編集作業 22年5月23日
逆行の無理 22年5月26日
体を動かす 22年6月3日
こんなにいる? 22年6月12日
偉そうにする 22年7月2日
爆売れかき氷 22年7月16日
20日間の休息 22年7月18日
アルバイトの帰り道 23年9月29日
編集作業
2022年5月23日記載
2006年1月22日に始めた旧ホームページ。
2022年 1月 7日に始めたこのホームページへの移設作業をここ数ヶ月続けています。まだ数ヶ月はかかるでしょう。
新作の作成やブログでお気楽な文章を書く楽しみを加えて、今の私に欠かせない趣味になっています。
昔書いた文章や途中でほったらかしの文章を完成させる作業。その編集作業を通じて感じたことを書いてみたいと思います。
学生時代、私の国語の成績は最悪でした。常に下から数えた方が早い。
覚えているのは偏差値16だったかな?学年540人中533番というのがありました。
こんな成績でよく大学に行けたもんだ…
当然本を読むなんて嫌いでしてね。
わからないつまらない。だから年に数冊読む程度。最近は皆無。グーグルの記事はよく読むけれど。だから自分で文章を書こうなんて思いもしませんでした。
旧ホームページをキッカケに文章を書き始めました。始めてとにかく驚きました。
まず楽しい。スラスラ書けた。読み返して笑っていまう。思わずウルッとなる。友人から文才あるよと言われる…とか
すっかりハマっていまいました。
普段ぼーっと暇な時、車でドライブしてる時、寝ようとしてる時などに、フッと思い浮かんだ空想や物語や漫才みたいな会話とか…
頭の中でグルグル膨らませていく。止まらなくなる時もある。また昔思ったり考えたりしたことも思い出したり…
俺って面白いとハイテンション!それ
何考えてるんだろ…と落ち込む…それ
どうしてこうなるのかな〜それ
それらを文章にして頭の中から出した。頭がスッキリする感覚。
これは…ストレス発散なのかな?
上記に書いたように、国語の成績は最悪。
だからとにかく自分で理解できるようにわかりやすく、そしてとにかく楽しく面白く書こう。旧ホームページの頃はこんな感じで書いていました。
始めて1年程はネタがどんどん出てくる。
ところが3年位経つとネタ切れ状態。無理して書こうとして行き詰まり、途中でほったらかしの文章が増えていく。
6年も経つと年に数回しか書かなくなり、10年後ついに書かなくなりました。
今年になって、クレヨンのホームページ作成アプリを知り再開を決意。まずホームページの移設作業をしようと、昔の文章を読んでみたのですが、とにかくヒドいなと思いました。
読んでいて恥ずかしい。僕ってかわいいでしょみたいなノリ。赤面赤面…
ただ自分が楽しく面白ければいいという感覚。ホームページに記載するのなら、誰かに読んで頂くのが大前提。それをまるで考えていない。本当にヒドい…
ホームページ再開のために、昔書いた文章をそのまま載せるわけにはいかない。第三者が読むに堪える程度に、編集作業をしなければならない。ということに相成りました。
前のホームページもカウンターがあり、読んでくださる方がいることはわかったし、メールも来たこともあります。
今回はホームページランキングがあり、アクセス数などがよりわかりやすい。
だから読んでくださる方がいることをより意識しなければならない。
書く側ではあるけれど、読む側の気持ちにもなって、文章を作成する必要がある。
こんな気持ち、意識を持って編集作業、新作作成をしています。
前は書いたら自己満足し、そのまま載せていました。だからヒドい内容や表現。しかも誤字脱字だらけ…
今回は、書いたら必ず読み直し、読んだ方が不快な気持ちにならないか?意識する。
時には家族にも意見を聞き、問題点がなければ載せるようにしています。
趣味で楽しく書いている。
専門家が読めば、なんだこりゃ?と思うでしょう。毎日毎日何かしら書いている。私は趣味で楽しく文章を書いています。
逆行の無理
2022年5月26日記載
その時代の流行り。その復活、発展。
簡単にできるようで不可能なのかも…
