収録文章

バカの壁を読んで  22年8月26日
核融合エネルギーを得るには 22年7月20日
バック誘導  22年8月8日
簡単と困難  22年8月14日
対決  10年5月16日
新型コロナ感染記録  22年8月29日
猫もシャクシも発信  22年9月17日
📝邪馬台国は何処に?24年2月12日

バカの壁を読んで
2022年8月26日記載

『バカの壁』という本を読みました。その読書感想文を書こうと思います。
*2007年 9月 1日から2010年8月27日に書いてからほったらかしの文章。リニューアルして新作にします。

最初に読んだのは2006年1月頃。
引きこもりから社会復帰した時に、高校の友人から進められました。他に『唯幻論』も進められ読んでみたけどさっぱりわからなくて途中で挫折しました。
高校の友人は頭のいいヤツでしてね。

最近『バカの壁』を一回ザーッと読んでみましたが、分かるようでよく分からない。作者の養老孟司は東大の名誉教授。頭のいい人の考えることは、理解するのが大変です。
ただ私の得意は、簡単なことを難しく、難しいことを簡単に考えてしまうことです。

この文章を書きながら、もう一度キッチリと読む予定ですが、一応エッセンスだけは、最初に読んだ当時に浮かんでいたので、書いてみたいと思います。

*唯脳論の解釈

地球上唯一の知的生命体である人類は、他の生命体と同じく動物である。動物は本能のままに生きる。決して無理はせず、我慢もせず、自然に生きる。
ところが他の生命体と同じく動物である人間の特徴は、頭の思考能力が発達していること。
そのために脳への入力に対する出力が一致する本能のまま生きる他の動物と違い、頭の思考能力が発達し複雑なために、脳への入力に対する出力がうまく一致させられないことが起こってしまう。

これが『バカの壁』を読んで、私の思う唯脳論(唯幻論)についての解釈です。

そして人間は他の動物と同じように自然に生きることが望ましい。しかし頭の思考能力の発達が邪魔をしている。人間の特徴である頭の思考能力の発達を踏まえた上で、自然に生きるにはどうすればよいか?

これが『バカの壁』を読んで、作者が言いたいことだと思いました。

⭐『バカの壁』に対する私の理解⭐
⭐2022年7月15日現在⭐

人には得意と苦手、長所と短所がある。
そのどちらもさらけ出すことが、自然な生き方である。でも人の発達した脳が得意や長所だけを見せて、苦手や短所を隠そうとする。

不自然になる。視野が狭くなる。自ら壁を作って閉じこもる。壁の外の世界を遮断しその中だけで生きようとする。

自分に都合の良い環境で生きることは正解。
でも都合の悪い環境のことを無視し認めないことは間違い。そういう世界も意識し認めることが正しい。そのために苦手や短所を隠さずさらけ出すことが必要である。

壁を作ることは必要である。壁がなければ生き抜くことはできない。でもその壁は透明で出入り可能でなければならない。

つまり壁はその人だけが意識するものであり、他人に影響を与えてはいけないものである。

⭐また変わると思います⭐

ともかく感想文なので第一章から第八章まで個別に書いてみたいと思います。

第一章  『バカの壁』とは何か

自分が知りたくない興味のないことを自主的に遮断する。ここに壁があり、一種のバカの壁だと書いてある。

別に良いと思う。ただし自分が遮断したことについて、分かっていると思うのはダメで、分からないと思うこと。そして自分が知りたくない興味のない分からない世界が存在していると思うこと。で良し。

『常識』とか『分かる』を簡単に考えてはいけない。ただの知識だけで判断することなんてはできないからである。
自分が実際に、経験したことから『常識』とか『分かる』を判断し、考えなければならない。経験していないことは、知識はあっても分からないと思うことが大切。

なんだか私には、普通のことを書いているように思います。
知識だけでは分からない。経験したことしか分からない。その経験が多ければ多いほど『常識の理解』や『分かること』がより正確にできるようになる。
当たり前のような気がしますが…

全てのことを『分かっている』神の存在を信じるのは自由だと思う。でも人間はやっぱり実際に経験したことしか分からない。
それで良いのではないでしょうか?

第二章  脳の中の係数

脳への入力と出力を表した式
Y= αX
Xとは五感から脳に入力される情報。
Yとはその情報に対しての反応。出力。
 α とは脳の中の係数。
 α は『現実の重み』と言うべきもの。
人によって、またその入力によって全然違った値となる。以下のような感じ。

α =0 行動に影響なし。現実ではない。
α =無限大 原理主義。絶対的な現実。
α =適正値 その環境に適性な反応。
α =プラス  好き
α =マイナス 嫌い

本ではこのように説明されています。
実に分かりやすい。私がこの本の中で一番感銘を受けた所です。

ここで私が思ったことは二つ。
一つは、人はα が適正値になる環境に身を置くと良いということ。そしてそれ以外の環境があることを理解する。もしくは認めること。
これでごく普通の人生が送れる。

