📝核融合エネルギーを得るには 22年7月20日
バカの壁を読んで 22年8月26日
バック誘導 22年8月8日
📝簡単と困難 22年8月14日
📝切磋琢磨 10年5月16日
猫もシャクシも発信 22年9月17日
アスファルトの小石 23年4月13日
📝アスファルトの❤️ 23年6月11日
📝邪馬台国は何処に?24年2月12日
📝原付バイクの通り道 25年6月7日
核融合エネルギーを得るには
2022年7月20日記載
*核融合炉=危険、核融合エネルギー=莫大というイメージ(ガンダムの影響大)で書いたため、内容的に正しくないようです。もう少し勉強して後日書き直す予定です。2026年3月10日編集了(仮)
⭐PART①
人類が核融合エネルギーを得るには
核融合エネルギーは、夢のビッグパワーエネルギーである。もし人類がこのエネルギーを自由自在に操ることができたなら、化石燃料に依存する現在のエネルギー問題は全て解決するだろう。
さらに今はSFの域を出ない地球外惑星への移住も実現可能になるかもしれない。現状のエネルギー問題と遠い未来に地球は、絶対に太陽に飲み込まれてしまう問題の最有力の解決案だろう。
では未来を明るくする夢の核融合エネルギー、人類はどうすれば得る方ができるのか?
科学者が頑張って発明すればいい。でも、
だけでは無理な気がします。発明より先に、新たなる倫理が必要になると私は思うのです。
すでに人類は核分裂による原子力エネルギーを制御し利用する技術を心得ている。アインシュタインの理論から、第二次世界大戦中に原子爆弾ができ、戦後は原子力発電が始まりました。
原子爆弾は人類を、いや地球をも破壊しかねない。また原子力発電も、数万年以上安全隔離が必要な放射性廃棄物という厄介な問題がある。
*チェルノブイリや福島の原発事故は、甚大な被害を引き起こした。また起こらねばよいが…
有益だけど余りに危険。強大な原子力エネルギーに危機感を覚えた人類。20世紀後半に、原子力エネルギーに対する倫理が生まれました。
放射能の危険性の理解。核兵器の使用禁止。国際連合の設立。宇宙船地球号の概念。平和への願い。汎ゆる事象を地球規模で考える必然性。
使用を誤れば、地球を破壊しかねない強大な原子力エネルギーを得たことで、人類は汎ゆる事象を『地球規模』で考えるようになりました。
道具は便利な方が良いに決まっている。でもプラスが大きくなれば、マイナスも大きくなる。
同じ原子力エネルギーでも、核融合は核分裂より遥かに凄いし有益だし高性能である。つまりプラスは凄いがマイナスも凄くなってしまう。
⭐PART②
核融合発電とはどんなものか?
燃料の重水素は海水中に無尽蔵に存在。リチウムから生成の三重水素(トリチウム)も同様で枯渇の心配はない。二酸化炭素を排出せず、放射能廃棄物は出るが低レベルで、環境への影響は少ない。
重水素や三重水素を、一億度以上の高温下で高速衝動させて融合、ヘリウム原子核などに変わる際に生じる膨大なエネルギーを利用する原理。
*物質はより安定した状態になろうとし、状態を変化させ、余分なエネルギーを放出する。
融合する際に全体の質量が減る。位置エネルギーが下るんだったかな。1人暮らしより2人で住んだ方が生活費が少なくなる、みたいな感じ。
減った質量分が膨大なエネルギーを生む。有名なアインシュタインの E= mc ² で表される。
そしてこの世界で、つまり宇宙で輝く星々は、全てを核融合エネルギーによるものである。
太陽は水素原子核が4つが融合、ヘリウム原子核になる核融合反応が発生、質量減少分が膨大なエネルギーに変換され、光と熱として放出される。
核融合発電は、この太陽の核融合反応を、炉心内で人工的に創り出して制御、エネルギーを得るという夢のシステムである。つまり、
人類の住む地球、全ての源である太陽を創り出し制御する。余りにも異次元『神の領域』である。もし実現した場合、一度でも間違えたり悪用されると、想像もできない最悪の事態となるだろう。
*放射性廃棄物が低レベルなど関係ない。
神の領域に踏み入る人類。強大で完璧な核融合エネルギーを前にすれば、謙虚さをなくし理性も失ってしまうのは、火を見るより明らかである。
⭐PART③
核融合エネルギーに期待はするが
いつかは分からないが、人類は核融合エネルギーを得る日が来るだろうと私は思います。
それはどうしてか?現在国際共同プロジェクト『ITER(イーター)』などで、核融合炉実用化は着実に歩んでいるし、私も期待しています。
私も期待しているから?だって核融合炉実用化は、いつまで経っても実現しないとか云われているが、余りにも夢があり、未来を眩いばかりに明るくする究極のエネルギー。実現するでしょう!