絵画なんてそうだ。レオナルド・ダ・ヴィンチの世界的名画『モナリザ』写実的な人物画の最高峰。現代の絵師がこのような絵を描いても、あまり評価はされないだろう。
世間に認められるには、何かしら新しい手法や表現方法を見つける必要がある。
時代を経る度に、いろいろな手法や表現方法の発見発明。
絶対に止めることはできない。
時代を経る度に世間が認める絵画は、基本である写実的とはかけ離れた訳のわからないもの、もしくは何かと組み合わせた派生的なものになっていく…
今認められているものと、過去の素朴で素直な進化を経ての完成形。
それらを比べて過去が魅力的と感じた時、その世界は少なくとも、進化はある種の壁を超えることなく、僅かに進化しているように見えるだけになるのだろう。
逆に言えば、その世界は完成に近づいたとも言える。そして一度に収束に近づいた世界に、たとえ異次元の飛躍をもたらす何かが作用したとしても、それはもはや別の世界になっている。
逆行の無理…
私も書いていて、実は訳がわからない。でもなんとなく収束したような気もします。
体を動かす
2022年6月3日記載
体を動かすことは疲れるものです。
私はスポーツなるものに、のめり込んだということは一度もありません。
一時期ゴルフをしていて、週に2、3回打ちっぱなしに行ってたこともありますが、腕の方はさっぱりで最近はご無沙汰しています。
話は全く異なりますが、私は車でドライブ中に歌を唄います。割と本気モードで。
だから田舎の山道をドライブするのがお気に入りなのはそのためでもあります。理由は誰にも聞こえないので。
唄う歌は、ブログ『コンサートソング』で記載したようなもの。サビや高音の部分はなかなか声が出ないし上手く唄えません。
話を元に戻します。ゴルフの打ちっぱなしを頑張った後、唄ってみると声がよく出るのです。もっとも少し経つとまた元に戻ります。
話を続けます。ここ二か月程、仕事でイヤイヤ肉体労働をしています。イヤイヤ体を動かしてイヤイヤ体を鍛えています。休日は疲れて何もしたくない。
最近は少し慣れてきて、久し振りに田舎にドライブ。唄ってみて驚きました。声がすごく出るのです。それも持続して。
これまで絶対に無理だった歌もなんとか最後まで唄える。よく聞くけど分からなかったこと。実感しています。
歌は喉ではなく腹筋で唄うものだ。
体を動かして、鍛えるとこんな副産物がある。これから暑くなる。
暑さと肉体労働が大の苦手である私。その試練を乗り越えるための、秘かな密かなモチベーションになっています。
こんなにいる?
2022年6月12日記載
私は派遣社員で、主に工場で働いている。
派遣社員なので、色々な工場で働いている。その工場を変わるたびにいつもこう思う。
『こんなにいる?』
よくよく考えれば、なにも不思議なことではない。むしろ当然のこと。でも仕事で手が空いた時などに、ふと思ってしまう。
スマホの小さな電子部品を月に二千万個以上作っている。こう思う。
『こんなにいる?』
インスタントのカレーの箱を一日に30万個も作っている。こう思う。
『こんなにいる?』
建具の工場で、住宅用のドアだけを山ほど製造している。本当に…
『こんなに必要?』
ハムの工場で8時間で一万以上も同じ製品を作っている。喰えないよ…
『こんなにブタ殺してる?』
総合病院でナースエイド助手の仕事をした時のこと。看護師、エイドさんは女だらけ…
『こんなに女っていたっけ?』
よくよく考えれば、なにも不思議なことではない。むしろ当然のこと。でも仕事で手が空いた時などに、ふと思ってしまう。
なぜでしょうか?この文章を書いている今ようやくわかりました。
答えは…『おもしろいから』
偉そうにする
2022年7月2日記載
『大したことない人ほど偉そうにする』
私の持論である。そして私はたいしたことがない。だから私は偉そうにしたい。
『えらそう』を変換すると偉そう、エラそう、エラソーとかになる。カタカナやひらがなで書く『えらそう』は本当に大したことないイメージである。
私の目指すそれは、漢字で『偉そう』である。その『偉そうにする』にはどうしたらできるのだろうか?将来『偉そうにする』にはどうしたらいいのだろうか?