ただし自分に合う環境しか認めず、適正値にならない環境を無視する。もしくはただ否定するのでは、自分も周りの人も不幸にしてしまう。 (α =0 α =無限大)

こんな感じでしょうか?
そしてもう一つうまく説明できないですが、思いついたので一応書いてみます。

自分に合わない環境に実際に身を置く経験が多いほど、ある状況とか状態についてかな…
もしくは常識とか真実、真理に対する α の値が限りなく1に近づく。
う〜ん…うまく言えない…

正直とか正しいとか…そんな感じ。
本質を見極める。正しい方向へ向かう…とか。そんなイメージ。式で表すと、
Y= αX=X( α =1)

*思いついたのは最初にこの本を読んでから4年と半年後の2010年6月5日。
E= mc²が、物理学者のアインシュタインの考えた世界一美しい方程式ならば、
私の考えたY=X( α =1)は世界一簡単な方程式だと自負しています。

*の部分は当時の私が書いたものです。

唯脳論の解釈で書いた内容とリンクしている。
確かにこれを具現化できたなら、正しい道とか倫理を作り出すことができるかもしれません。
だけど今の私には、こんなに自信を持っては言えません。難しい…

第三章  「個性を伸ばせ」という詐欺

個性とは元々その人に宿っているものであり、生涯変わらない。変えようとしてもその人の個性は変わらない。
だから教育で個性を伸ばせとかは意味がない。本当に教育すべき学ぶべきこととは、社会の一員になるためのルールとか常識である。
共通了解として言葉やマスメディアの発達による共通の情報など…

そして自分以外の人の個性を認めること。
人の気持ちの分かるようになれ。人を否定してはいけない。とか…

そうすれば自分の個性を人に認めてもらえるようになる。人がそれぞれにお互いを認め合う社会の実現。

どうすればいいか?ここからは私の考え。
自分の個性を理解する。そして長所や得意なことだけでなく、短所や苦手なこともさらけ出すことだと私は思っています。

第四章  万物流転、情報不変

何回か読んだけど、説明や解説がよく分からない。とにかく分かった感じで私の考えで何とか書いてみます。

万物流転。人間は変わっている。情報は変わらない。これが正しい。現代は自分は不変で、情報は変化しているというアベコベ現象が起こっている。…よく分からない。

個性は身体に宿っている。ここでの身体とはDNAでしょうか。私もそう思う。
そして個性は絶対に変わらない。脳で意識して変えようとしても絶対に個性は変わらない。でも人間は常に成長や老化しているから、人間は変わっている。

どう変わるのか?自分の身体に宿る個性を脳が理解すると人間は変わっていく。つまり初め人間は自分のことを分かっていない。
意識するべきことは、自分の個性の理解と他人との共通性の理解すること。つまり自分を知ることが、他人のことを理解することに繋がる。これで社会の歯車の一つになることができる。

情報は不変と書いてあるが、変わっていると思う。過去の情報は不変だけれど、それは人間も同じ。万物流転とは人間も情報も変わっていくということ。

絶対に不変なのは身体に宿る個性。脳の意識や情報は変化する。人間はいつか死ぬ。実際の身体は必ず老化し衰えていく。
でも自分を知ること。脳が自己に宿る個性を理解する作業を続けることで、人間はいつまでも成長することができる。

ある一つの情報に対して、過去の自分はどう感じたか思ったか?そして今の自分はどう感じるか思うのか?
で、自分の現状への理解。そして成長の具合をいつまでも感じていたいものである。

こんな感じかな…さっぱり分からん…

*気に入らないから修正するかも…
 では先に進みます。22年7月10日記

第五章  無意識、身体、共同体

意識と無意識は脳の中の問題。身体と脳は個体の問題。共同体は社会の問題。
都市化は農家社会を脳化社会にして身体を忘れて脳だけで行動するようになった。
とか最初に書いてある。分かります?

分からないことの感想は書けない。でも一つだけ理解できたことがあります。
それは『無意識』についてです。

無意識とは身体に宿る自己の個性のことだと私は思います。
目が覚める直前の夢の中で… とか、
何もすることがなくぼーっとしている時や何も心配事なくリラックスしてる時。頑張って何かをやり終えて気が緩んだ瞬間などに、何気なくフッと思うことがあります。