私は基本的には楽天家。現状世界は様々な問題を抱えている。でも波があり後退もあるが、概ね未来は良き方向に進んでいると信じている。
ただし核融合炉実用化は、数十年以内に成し遂げられると予測する、科学者や関係当事者が、考える以上に険しい道だろうと思っています。
夢のビックパワー核融合エネルギー。利用するには余りにも精神的な成熟度が足りない。絶対に正しく利用するための人類共通の倫理を確立し、絶対に遵守する意思をカタチで示さねばならない。
せっかくの核融合炉実用化が、その使用を誤ることで人類を破滅させかねないからだ。
もちろん我々人間は、自身を破滅に追いやるほど愚かではない。自身の繁栄を願う生命の本能を有しているからである。でも核融合利用では、
現行の核分裂エネルギー利用とは比べものにならない危険度を伴う。その強大さ所以、人類の意思や意図に関係なく、暴走しかねないだろう。
では核融合エネルギー利用するための新たな倫理。一応思いついたので書いてみましょう。
⭐PART④
核融合炉実用化プロジェクトと共に
人間は特別な存在ではない。絶対に思い上がらない調子に乗らない謙虚さを身体に刻むこと。
人間なんて出来立ての地球に存在していた有機物の塊でしかない。動く有機物の塊に過ぎない。
人間は地球の一部に過ぎないのだ。
地球の長い歴史のつい最近登場、高度な文明を築き繁栄を謳歌する地球上唯一の知的生命体ではあるが、何てことはない。地球の一部に過ぎない。
高度な科学技術を発展、遂には母なる太陽を人工的に創り出し、制御する能力を有する直前に至ったが、何てことはない。地球の一部に過ぎない。
そんな地球の一部に過ぎない存在が、地球そのものを破壊しかねないスーパーパワーを有する核融合エネルギーを利用する資格などない。
けれど核融合エネルギーに頼らず、現行のエネルギー問題を解決する。戦争のない永劫の平和の実現。これらを成し遂げた暁に、核融合エネルギー利用の資格を手にすることができるだろう。
人類が核融合エネルギーを得るために、
人間は地球の一部に過ぎないとの倫理。現行世界の問題を全て解決するというカタチの成果。
長い年月が必要だろう。でも不可能じゃない。我々1人1人が全員参加で成し遂げましょう!
バカの壁を読んで
2022年8月26日記載
『バカの壁』という本を読みました。その読書感想文を書こうと思います。
*2007年 9月 1日から2010年8月27日に書いてからほったらかしの文章。リニューアルして新作にします。
最初に読んだのは2006年1月頃。
引きこもりから社会復帰した時に、高校の友人から進められました。他に『唯幻論』も進められ読んでみたけどさっぱりわからなくて途中で挫折しました。
高校の友人は頭のいいヤツでしてね。
最近『バカの壁』を一回ザーッと読んでみましたが、分かるようでよく分からない。作者の養老孟司は東大の名誉教授。頭のいい人の考えることは、理解するのが大変です。
ただ私の得意は、簡単なことを難しく、難しいことを簡単に考えてしまうことです。
この文章を書きながら、もう一度キッチリと読む予定ですが、一応エッセンスだけは、最初に読んだ当時に浮かんでいたので、書いてみたいと思います。
*唯脳論の解釈
地球上唯一の知的生命体である人類は、他の生命体と同じく動物である。動物は本能のままに生きる。決して無理はせず、我慢もせず、自然に生きる。
ところが他の生命体と同じく動物である人間の特徴は、頭の思考能力が発達していること。
そのために脳への入力に対する出力が一致する本能のまま生きる他の動物と違い、頭の思考能力が発達し複雑なために、脳への入力に対する出力がうまく一致させられないことが起こってしまう。
これが『バカの壁』を読んで、私の思う唯脳論(唯幻論)についての解釈です。
そして人間は他の動物と同じように自然に生きることが望ましい。しかし頭の思考能力の発達が邪魔をしている。人間の特徴である頭の思考能力の発達を踏まえた上で、自然に生きるにはどうすればよいか?
これが『バカの壁』を読んで、作者が言いたいことだと思いました。
⭐『バカの壁』に対する私の理解⭐
⭐2022年7月15日現在⭐
人には得意と苦手、長所と短所がある。
そのどちらもさらけ出すことが、自然な生き方である。でも人の発達した脳が得意や長所だけを見せて、苦手や短所を隠そうとする。
不自然になる。視野が狭くなる。自ら壁を作って閉じこもる。壁の外の世界を遮断しその中だけで生きようとする。
自分に都合の良い環境で生きることは正解。
でも都合の悪い環境のことを無視し認めないことは間違い。そういう世界も意識し認めることが正しい。そのために苦手や短所を隠さずさらけ出すことが必要である。
壁を作ることは必要である。壁がなければ生き抜くことはできない。でもその壁は透明で出入り可能でなければならない。
つまり壁はその人だけが意識するものであり、他人に影響を与えてはいけないものである。
⭐また変わると思います⭐
ともかく感想文なので第一章から第八章まで個別に書いてみたいと思います。
第一章 『バカの壁』とは何か
自分が知りたくない興味のないことを自主的に遮断する。ここに壁があり、一種のバカの壁だと書いてある。
別に良いと思う。ただし自分が遮断したことについて、分かっていると思うのはダメで、分からないと思うこと。そして自分が知りたくない興味のない分からない世界が存在していると思うこと。で良し。
『常識』とか『分かる』を簡単に考えてはいけない。ただの知識だけで判断することなんてはできないからである。
自分が実際に、経験したことから『常識』とか『分かる』を判断し、考えなければならない。経験していないことは、知識はあっても分からないと思うことが大切。
なんだか私には、普通のことを書いているように思います。
知識だけでは分からない。経験したことしか分からない。その経験が多ければ多いほど『常識の理解』や『分かること』がより正確にできるようになる。
当たり前のような気がしますが…
全てのことを『分かっている』神の存在を信じるのは自由だと思う。でも人間はやっぱり実際に経験したことしか分からない。
それで良いのではないでしょうか?
第二章 脳の中の係数
脳への入力と出力を表した式
Y= αX
Xとは五感から脳に入力される情報。
Yとはその情報に対しての反応。出力。
α とは脳の中の係数。
α は『現実の重み』と言うべきもの。
人によって、またその入力によって全然違った値となる。以下のような感じ。
α =0 行動に影響なし。現実ではない。
α =無限大 原理主義。絶対的な現実。
α =適正値 その環境に適性な反応。
α =プラス 好き
α =マイナス 嫌い
本ではこのように説明されています。
実に分かりやすい。私がこの本の中で一番感銘を受けた所です。
ここで私が思ったことは二つ。
一つは、人はα が適正値になる環境に身を置くと良いということ。そしてそれ以外の環境があることを理解する。もしくは認めること。
これでごく普通の人生が送れる。
ただし自分に合う環境しか認めず、適正値にならない環境を無視する。もしくはただ否定するのでは、自分も周りの人も不幸にしてしまう。 (α =0 α =無限大)
こんな感じでしょうか?