会社の社長とか、偉そうにしている人はたくさんいる。でもそういう人は、周りから敬遠されがちであり、嫌われている。
当たり前だ。誰だって人から偉そうにされなくない。本当に偉い人が偉そうにするなんて普通だし、つまらない。
本当に大したことない『エラソーにする人』は見ていて接していて楽しい。だけど笑われている人というイメージ。
『偉そうにして』人気者になるにはには…
『大したことはない』までは同じで、ものすごく『面白い人』なのではないか?
面白い人がおもしろいことをするのは、つまらないことはないが普通だ。
『笑いのセンスが抜群の人』なら、普通なら敬遠され嫌われる『偉そうにする』ことができるのではないだろうか?
偉そうにしても…面白いから許される?
こういう『偉そうな人』に私はなりたい。
爆売れかき氷
2022年7月16日記載
旗振り警備員逆戻り記念。
どうでもいいけど記憶にあること。
ブログでも紹介の神山森林公園にて、何年か前のゴールデンウィークに新緑祭りの警備に行った時のこと。
大勢の人で賑わっている。子供参加のイベントなどがあり、家族連れが多い。
私は公園入口で交通整理の仕事。道路を挟んで駐車場。そこから人が押し寄せる。必要に応じて車を止めて渡って頂く。結構な交通量なのでなかなか忙しい。
その忙しい最中、公園入口にかき氷の屋台が設置された。かき氷機一台に氷の入った大きいクーラーボックスが一つ。椅子にバイト風の青年が一人で座っている。
屋台とはいえこんな簡単なもの。一緒に来ていた業者風の人は、設置が終わるとすぐ軽トラで帰ってしまった。
仕事をしながら、チラチラ様子見。みんな素通り。さっぱり売れず。バイトの青年はまるっきりのやる気なし。あくびなんぞしつつぼーっとしている。
午前中売れたのは一つか二つだけ。どうなるのだろう。このまま売れないのも面白そう。など思っていました。
午後に入り、子供向けのイベントが終了。公園内には浅いけれどちょっとした池があり、何かのつかみ取りみたいな感じだったかな。覚えていないけれど。
参加者の家族連れが大挙して出てくる。またまた様子見。また素通りかな…
子供が一人、親にせがんてかき氷を注文。
おっ!一つ売れた売れた!とか思っていたら、それが合図か呼び水か!かき氷がどんどん売れ出す。いつの間にやら列ができている。
結局かき氷は夕方まで売れ続け、バイト青年は大忙し。最後は氷がなくなり、店しまいとなりました。予測外だったのでしょう。青年も苦笑いをしている。
私だってそう。こんなことになるなんて…
感想としては…面白かった…かな。
原価は多分数千円。一つ300円で100は売れている。当たるとおいしい商売だなあ。
ってのと…
一人買ったらみんな買う。という現象。
楽しいような怖いような不思議な感覚。みんなそうしてるから…群衆心理?
