と、1人また1人と釣り客がやってくる。
ぼんやりとため息気分で眺めていた、発砲スチロールの赤いウキが横に走りました。ついに1匹釣り上げる。結局その後、3時間30匹ほどの釣果で納竿としました。
その釣り場は午後からが良く釣れる場所だったのです。朝は誰もいない訳だ。

刺身やお寿司にする。天ぷらにする。焼いて食べる。サヨリは美味しい魚です。私はすっかりサヨリ釣りにハマりました。

何がいいのか?まず費用が安い。
餌は刺し餌の赤アミと、撒き餌用の赤アミブロック1個で充分。これだけで半日は持ちます。仕掛けも全部で千円あればお釣りがくる。市販の仕掛けセットもある。

次に魚がいるのが見える。
仕掛けを投げて、撒き餌を出し魚を寄せて誘うために、竿をシャクります。
サヨリは口が小さく硬い。基本的に向う合わせではなく、掛かると合わせる必要がある。針に掛かる瞬間が見える。これがおもしろい。
引きもなかなか強い。40cmのサンマ級は特に強烈。しかも掛かると左右にジャンプする。見てて楽しい。

サヨリは表層の魚。だから根掛かりの心配がない。深さや地形など海中の様子を気にしなくてもいい。釣座選定が簡単で気楽。

秋は河口や防波堤で撒き餌をすれば、遠くからも寄ってくる。警戒心もさほどないので、ボウズが少なく、たくさん釣れます。

安くて気軽で簡単でおもしろい。そして食べて美味しい。それがサヨリ釣りの魅力です。また秋になるのが楽しみです。

真面目
2022年3月9日記載

『真面目』私が一番嫌いな言葉である。
真面目とは真正面から見るという意味。
人や物事を正面からしか見ていない。
これではよく分からない。
時計回りに90度の方向から見る。
少し先を見る。予測する。
もしくは、おもてなしの心。
時計回りに180度の方向から見る。
つまり人や物事を逆から見る。
本質を見極める基本。
また笑いの基本でもある。
時計回りに270度の方向から見る。
グルっと回りながら見る。
人や物事の全体が見えてくる。
人に注意し、叱ることができる。
さらに90度回転。
一周して真面目に戻る。
常にそれを繰り返す。
こういう『真面目』なら私は好きである。


公共事業の減らし方
2010年3月26日記載

私は警備員をしています。
その私が公共事業の減らす方法を述べるのは変な話です。これには理由があります。

私は交通誘導警備をしているのですが、主な仕事として、土木工事と電気通信工事の警備業務の2つがあります。

一つのことしかしていないと、気付かなくて分からないことが、2つのことをすることによって、基準が2つとなり、比較することで違いが分かり、問題点が浮き彫りになることはよくあることです。

その問題点とは『公共事業のあり方』なのです。と言っても、政治のレベルでの「無駄な公共事業はなくすべきだ!」とかいう話ではなく、公共事業の『工事』に携わる一警備員の視点から考えての問題です。

公共事業とは、公益のために行う事業。特に土木工事を伴う、社会資本整備についてさすことが多い。(ネット調べ)

ダムや橋、道路、港湾、空港などを造ったり、住宅、下水道、公園などの公共施設を整備したりします。
町中で行われている道路工事、水道工事なども当然含まれており、費用は政府や地方自治体の一般会計予算、つまり税金が使われています。

その公共事業の費用は年々減少する傾向にあります。主な理由として、ダムや空港や道路などは、たくさん造られて過剰気味であること。もう一つは国や地方自治体の借金が増え続けており、少しでも予算を減らしたいという2点であります。

無駄な公共事業は減らすべきである。日本の一国民である私も大賛成です。
国の借金が増えると将来が不安だし、明らかに無駄だと思うものなんて造るべきではない。当たり前の話です。

さて、私は政治家ではなく警備員です。
警備員の立場で思う公共事業のあり方の現在の問題点を述べたいと思います。
その問題点とは、公共事業の工事の行われる時期なのです。

雪国など地域によって違うと思いますが、徳島県では、公共工事は9月頃から3月までがたくさん行われます。ところが4月から6月頃はとにかく少なくなります。

そのため警備会社は9月頃から警備員を増員します。人が足りなくなるので。ところが3月で仕事がなくなるので、収入が減ります。元々給料が少ない上に仕事がない。これではやっていけません。

辞めて違う仕事をする。短期のバイトなどで食いつなぐ。諦めて自宅待機をする。
毎年この繰り返しです。

4月から6月は、いくらやる気があっても仕事がない。また仕事の多い時期には、初心者やお気楽モードの警備員が多く、仕事の質が下がってしまいます。

警備員だけではありません。工事の作業員も同じです。4月から6月までは仕事がないそうです。そして同じように仕事が多くなる時期は、日給制の手間を増員するそうです。

仕事が安定しないので、やる気がなかなか出せない。出したいのに出ない!
このジレンマは工事現場に携わるすべての人の共通の苦しみだと私は思います。

どうすればその問題が解決できるのか?
公共事業の工事の数を、年間を通じて一定にすればいいと思うのです。そうすれば現場の作業員や警備員も、年間を通じて安定した仕事をすることができます。