そしてもう一つうまく説明できないですが、思いついたので一応書いてみます。
自分に合わない環境に実際に身を置く経験が多いほど、ある状況とか状態についてかな…
もしくは常識とか真実、真理に対する α の値が限りなく1に近づく。
う〜ん…うまく言えない…
正直とか正しいとか…そんな感じ。
本質を見極める。正しい方向へ向かう…とか。そんなイメージ。式で表すと、
Y= αX=X( α =1)
*思いついたのは最初にこの本を読んでから4年と半年後の2010年6月5日。
E= mc²が、物理学者のアインシュタインの考えた世界一美しい方程式ならば、
私の考えたY=X( α =1)は世界一簡単な方程式だと自負しています。
*の部分は当時の私が書いたものです。
唯脳論の解釈で書いた内容とリンクしている。
確かにこれを具現化できたなら、正しい道とか倫理を作り出すことができるかもしれません。
だけど今の私には、こんなに自信を持っては言えません。難しい…
第三章 「個性を伸ばせ」という詐欺
個性とは元々その人に宿っているものであり、生涯変わらない。変えようとしてもその人の個性は変わらない。
だから教育で個性を伸ばせとかは意味がない。本当に教育すべき学ぶべきこととは、社会の一員になるためのルールとか常識である。
共通了解として言葉やマスメディアの発達による共通の情報など…
そして自分以外の人の個性を認めること。
人の気持ちの分かるようになれ。人を否定してはいけない。とか…
そうすれば自分の個性を人に認めてもらえるようになる。人がそれぞれにお互いを認め合う社会の実現。
どうすればいいか?ここからは私の考え。
自分の個性を理解する。そして長所や得意なことだけでなく、短所や苦手なこともさらけ出すことだと私は思っています。
第四章 万物流転、情報不変
何回か読んだけど、説明や解説がよく分からない。とにかく分かった感じで私の考えで何とか書いてみます。
万物流転。人間は変わっている。情報は変わらない。これが正しい。現代は自分は不変で、情報は変化しているというアベコベ現象が起こっている。…よく分からない。
個性は身体に宿っている。ここでの身体とはDNAでしょうか。私もそう思う。
そして個性は絶対に変わらない。脳で意識して変えようとしても絶対に個性は変わらない。でも人間は常に成長や老化しているから、人間は変わっている。
どう変わるのか?自分の身体に宿る個性を脳が理解すると人間は変わっていく。つまり初め人間は自分のことを分かっていない。
意識するべきことは、自分の個性の理解と他人との共通性の理解すること。つまり自分を知ることが、他人のことを理解することに繋がる。これで社会の歯車の一つになることができる。
情報は不変と書いてあるが、変わっていると思う。過去の情報は不変だけれど、それは人間も同じ。万物流転とは人間も情報も変わっていくということ。
絶対に不変なのは身体に宿る個性。脳の意識や情報は変化する。人間はいつか死ぬ。実際の身体は必ず老化し衰えていく。
でも自分を知ること。脳が自己に宿る個性を理解する作業を続けることで、人間はいつまでも成長することができる。
ある一つの情報に対して、過去の自分はどう感じたか思ったか?そして今の自分はどう感じるか思うのか?
で、自分の現状への理解。そして成長の具合をいつまでも感じていたいものである。
こんな感じかな…さっぱり分からん…
*気に入らないから修正するかも…
では先に進みます。22年7月10日記
第五章 無意識、身体、共同体
意識と無意識は脳の中の問題。身体と脳は個体の問題。共同体は社会の問題。
都市化は農家社会を脳化社会にして身体を忘れて脳だけで行動するようになった。
とか最初に書いてある。分かります?
分からないことの感想は書けない。でも一つだけ理解できたことがあります。
それは『無意識』についてです。
無意識とは身体に宿る自己の個性のことだと私は思います。
目が覚める直前の夢の中で… とか、
何もすることがなくぼーっとしている時や何も心配事なくリラックスしてる時。頑張って何かをやり終えて気が緩んだ瞬間などに、何気なくフッと思うことがあります。
こうしたいとかこうなりたい… だったり、
以前失敗したりダメだったことや何故こんなことしたのかと後悔したことを思い出して、それで良かったんだとか思うこと。
無意識下で現れる自己の個性を理解する。意識下で自己の個性の確認作業をする。そして自己の個性を最大限表現できる場所を探し出して、身を置くこと。
無意識の不理解は苦悩。理解して意識は努力や苦労。無意識と意識の一致は享楽。
一人一人がそういう生き方をすれば、人の集まりである共同体の社会問題は徐々に改善されるだろう。
自分の経験を加味して、こんな感じに思ったのでまとめてみました。
第六章 バカの壁
利口とバカとは社会適応性で判断?