浅く考えたら滑稽に思う。深く考えたら恐ろしくも思う。今考えたらどうでもいいと思う。ただの思い出である。
20日間の休息
2022年7月18日記載
結局20日間を要した。
派遣の仕事に見切りをつけて旗振り警備員に戻る。最初は木工の肉体労働を続けるかで悩み、次に派遣社員を続けるかで悩み、最後に警備員をするかで悩んだ。
心と身体を整理して切り替える。心と身体との対話にて覚悟を決める。
…とか、かっこいい話ではないけれど…
引きこもりで4年間。復帰して17年目。
その間も結構休息を取っている。最初に警備員をする前に8か月。派遣と警備を交互にしていたロンドンオリンピックの頃に2か月。7年前警備員をやめて派遣社員になる時に1か月。
仕事を変える時は、休息と心身の切り替えが必要なのだろう。
…とか、かっこいい話ではないけれど…
今回は覚悟に時間を費やした。仕事は警備員と決めたからである。もう他の仕事はしない。世間の評価は最悪だけど、自分が一番得意だと思う仕事。ここ数日、そしてこのブログを書いている間もため息ばかり…
でも決めたこと。どうせやるなら警備員を極めてやろう。
…とか、かっこいい話ではないけれど…
アルバイトの帰り道
2023年9月29日記載
*ブログで7回に分けて書いたものを、編集してまとめました。
⭐PART①
私が初めてしたアルバイトは、山形大学一年生の時でパチンコ屋の店員でした。
時給1200円で3時間程度。
勤務日も融通が利く。お気楽にしていました。期間は11月から2月頃まで。
サイクリングクラブの春の九州合宿の費用の足しになれば、との思いがあったのです。
パチンコを初めてしたのもこの頃で、
ハネモノの台で、100円づつ入れて500円勝ったとか1000円負けたとか…
現在で言う4円パチンコしかない時代。親からの仕送りのみに頼る私。調子に乗ったら、すぐに生活費などなくなってしまいます。
ついでに当時のハネモノは、
種類も数も多くコーナーもありました。今の1円パチンコの感覚でしょうか?
こんなことを書いていると、当時のパチンコ事情のことを懐かしく思い出します。
⭐PART②
この頃は空前のパチンコブームの少し前。
当時パチンコはフィーバー台がすでに主流。パチスロも登場していました。
でもこの頃のフィーバー台は、
単発でも確変でも、終了するとその都度、出玉は全て交換していました。フルーツパラダイスなんてのが人気だったかな…
パチスロの当時の大人気は、何と言ってもスーパープラネット。私もよくやりました。ボーナスタイムのBGM、今でも覚えています。
このプラネットの後継機が、現在も存在するパルサーです。興味のない人は、何を言っているのか分からないでしょうね。
… あっ!違うか。
私がバイトしていた時点では、まだ登場してなかったかな。人気は… アラジンとかでしたか。興味のない人は… でしょうけれど。
… あれ?アラジン?って確か…
メダルを一度に4枚入れて回すと、当たりやすいとかいう裏ワザが、あったとか?なかったとか…
そんな話はどうでもいいや…
⭐PART③
覚えているのは、クリスマス・イヴの日。
彼女のいるバイトの子の代わりに入ってくれと言われ、閉店時間まで6時間働いた。
店内には、ずーっと 中山美穂 with WANDS の、
『世界中の誰よりもきっと』が流れていて、何となく… 何となくの思いがありました。
そんなことはともかく… 山形は北国。
冬は寒いし、雪も積もる。パチンコ屋までは自転車で行きます。軽い坂道の3K㍍の道のり。
山形市内の積雪は多いと50㌢になる。
1m以上積もる米沢や尾花沢に比べればマシだがとんでもない。
雪が積もると除雪車が登場。自転車も何とか通行可にはなる。でも南国の徳島出身の私。まして初めての冬。やっぱり怖い。神経を使います。
加えて寒さも強烈でした。
いつかの朝方、友人宅から帰宅途中。とにかく寒い。近くの国道13号線の温度計は、氷点下10度を示していたのを今でも思い出します。
⭐PART④
ちなみに山形は盆地。暑さも強烈である。
近年の猛暑を鑑みて、今でこそ珍しくはないが、39度なんてのを経験しました。(注1)
自転車で大学へは、軽い下り坂。
ムワッとする熱風が身体を襲う。ペダルを漕いでいないのに、すぐ近くなのに、大学に着いたら汗だくになる。帰りは… 地獄である。
確かその前年は逆に記録的な冷夏で、
米不足のためタイ米が流通したっけ… ファミレスのチャーハンは美味かったが、家で普通に炊いたら不味かった。(注2)
あっ!そうそう… 今思い出しました。
確か山形に来てすぐ、5月に雪が降って度肝を抜かれたこともありましたっけ… (注3)
タイ米のことはともかく、
そんな厳しい環境に4年間。今は生まれ故郷の徳島で暮らしている。やっぱりいいなと思う。
夏の暑さもまだマシだし、積雪は少ないし…
でもそれは、誰にとっても生まれ故郷はいいものだというお話である。
(注1)1994年
(注2)1993年
(注3)1992年のこと… 4月だっけ?