電気やNTTの工事は、季節によって仕事量があまり上下しません。会社が計画を立てて、年間を通じて安定した仕事量になっています。

工事に携わる作業員や警備員は、安定した収入を得ることができます。気分的な余裕もあり、いい仕事ができます。
このやり方がいいのに決まっています。

警備員も電気やNTTの工事の警備をしたがります。仕事が安定しているし、雨で中止になることもあまりありません。

なぜ公共事業の工事は不安定なのか?
公共事業の工事を計画する側である役所の仕事が良くないのです。

国会で予算を決めます。公共事業の予算も決まります。例年3月末までに来年度予算が決まります。その予算が決まってから、各公共事業の計画や見積もり等の作成が始まります。そのため年度の前半は、役所はその仕事に忙しく、逆に工事自体は少なくなります。

順次計画が出来て、一般競争入札を経て、各業者が工事を行います。その数は徐々に増え始めて、年度の後半にはものすごい数になります。作業員や警備員の人手が足りなくなります。

各業者はいくつも現場を掛け持ちし、寝る暇もない。警備業者は人が足りずに誰でもいいからと人を補充する。昼夜昼続けて仕事なんてこともある。質が下がるのは当然です。

そして秋から冬は、街中工事現場だらけ。一般市民もうんざりです。とにかく3月までに工事をすべて終わらせる。4月になると、ピタッとなくなる。

警備員として、そして1人の一般市民として私はこう思うのです。
公共事業の工事を、年間を通じて安定した数にするように計画を立てたらどうか?と…

私は出来ると思います。毎年の予算の総額は変化をします。けれど多くなろうが少なくなろうが、5%も変わらないはずです。工事の内容も毎年さほど変わらない。

必ず必要な工事、つまり優先順位の高い工事については、予算が決まる前から計画を立てて、4月からでも工事を着工できるようにすればいいと思うのです。
簡単なことです。これだけです。

テレビや政治家の話によく出てきます。
所謂『お役所仕事』年間の予算が決まってから計画を作成する。そして年度終わりの3月までにすべての工事を終わらせる。

ただ真面目なだけ。全く工夫なし。教科書どおりの仕事。稚拙で幼稚すぎる。実際に工事をする人のことを考えていません。

私の提案を実行するとどうなるか?
工事に携わる作業員や警備員に安定した仕事を供給できるようになります。余裕ができて、いい仕事ができます。
毎年大量に従業員を辞めさせたり、補充したりしなくて済みます。工事が秋から冬に集中することもなくなります。

安定した仕事を供給することにより、今までの不満を解消することができるので、無駄な公共事業をなくすこと、つまり公共事業の予算を減らすことが容易にできるようになるでしょう。

何をしたというわけではない。ただ公共事業の工事の時期をずらしただけです。
ほんのちょっとした工夫。これこそ本当の構造改革だと思います。

『無駄な公共事業をなくす』ために、
ただ単に予算を削減するだけでは、反発を招くのは当たり前です。
『無駄な公共事業をなくす』ために、
工事関係者に、年間を通じて安定した仕事を供給する。そして予算を削減する。

ひと手間かけるのです。この工夫をすることにより結果、公共事業を減らすことがスムーズにできるようになるでしょう。

いかがだったでしょうか?
私としては、いいアイデアだと思うのですが、お役所仕事の下り言い過ぎたので、私もひと手間かけたいと思います。

私は役所の人を批判しているわけではないのです。決められた予算つまり税金を使うわけですから、決められたルールや仕方で作業を進めるのは当然のことです。
そして役所の人は、上司である議員や大臣や知事の方針に従うことも当然です。

『小生政治を語る』で書きました。
その役所の人の上司である政治家は、集会所や後援会で有権者から、小さな組織で上手くいった十の内の一つ、百のうちの一つのアイデアを聞いて回り、集めて、整理して、紹介するのが仕事だと思うと…

そこで役所の人の上司である政治家を選ぶ1人の有権者である私が、このような意見を述べさせて頂いたと、理解して頂ければ幸いです。


メチャクチャなのだ!
2009年6月26日記載

『これでいいのだ!』赤塚不二夫著の天才バカボンのパパの決め台詞である。
私はこの言葉が好きである。なぜかというとすごく言いたくなる言葉だからなのだ。

私のこれまでの人生はひどいものだ。
今だに何ををすればいいのかわからない。金もない。その日暮らしもいいところ。
現在の仕事はとりあえず交通誘導警備員。明日の仕事がありやなしや…
でもなぜか私は生きている。今までの人生で何かいいことあったかな~
でもなぜか私はこう思っている。
『これでいいのだ!』