利口で賢い人はバランスが良く社会適応性に優れている。つまり普通の人のこと。
バカと天才は紙一重。何かの能力に秀でていると別の何かが欠如している。バランスが悪く社会適応性に欠ける。
偉人と悪人もしかり。
常人とは異る脳の反応。善悪は問わず大きな影響を社会に与える。
天才の脳は思考や反応をすっ飛ばしたり、一部の能力に欠けている。驚くような凄いことができる。犯罪者、オタク、無気力人間なども普通とは違う脳の反応らしい。
もし選べるならば…
バランスの取れた普通の人と、何かに秀でた天才や偉人。どちらがいいか?私は後者になりたい。なぜなら社会にプラスの大きな影響を与えられるから。
でも普通の人に比べて、社会適応性に欠ける。社会不適合者では、秀でた能力は発揮出来ず宝の持ち腐れになる。もしくは社会にマイナスの悪い影響を与えてしまいかねない。
人より秀でた能力を適切に発揮するためには、社会適応が苦手なのだと意識して、社会に順応するための努力をすること。特に我慢を覚えることだと思いました。
第七章 教育の怪しさ
正直よく分からなかった。
だからここでは『教育』と題して文章を書いてみたいと思います。
子供の頃の教育についての私の意見
個性は身体に宿っている。
その個性を社会で活かすために、社会人としての最低限の基本的な常識や規則を教える。もう少し具体的な知識や技術についても最低限の基本的なことで十分だと思う。
子供の頃は個性の違いにより、長所ばかり出たり短所しか出なかったりする。イジメや不登校の原因になる。
私が教育で一番重要だと思うこと。
子供や若い頃に出る個性とは、ほんの一部分に過ぎないと認識させることだと思う。
人間は誰にでも長所と短所がある。
突き詰めて考えれば、人はみんな同じだということ。長い目で考えること。自分を知ることで他の人の個性を認められる。
人を認めるために自分のことを知る。
自己の個性を最大限発揮するために、ダメで苦手な部分をさらけ出し、それを克服する努力する。その過程にて謙虚さと揺らぐことのない本当の自信がつく。
『人生の基本』を教えることが『本当の教育』だと私は思います。
*これでいいや…
第八章 一元論を超えて
この本を読んで参考にして、私自身の考えをまとめました。
生きていく上で、自分に都合のいい環境を見つけて、その周りに壁を作り、中に閉じこもり生活していく。
別に問題はなく、むしろ当然であり自然のように思います。それは人間だけでなく他の生命体もしていることだからです。
問題は自分のいる壁の中だけを認めて、壁の外の世界を認めない、無視する、争い合う、また出ようとしないのが、『人間』だからであると思います。
人間は地球上最も繁栄している生命体。環境問題やエネルギーや戦争など地球に多大な悪影響を与えてしまう。『人間』だから殻に閉じこもる生き方をしてはいけないのである。
ではどうすればいいか?
自分に都合の良い、楽で快適な居場所にいるだけの生き方では、つまらない面白くないと意識させる。
苦労があり、苦痛もあるだろう。そして何より怖い。でもいつまでも自分の殻に閉じこもっていないで、そこから勇気を出して一歩前に飛び出すことが、本当の意味での人生のスタートなのだと解く。
例えれば、ずっと土の中だけで過ごしてきた幼虫が、サナギから成虫となって、空を自由に飛び回るように… 外の世界を知ればしようがなく仕方なく… したくなる。
ただし最初に閉じこもった楽な場所でいい思いをし過ぎると、それは苦痛でつらいだけかもしれない。でもその道を通らなければ見ることのできない最高の景色が、全員を待っている。
楽な場所から勇気を出して外に出て、他の世界を経験することで、結局は自分の人生を面白く楽しく豊かにできると解く。
そうすることで、結果として個々の人々が認め合い人生を豊かにし、また様々な地球規模の問題を解決できる方法だと私は思います。
バック誘導
2022年8月8日記載
私が前に警備員をしていた時の話。
ある病院の駐車場の守衛をしたことがありました。主な仕事は入口の管理やトラブル処理、身障者用の駐車スペースの確保、満車時に空きスペースへの案内、救急車の出入り時の交通誘導など結構忙しかったのを覚えています。
ところでその病院の駐車場は、とても駐車スペースが狭いことで有名です。
車路も狭い。特に軽自動車用の駐車スペースはとても小さい。まさにギリギリ。私自身が停めたくないなと思うくらいである。
満車間近に空きスペースを案内しても、
「あんな狭いトコ停められない」
という返事をよく耳にしました。停め方が下手だとその周囲の駐車スペースが駐車できなくなってしまう。また2度ほど車同士がモロに接触した状態で停めてあるのを目撃しました。車の接触音も何度か耳にしました。
大袈裟ではありません。とにかくひどい。
しかし交通誘導は必要最低限が基本です。
普通はよほどのことがない限り、駐車場などでの一般車のバック誘導はしません。することは見守る程度。余計なことをすると言い争いや接触事故を起こすなどトラブルを巻き込められる可能性があります。
しかし兎にも角にもひどい状態。
どうしても我慢できなくて、一度だけ一般車のバック誘導をしました。
30代くらいの女性の方。
とにかくできない。バックで駐車しようと4回5回と繰り返すもダメ。近くで見ていて、もう我慢できない!「誘導しますよ」と声を掛けてしまいました。
その女性は右からバックで駐車させようとしていました。車を運転する人は分かると思いますが、当然運転者は左後方がよく見えない。そのため右にハンドルを切りすぎて、右側が詰まってしまい、右隣の車に接触しかけるの繰り返しでした。
*この説明分かりますか?真上から見たイメージです。
そこで私はこう言ったのです。
「ハンドルを左に切ってください」
「ハァ…ひだり…?」
その女性は私を見て、何を言っているんだろうこの人?という表情。何を隠そう言った私も、何を言っているんだろう?と思いました。
私とその女性(推測)の心の中
私… なんでこんなこと言ったんだろう?まあ言ってしまった以上仕方がない。面倒くさいし、このまま押し通そうっと…
女性… こんな訳のわからないことを言う人なんか相手にしないで早く停めよ…
兎にも角にも誘導する人される人。
双方の頭の中に?マークの付いたバック誘導が始まりました。
果たしてその結末は… なんと!
びっくりするほどスムーズに駐車することができたのです。双方さっぱり分からない。双方がキツネに抓まれたのです。
「ハイ!そんなもので…」
誘導が終わると、私はすぐその場を立ち去りました。不思議で不思議で… すぐになぜ上手くいったのだろうかと考えました。
結論としては、
その女性は、ハンドルを右に切り過ぎていた。そこに右に曲がるのに左に切ってくれという訳の分からないアドバイス。
無視はしたけど左にハンドルを切れという言葉が頭にこびりつく。そのためにハンドルを右に切りすぎることなく、上手く駐車することができたのではないか?