おっと!余計なことを書いてしまった。
山形大学1年生の冬に、パチンコ屋のバイトの帰り道の話でしたね。
⭐PART⑤
さて思い出に残ることが起こったのは、年明けのことだったでしょうか?
その日の積雪は、ほぼ道路からは消えていた。
端っこにわずかに残るくらい。自転車でも楽々でした。積雪が多いと大変です。無理だと自転車を降りて押して行く時もあるからです。
途中でみぞれ混じりの雨が降り始める。
道路はいつしかシャーベット状に。でも気にするほどではない。夕方6時前店に到着。いつものように仕事を始めました。
仕事内容は店内を歩き回り、
ドル箱を運んだり、玉詰まりなどのトラブル対応など… 今とさほど変わらない。でも一つだけ今はしていないことがありました。
店員はみんなマイクを持っている。
そして大当たりしたパチンコ台に行き、
「○△コーナー○☓台!フィーバー大当たり!」
またパチスロのコーナーでは、
「△●台!ビッグボーナスゲームスタート!」
なんて言って、店内を盛り上げる。
当時のパチンコ屋では結構行われていました。最初は恥ずかしかったのですが、慣れてくるとなかなかに楽しいものでした。
今思えば… 本当にそんなことしてたのかな…
⭐PART⑥
早くバイトから帰りやがれ!
これを読んでいる人は思うでしょう。私だってそう思います。早く終わらせたいが、いろいろ思い出してなかなか話が進まない。
でもさすがに… もう帰ろうと思います。
*気がつけばブログは⑥になっている。
さすがにバイト先のパチンコ屋から帰らなきゃ!ということです。
夜9時過ぎにパチンコ屋から外に出る。
出た途端、強烈に寒い。でも風はなく雪も降っていない。駐輪場へ向かう。
自転車に乗り、ペダルを踏んだ瞬間に違和感を覚える。全く動かない。降りて見るとチェーンに付いたみぞれが完全に凍り付いている。
どうしよう… 焦っていると、
そこによく知っている常連客がやって来た。事情を話すと「井戸水なら溶けるよ」と言う。
「井戸水?どこにありますか?」
案内されて蛇口をヒネると水が出てきた。不思議なことに結構温かい。山形は井戸水が豊富。温度はほぼ一定で冬だと少し温かく感じる。
その水をかけると、みるみる溶けていく。その人にお礼を言って、帰宅の途につきました。
⭐PART⑦
ところが困難はまだ続く。
みぞれ混じりの雨で濡れた路面は、夜の冷え込みで凍り付き、アイスバーンと化している。
怖々自転車を走らせる。気を抜けばステーン!である。幸い風はなく雪も降らず、車もほとんど走っていない。そして軽い上り坂。冷や汗を掻きつつ順調に進む。
残り1㌔ほど、難所を迎える。
道はシケインで少し下り坂。状況に慣れたこともあり、大丈夫!と言い聞かせる。
スピードが少し上がる。これでは曲がれない。ここで初めてブレーキをかけようとレバーを引く。上り坂だったのでここまでブレーキを使用していなかった。
あれ?動かない?そうです。
ブレーキのレバーが凍り付いている。焦って力を込める。急ブレーキ!ステーン!💥
痛💥~… くないな。あれ?
… いや?痛いか!でもそこまでじゃない。凍り付いた路面でスピードもそんなに出ていない。
むしろなぜかハイな気分になる。自転車で転ぶなんて、ほぼ経験したことがない。
一回転んだし、そんなに痛くないし、
もうどうでもいいや!残り1㌔でさらに3回スッ転んでアパートに到着。部屋に入り一息つく。
笑顔で1人大笑い。あ~楽しかった!
*たいした話じゃなくてすいません。でも当時のことをいろいろ書けて私としては満足です。