どうしてそう思えるのか?
高校や大学の同級生は、それぞれに立派に社会人をしている。
私もそうなりたいと考えている。でも不思議とうらやましいとは思わない。
私は自分の過去の、どの時代にも戻りたいとは思わない。過去を振り返る。いいことは全然なかった。でも後悔することも全然ないのだ。
やっぱりこの言葉が登場する。
『これでいいのだ!』

私は過去の自分より、今の自分が好きである。どんどん成長しているからだ。そして今の自分が最低であると思っている。
だから今の自分をもっと高めたい。もっともっと良くしたい。そればかりを考える。それをしている時、実感した時に私はすごくうれしく感じるのである。
『これでいいのだ!』

どんな人だって、人生において何かの壁にぶつかる。そしてその壁をクリアしながら生きていく。そしてどこかで満足して、その後は安定した人生を送る。
『それはそれでいいのだ』

ところが私の場合、普通の人がスルリと越える壁にもつまずいてしまう。普通の人が気にしないことに気づいてしまうのだ。だから普通の人が超えようとする壁に、なかなかたどり着かないのである。

言い方を変えると、生き方が下手なのだ。
でもそういう誰もが気付かない壁を超えることがすごく面白いと思う。
だけどそんな暇なことをしているから、私の人生はメチャクチャなのである。
でも私はどうしてもこれが面白いんだからしょうがないじゃない!
『これでいいのだ!』

私の人生メチャクチャなのだ!
でもこれでいいのだ!
満足なんかするもんか!
私は生涯こういう生き方を続けるのだ!


〜のつもり
2022年11月1日記載

なになにのつもりになる。
今は全然そうではない。でもいつかそうなるとイメージしながら行動をする。みんなそうすればいいのになと思いました。

しかしそれって、みんなしていることなんだと最近気がつきました。

くわしく書いてみると、自分がしたいことの理想をイメージしなくても、そのつもりになって行動をしようとしなくても、どうしても『してしまう』のである。

問題はそれを自分自身で正確に理解しているかどうかだと思いました。

正確に理解していないと、なぜこんなことをしたのか?といつもイライラしたり落ち込んだりします。わからないとしんどい。

でも正確に理解すると、常識的に変な行動をしたとしても、反省することがない。自信を持ってそれで良かったと思える。

そして現実は理想の環境には足りないものがあるために、ダメな部分が出るのは仕方ないと思えるのです。生活が乱れているのは注意してくれる人がそばにいないからだとか…

まとめともう一つ大切なこと。
自分の行動を第三者的に理解する。その行動の先にある理想をイメージする。自信を持つために自分がした行動について『必ず一つ一つを考えて理解すること』だと思いました。

YouTuberがいた
2022年11月12日記載

*ブログで2回に分けての掲載分を、編集してまとめました。

YouTuberがいた。身近にいた。
世の中は狭いのか!みんなしているのか?よくわからないが、とにかく新鮮な気分である。

最近はスマホで簡単に自己主張の世の中。
YouTube Instagram Facebook など SNS上にて みんな発信発信である。あとTwitterもかな。

いるとは思っていた。
でも実際そんな本人を見て、なるほど… と思いました。警備員の同僚です。根明でなかなか面白いやつ。なるほど… ってね。

彼のYouTubeの内容は、
消防署から出動する消防車輌の撮影したもの。正直よくわからない。家から割と近所の消防署の映像もあった。へーっと思った。

正直よくわからないけどね。

でも消防車輌は結構な人気があるそうで、本人もファンなのだそう。YouTubeを観ているうちに自分でも… と思い始めたそうである。

正直よくわからないけどね。私は…

でも!
YouTuberがいた。身近にいた。
世の中は狭いのか!みんなしているのか?よくわからないが、とにかく新鮮な気分である。

チャンネル登録して観てみた。
スマホで撮影丸出しの手ブレもひどい。当たり前だが素人丸出しの出来。

ところが驚く。
チャンネル登録も再生回数も、思った以上に多いのだ。ほとんどが数百回。ある映像なんて再生回数が3000を超えている。

もっとも他の似た映像だと、再生回数が数十万なんてのもあり、かつ完成度も高い。本人もまだまだと自覚。やる気十分である。

それにしても…
私なんてこのHPのために、月1000円払っている。でも彼の場合、逆にお金が入ってくる。ただし開設して1年ほど。まだ始めたばかりで、収益はほとんど無いのだそうだ。

もちろん楽しんで、でも苦労することも…
仕事帰りや休日に、消防署の前で辛抱強く待ち、撮影していると言う。夜遅く警察官に怪しまれて職務質問されたこともあるそうだ。

彼に負けないように私も頑張ろう。

それにしても…
YouTuberがいた。身近にいた。
世の中は狭いのか!みんなしているのか?よくわからないが、とにかく新鮮な気分である。

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