もちろん後ろを見ていてくれるという安心感もあっただろう。
こんなところかなと思いました。
その日はこの誘導のことをずっと考えていました。そして上記の結論を更に推し進めた最終結論に達します。
『上手く誘導するために上手く誘導すればいいというものではない』
人は誰でも指図や命令をされたくない。
命令されると反発したがる。意図した訳ではないが、その心理を逆に利用していた。そして偶然にもピタリとハマってしまったのだ。
そしてこんなことも思いました。
私はこの誘導のことを印象深く記憶している。だからその女性もそうなのかも…
これから先、その女性がバックで駐車するたびにあの日のことを思い出すとする。
ハンドルを右に切るのに左に切れと訳のわからないことを言う警備員のことを… そして見事なほど上手くいったバックでの駐車のことを…
しばらくしてその女性は旦那さんにこう言われるのかもしれません。
「あれ?駐車上手くなったんじゃないか」
さすがにその想像は『上手く行き過ぎている』でしょうか?
簡単と困難
2022年8月14日記載
月面を歩くのと 100m走るのとでは、どちらが難しいか?最近私の頭に浮かんだ問いかけです。
答えは簡単。月面を歩く方が難しい。 100m走るなんて簡単にできます。では月面を歩くのと 100m走を極めるのでは、どちらが難しいでしょうか?
答えが分からなくなりました。
大金を払えば一般人も宇宙に行ける時代。火星への有人飛行が本格化の時代になれば、月旅行なんてツアー化するかも。費用はべらぼうでしょうが…
100m走を極めるとは、少なくともオリンピックに出場するイメージ。生まれ持った資質に努力。 100m走に人生を捧げる気概が必要です。
どんな道を選んだとしても、
簡単でもあり、困難でもある。
簡単に思えるし、困難に思える。
人はそれぞれ違う。それぞれの人が、
選んだそれぞれの道を歩む上で、
簡単ではなく、困難なこと。
簡単には思わず、困難だと思う。
そんな意識をして、道を進んで、
人生を大いに楽しんでほしい。
苦悩苦痛の日々を楽園に変えようと、
そのための努力が必ずや糧とする。
そして面白いと思うのです。
選んだ道が困難だと思い歩むことは…
切磋琢磨
2010年5月16日記載
いつも誰かと勝負がしたい。人生は一度だけ。休息は必要ですが、争い事や競い合いを避け続けて、ボーッと過ごすだけでは面白くない。
社会的地位や名声を確立していても、満足してしまえばもう生きる理由がないとさえ私は思います。
*余生を楽しむことは当然の権利です。
そういう人を私は何人も見てきました。そしてこう思います。こんな人といてもつまらない。
世の中こんなモンで、こんなモンはこんなモンで、自分はこんなモンだと決めつける人。
*余生を楽しむ人から、知識やノウハウを得ることは大変重要です。でも得るモン得たら… ね。
さすがに言葉が悪過ぎますね😅
てもこれで満足だという人を相手にしても、飽きるし苦痛にも感じます。相手にはしたくはない。
私は今の自分に満足していません。
叶えたい目標なり夢があります。少しでも近づけるために、今の自分に必要な人を相手に競い合い、そしてお互いがより高いレベルになる。
四字熟語でいう『切磋琢磨』である。
そういう生き方を一生続けていきたい。いつまでも満足はしない。そして人生のピークが、死の直前に訪れることも、私の目標であり夢なのです。
猫もシャクシも発信
2022年9月17日記載
今年の1月ホームページ再開。
それからずっと毎日何かしらの文章を書いて公開している。趣味でもあるが、もはや私のライフワークとなっています。
今現在それは負担になっていない。
ネタが尽きないか?飽きていないか?書くこと自体苦痛になっていないか?今現在どれも答えはノーである。
YouTube TikTok Facebook Instagram? SNS上ってどういう意味?…はともかく…
誰もがスマホのネットの中で、自分を主張できる今の時代。ホームページで文章を書くことも然りだ。とりあえず時代に乗っかる自分をなんとなく誇らしく思う。
とか思ったが、最近YouTubeをよく観るようになりました。ホント猫もシャクシも誰でもどんなことでも、なにコレ?と思うことまで…
『石ゴカイを食べてみた』だって… 観なかったけれど。どこかの民族にゴカイを食べる風習があるらしいからだそうですが…
もちろん人のことは、絶対に言えません。書いた本人が、読む気にならないような文章も掲載していますのでね。
まっしかし… 何もしないよりかはマシ。
そうそう… ない訳ではない。いやないですよ!でも確率は0ではない。最近テレビでも観るようになった有名YouTuberのように…
ない訳ではない。もちろん今のところ兆しはまるでなし。でも確率は0ではない。本人は楽しんでいる。誰にでも夢をみる権利はある。いつの日にかブレイクしないかな…
誰にでも夢をみる権利はある。シャクシから猫になって… はしょりまくって、いつの日にかは有名人!なんてあるわけ無いか…
アスファルトの小石
2023年4月13日記載
*ブログで3回の連載をまとめました。
⭐PART①
道路はアスファルトで舗装されている。
アスファルト舗装にほ、原油から取れるアスファルトに砂や砕石を混ぜたものを使用します。
アスファルトは施工し易い反面、耐久性にやや難があり、耐久性は10年とされています。
アスファルトが劣化すると、
ひび割れや車重による轍の他、陥没や穴や段差ができます。表面はガタガタになり、含まれている石が剥がれます。
そのために、定期的に道路の補修や再舗装が必要になり、警備員も出動となるのですが…
このブログではそんなことはどうでもいい。
警備の仕事は道路沿い。少し前のこと。
仕事中フッと、剥がれたアスファルトの石はどこへ行くのか?気になりました。そりゃあ、道路の端の方に溜まっているはずでしょ?
と思って道路の端を見ると、小石がポロポロと転がっている。やっぱりね。思った通り。
道路の端、縁石に溜まった小石。
意識してよく見ないとわからない。
⭐PART②
どうでいいのだけれど、道路のアスファルトから剥がれた小石は何処へ…
一度気にしたことは、飽きるまで何回かしてみるのが私の性分。時々道路に溜まった小石を探すことをしていました。
小石は色がアスファルトと同じなので、
あまり目立たない。ので気にしていないと分かりづらい。すごく溜まっている箇所を見つけると、少しテンションが上がります。
本当にどうでもいいが、
比較的多く集まるのは、舗装が良くない交通量の多い通りの、信号機のないT字路や十字路の隅っこだと私は断言したい!…
ここはT字路である。こんな場所に、
小石がたくさん溜まる傾向にある。
つまんないな…
気を取り直して… せないでしょうが、
つい最近、おもしろい小石の溜まり場を見つけました。とある工事現場の三叉路にて、です。
とある工事現場にて…
お気づきの方もいるかも… そうです。私のブログでお馴染み『とある現場にて』です。
⭐PART③
アスファルトから剥がれた小石は、
道路の端っこに集まると②で書きました。でも変わった例も発見しました。
『とある工事現場』の三叉路です。
そこでは道路の端ではなく真ん中に、剥がれた小石が集まっています。
写真の矢印→の方向に車が通行するため、車が通行しない真ん中に小石が溜まっている。
分かりづらいので、枯れ葉を置いて撮影。この範囲内は、厚さ2㌢位に小石が堆積。
さて… アスファルトの小石シリーズは、これで終わります。この三叉路の真ん中に、びっくりするほど溜まった小石を見て、思いついたのですが…
道路を川に見立て、車を流れに見立てて、剥がれた石もそんな見立てで考える。
なかなかおもしろいかも…
そんなイメージで頑張ってみましたが、
どうにもこうにも…
つまんなかったですね。一周回って… とも思いましたが、どうにもなりませんでした。では、
終わりです。続編『アスファルトの❤️』へ
アスファルトの❤️
2023年6月11日記載
*ブログで2回の連載をまとめました。
⭐PART①
毎度お馴染み『とある現場』にて、上記掲載の『アスファルトの小石』の続編になります。
普通アスファルトの小石は端に集まる。でも三叉路でのアスファルトの小石は、端ではなく真ん中に集まるというくだらない話でした。
私は交通誘導警備員をしている。最近はこの三叉路のある『とある現場』ばかりである。もちろん仕事はキッチリしている。でも田舎。暇で暇で…
この日は特にすることがナッシングー♫
立ってるオンリー♫アンド雨でブルー♫
相変らずの三叉路の真ん中にある小石。人や車はあまり通らないが、工事関係者はたまに通る。
よし!暇つぶしにイタズラをしよう!
⭐PART②
ではイタズラを説明します。その前にもう一度言いますが、仕事はキッチリしていますよ。
三叉路の真ん中に集まった小石。
それを足で ❤️の形にする。誰か小石の ❤️に気がつくかどうかという内容。ホントくだらねー
作ったのは昼過ぎ。結構工事関係者は通ります。監督や元請けの社員に作業員など、歩いたり自転車に乗ったり、すぐ近くを行き来している。
でも全員素通りである。アレ?
誰も気がつかない。のか?
気がついても言わない。のか?
誰にも気付かれず時刻は3時半を過ぎ。これはこれでいいかな。私のみ知る三叉路の小石の❤️
やがて人知れず消え去る運命なのだ…
こんな結論に達して私の思考は停止します。そして小石の❤️などすっかり忘れてた午後4時。
「ハートマーグになってんの!」
一瞬何のことか分からなかった私。あっ!と気がついて後ろを振り向くと、笑顔の若い作業員。
「あっ!気がついてくれましたか」
との返事はどうだったか?オッサンの警備員が道に小石の❤️を作った。確かにおもしろい。
このネタがうけてよかった?
気づいた人がいてよかった?
少しづつ湧き上がる感情。はずかしい〜❤️
邪馬台国は何処に?
2024年2月12日記載
*ブログで9回の連載をまとめました。
⭐PART①
邪馬台国はどこにあったのか?
日本歴史上最大の謎である。そんなミステリーを解く気などサラサラないが、このブログにてオチャラケに書いてみよう。
学生時代は日本史が一応得意でした。
それとテレビなどでの今ある知識のみで、特に調べずに書いてみるとどうなるか?
どうにもならないし、何の意味もない。そして特に面白くもないでしょう。
それなのになぜこんなもんを?
一番の理由はブログだし、あまり頭を使わずにお気楽に書きたいから…
ではお気楽に始めましょう。でも邪馬台国の弥生時代の少し前から書き始めます。
どうしてなのか?一応思いついたことはあるけれど、内容はかなり薄い。なので誤魔化しとボリュームアップが目的です。
数万年前の日本列島には、既に人が住んでいたらしい。その痕跡である遺跡や人骨、石器などが数多く発見されている。
またDNAの研究?から人々は、
北の樺太からと南の沖縄からと、中国大陸や朝鮮半島からやって来てきたそうで、主に狩猟生活をしていたそうである。
ほら穴や岩かげなんかに住み、
ナウマン象など大型の哺乳類を狩って焼いて食ってるイメージ。長野県の塩尻湖の遺跡が有名でしょうか?でもまだまだ、
邪馬台国とは関係ありませんが…
⭐PART②
よく日本列島に人が住み始めたのは、数万年前からと云われています。それ以前の化石や遺跡がほとんど発見されていないから。
でも数十万年前にも人は住んでいた。
と私は思っています。日本列島は火山活動が活発で、特に9万年前?の阿蘇山のカルデラ大噴火で列島は壊滅状態。
それ以前にいた人々は全滅。
その後環境が落ち着いて、また人がやって来たと考えるのが自然な気がします。
日本列島には数十万年前の人の痕跡が、ほとんどないのも説明できる。でも人が住んでなかったと考えるのは不自然。
明石原人の化石なんてあったかな?
確か… 戦時中になくなったとか?調べたいけど調べないで書くと決めたので…
… ナンダそりゃ😁
日本は島国だけど大陸に近い。
氷河期には海面が下り、大陸と陸続きにもなったそうだし気候も温暖。ずっと以前から人が住んでいたと思うのですが… まあいいか!
邪馬台国とは何の関係もないし…
⭐PART③
そして時を経て一万年程前に、
日本列島は土器の発明と道具の進化などにより、縄文時代となりました。
ナウマンゾウやヘラジカなど大型の動物を狩り尽くして困った祖先。暮らしていくためにより工夫が必要になる。
この時代の遺跡で有名なのは、竪穴式住居に縄文式土器。そして貝塚である。
貝塚には、貝殻だけでなくタイやクジラやマグロの骨。他にはアザラシとか?
そして漁をするための、骨で作った釣り用の針やモリ先。舟の遺構まである。
またドングリをスリ潰す用の道具。
パン状にして焼いて食べていた形跡など、食料も道具も進化、多様化が目覚ましい。
前時代と違う部分。それは海の食材が格段に増えたこと。海に囲まれた日本列島らしい。
でもその変化って、単に陸の獲物が減ったことが原因?かもしれないが…
同時代の中国大陸では、より文明が発展していたはず。世界四大文明の一つである黄河文明は、海はあるがすぐ近くである。
海の食材を獲るための道具。
もしかしたら土器や竪穴式住居なども、ひょんなことから、中国大陸から来た人によって、伝えられたと考えるのが自然な気がします。でもそれって考えてみたら…
邪馬台国とは何の関係もありませんが…
⭐PART④
さてと… ついに弥生時代。
私が学生の時は、紀元前3世紀頃から始まったとか?研究が進み現在ではもっと前から、になったと記憶しています。調べませんが…
この時代の最大の特筆。稲作の始まり。
大陸から伝わり、百年くらいで日本中に広まったそうです。人々は稲作を中心とした農耕生活を始めることになります。
基本は現代でも同じだけど、最大の問題である食料確保が、前時代の採集や狩猟生活に比べて、格段に安定し豊かになります。
また現在でも使用している食器類や金属製の道具なども伝わる。う〜ん… 多分自己創作あっただろうな。それはともかく、
既に国家が出来ていた中国大陸から、優れた文明が伝わり、一気に日本人の生活水準が進歩したのが弥生時代です。
でも新たな問題が発生する。
貧富の差、そして争いである。土地を持つものと持たぬ者。支配する者とされる者。村同士の争いから小さな国家が誕生。
その国家同士も争う。争いは拡大の一途。
生活水準の上昇、人々の結びつきも増した反面、日本の秩序は乱れていきました。でも、
… じゃない。邪馬台国そろそろか。
⭐PART⑤
邪馬台国は何処に?の謎に、
今ある私の薄っぺらな知識だけで書いてみるとのコンセプト。では、
中国大陸からの、優れた文明が最初に伝わったのは、朝鮮半島にも近い九州北部である。
そこから優れた文明は、日本各地に伝わっていくのだから、文明が一番発展した地域は、当然九州北部になる。
日本で国が生まれ、争いが生まれたのも、九州北部が一番早かったと考えられる。
文明が一番発達していたのだから、九州北部の国は軍事的にも強かったはず。
廻りの地域を征服していったが、
どうしてもまとまりに欠く。分裂や反乱が絶えない。日本史草創期のこと。自由に生きてきた。誰だって支配なんてされたくない。
でも争いが激化の一途では困った。
そこに男による力の支配でなく、神に仕える巫女の卑弥呼を女王に立てた邪馬台国。
時代背景にマッチして、争いを抑えて国々を統一していった邪馬台国にしても、少なくとも九州北部に誕生したと考えるのが自然でしょう。
*何だか普通の話になってしまった。でもまあいいか。真面目に書く内容だし…
⭐PART⑥
そして畿内説は何となく不自然です。
邪馬台国は『日本史上初めての国家』ということにすると、畿内にある理由がない。
大陸の優れた文明が伝わるのが、九州北部なのだから、初めての国家が、遠く離れた畿内にある理由がないと思います。
邪馬台国は九州北部の何処かにあり、
そこを基盤に、九州や本州の中国地方を支配していたと考えます。
支配が進むと、本州は九州より広大なニューフロンティアだとの情報が入ってくる。
そして九州北部は、大陸の巨大国家がすぐ近くの玄関口。侵略されないか?との不安。
これが後の日本統一国家である大和朝廷が、畿内にできた理由だとして、
大陸の魏から使者には、上陸地からすぐ近くにある邪馬台国の場所を悟られないように、嘘の情報を伝えていた。
さらに九州南部には隼人がいたため、九州を支配できないでいたため、畿内方面に移りたくてもできなかった。
吉野ケ里遺跡の立地って、福岡の海岸から山を隔てた盆地っぽい場所にある。何となく隠れ蓑っぽい気がしません?
吉野ケ里遺跡が卑弥呼のいた場所か?は、もちろん分かりません。だとすれば… です。
こんな感じで、合点のいく気がします。
⭐PART⑦
次に邪馬台国と大和朝廷の関係。
これも謎です。魏志倭人伝に書かれた邪馬台国から空白の2世紀を経て、登場した日本の統一国家である大和朝廷。
私は関係あると考えています。
卑弥呼の死後、男の王が支配したが、反対派がいて国内は多いに乱れてしまう。壱与という巫女を女王にしたら、邪馬台国は再び治まったと魏志倭人伝には記録されていたはずです。
また卑弥呼の死後、巨大な塚が造られ、侍女が数百人も殉死させられたという。
卑弥呼の住まいは男子禁制。身の回りのお世話をしたのは全て女性。死後の卑弥呼が困らないように… との理由。
何となく引っかかる。男の王が卑弥呼の痕跡を無くそうとしたのではないか?
卑弥呼は巫女で神の使い。
神からの指示を自分の弟に伝えて、国を支配していた。でも実際に国を支配したり、武力で領土を拡大するのは男の役目。
神の使いの女など傀儡にして、
国を支配すべく男の王が登場することは、自然の流れである。実力ある者が国を支配する。それは後の歴史が証明している。
⭐PART⑧
表向きの理由は、死後の卑弥呼の世話をさせるためにと、侍女を全て惨殺。巨大な塚を造って埋葬はしました。
でも日本史草創期であっても、
いきなり実力主義の男の王が、再び支配することは、反発を招いてしまう。そこで女王として、壱与を立てて時間を稼ぐ。
根回しや武力行使、弾圧などで、
支配者は実力ある男の王であるべきだという認識を民に植え付け、巫女の女王を完全に排除することに成功する。
そして塚も卑弥呼の住まいも、取り壊して更地にする。見せしめもある。壱与は残酷で不幸な最後を迎えたのかもしれない。
近隣住民には厳しく口留め命令を敢行。
歯向かえばバッサリの恐怖政策。巫女の女王など存在しなかったとして、支配していく。
*これなら北九州説の決定的な証拠は見つからないのも頷ける。
北九州には、信頼する部下を配置。
後の世に反乱を起こす磐井でしょうか?中国大陸や朝鮮半島との渡来人の受け入れや高度な文明の導入など交流を管理。
そして不都合だとの理由で、
弾圧を強めて、徹底的に女王卑弥呼の影響や記憶を無くしていく。江戸時代のキリシタン弾圧に似ているかな…
⭐PART⑨
中国から得た高度な文明を武器に、
優秀な渡来人を部下にして、卑弥呼の影響が少ない東方向に支配を広げていく。
そして畿内、肥沃で広大な大地、今の近畿地方に大和朝廷を成立させた。さらに東へ支配を広げて日本を統一していった。
古代の日本史は、こんな感じに考えるのが自然な気がします。あっ… それと、
後に大和朝廷を成立させた王は、
邪馬台国の時代、関門海峡を超えて東を攻撃していた王であろうと推測します。
実力があり、関門海峡を隔てているため、
卑弥呼の影響も薄れている。だから独立の下地も育ちやすい。そして海峡があるために、邪馬台国の軍隊も攻めにくい。
以上です。最後は何だか中途半端な感じ。
でもここら辺で終わりにしたい。私が考えたことだけど、邪馬台国の悲惨な最後。書いていてつらくなってきました。
日本初の国家らしい国家である邪馬台国。
魏志倭人伝に記述がある以上、存在したことに間違いはない。でも日本史草創期とは云えど、これだけの国家がどこにあったか分からない。
日本にまだ文字のなかった時代。
でもそれはいかにも不自然で変。
そこを考慮して出した私の答え。
自信は結構あります。でも邪馬台国はどこにあったのか?そしてどうなったのか?
永遠の謎であってほしいと思います。
原付バイクの通り道
2025年6月7日記載
*ブログで2回の連載をまとめました。
私は原付バイクを持っている。
普段出掛けるときは自動車に乗っているが、たまに原付バイクで遠出して楽しんでいる。
寒からず、雨降らず、暇な時に、
原付バイクを乗るときの楽しみは、
一つは自由気ままな『開放感』そして街中でズラッと並んだ信号待ちの車を、横からスイスイ追い抜くして『やったり感』でも何と言っても…
自動車では行けない道を走ること。
そんな細い路地のような道を見つけては、原付バイクで通るとき、本当に良い気分になる。
このブログではそんな道の紹介です。
例えばこんな道、自宅から40キロ離れた吉野川の河川敷の土手。自動車じゃ絶対通れない。ポールに当たらないよに、注意してスイっと!
ちなみに今回紹介する写真は、ここに写る潜水橋の取材の道中のもの。現在私のホームページで、吉野川に架かる橋という企画をしています。
例えばこんな道、自動車でも通れるけど、知らない道で行き止まりだと困ってしまう。
例えばこんな道、ここはさすがに自動車は通れない。この先は原付バイクでも思った細い道。
例えばこんな道、徳島県川島町の小高い丘のどっかです。実は道に迷っている😅どこだここ?
んっ!正面に見覚えのある川島城がある。国道沿いにある城だ。そこを目指して… ヤレヤレ
例えばこんな道。道に迷った挙句、ただの山道へ辿り着く。ここを下る以外なし!怖かった…
例えばこんな道。上の写真の続き、やっと住宅地の開けた場所に出れた。最後はかなりの段差。
*知らない土地だとよく迷う😅
*遠くだと幹線道路しか通らないので
例えばこんな道。家と家の間の小道。この後直角に曲がり、さらに直角に曲がっていた。
例えばこんな道。河川敷の急角度の斜面。ウソです。さすがにここはバイクでは無理😁
最後のはともかく(一応オチのつもり)
自動車では通ることができないが、
原付バイクなら通れる、そんな小道を見つけてわざわざ通る『原付バイクドライブ』を楽しむ私。
ここは車は通れないな… イェイ!
そんな感じで悦に浸っている私。自宅から数十キロ離れた片田舎の路地なんか最高である。
ではこの辺で終わります。ゆる〜い企画だし、おもしろい。写真が貯まったら続編も検討中。