こうしたいとかこうなりたい… だったり、
以前失敗したりダメだったことや何故こんなことしたのかと後悔したことを思い出して、それで良かったんだとか思うこと。

無意識下で現れる自己の個性を理解する。意識下で自己の個性の確認作業をする。そして自己の個性を最大限表現できる場所を探し出して、身を置くこと。

無意識の不理解は苦悩。理解して意識は努力や苦労。無意識と意識の一致は享楽。

一人一人がそういう生き方をすれば、人の集まりである共同体の社会問題は徐々に改善されるだろう。

自分の経験を加味して、こんな感じに思ったのでまとめてみました。

第六章  バカの壁

利口とバカとは社会適応性で判断?
利口で賢い人はバランスが良く社会適応性に優れている。つまり普通の人のこと。

バカと天才は紙一重。何かの能力に秀でていると別の何かが欠如している。バランスが悪く社会適応性に欠ける。

偉人と悪人もしかり。
常人とは異る脳の反応。善悪は問わず大きな影響を社会に与える。

天才の脳は思考や反応をすっ飛ばしたり、一部の能力に欠けている。驚くような凄いことができる。犯罪者、オタク、無気力人間なども普通とは違う脳の反応らしい。

もし選べるならば…
バランスの取れた普通の人と、何かに秀でた天才や偉人。どちらがいいか?私は後者になりたい。なぜなら社会にプラスの大きな影響を与えられるから。

でも普通の人に比べて、社会適応性に欠ける。社会不適合者では、秀でた能力は発揮出来ず宝の持ち腐れになる。もしくは社会にマイナスの悪い影響を与えてしまいかねない。

人より秀でた能力を適切に発揮するためには、社会適応が苦手なのだと意識して、社会に順応するための努力をすること。特に我慢を覚えることだと思いました。

第七章  教育の怪しさ

正直よく分からなかった。
だからここでは『教育』と題して文章を書いてみたいと思います。

子供の頃の教育についての私の意見

個性は身体に宿っている。
その個性を社会で活かすために、社会人としての最低限の基本的な常識や規則を教える。もう少し具体的な知識や技術についても最低限の基本的なことで十分だと思う。

子供の頃は個性の違いにより、長所ばかり出たり短所しか出なかったりする。イジメや不登校の原因になる。

私が教育で一番重要だと思うこと。
子供や若い頃に出る個性とは、ほんの一部分に過ぎないと認識させることだと思う。

人間は誰にでも長所と短所がある。
突き詰めて考えれば、人はみんな同じだということ。長い目で考えること。自分を知ることで他の人の個性を認められる。

人を認めるために自分のことを知る。
自己の個性を最大限発揮するために、ダメで苦手な部分をさらけ出し、それを克服する努力する。その過程にて謙虚さと揺らぐことのない本当の自信がつく。

『人生の基本』を教えることが『本当の教育』だと私は思います。
*これでいいや…

第八章  一元論を超えて

この本を読んで参考にして、私自身の考えをまとめました。

生きていく上で、自分に都合のいい環境を見つけて、その周りに壁を作り、中に閉じこもり生活していく。

別に問題はなく、むしろ当然であり自然のように思います。それは人間だけでなく他の生命体もしていることだからです。

問題は自分のいる壁の中だけを認めて、壁の外の世界を認めない、無視する、争い合う、また出ようとしないのが、『人間』だからであると思います。

人間は地球上最も繁栄している生命体。環境問題やエネルギーや戦争など地球に多大な悪影響を与えてしまう。『人間』だから殻に閉じこもる生き方をしてはいけないのである。

ではどうすればいいか?
自分に都合の良い、楽で快適な居場所にいるだけの生き方では、つまらない面白くないと意識させる。

苦労があり、苦痛もあるだろう。そして何より怖い。でもいつまでも自分の殻に閉じこもっていないで、そこから勇気を出して一歩前に飛び出すことが、本当の意味での人生のスタートなのだと解く。

例えれば、ずっと土の中だけで過ごしてきた幼虫が、サナギから成虫となって、空を自由に飛び回るように… 外の世界を知ればしようがなく仕方なく… したくなる。

ただし最初に閉じこもった楽な場所でいい思いをし過ぎると、それは苦痛でつらいだけかもしれない。でもその道を通らなければ見ることのできない最高の景色が、全員を待っている。

楽な場所から勇気を出して外に出て、他の世界を経験することで、結局は自分の人生を面白く楽しく豊かにできると解く。

そうすることで、結果として個々の人々が認め合い人生を豊かにし、また様々な地球規模の問題を解決できる方法だと私は思います。

核融合エネルギーを得るには
2022年7月20日記載

人類が核融合エネルギーを得るには…
核融合エネルギーは、夢のビッグパワーエネルギーである。もしも人類がこのエネルギーを自在に操ることができたなら、化石燃料に依存するエネルギー問題は全て解決するだろう。
今はSFの話である地球外惑星への移住も実現可能になるかもしれない。

現状直面しているエネルギー問題と遠い未来に地球は絶対に太陽に飲み込まれてなくなってしまうという問題。
私が生きている間は大丈夫だろう。でも頭からは離れない。もっとも頭の引出しからそれを開けるのは、年に一度くらいのものですが…
ではこの夢のビックパワーを人類が得るにはどうすればいいのか?

科学者が頑張って発明すればいい。
だけでは無理な気がします。そこには発明より先に倫理が必要になると思うのです。

すでに人類は核分裂による原子力エネルギーを制御し利用する技術は得ている。
アインシュタインの理論から、第二次世界大戦中に核爆弾ができ、戦後は原子力発電が始まりました。

核爆弾は強力な兵器で人類を滅亡させることも可能である。また平和利用のはずの原子力発電も、核廃棄物という簡単に環境破壊をしてしまう厄介な問題があります。

そこで原子力エネルギーに対する倫理が生まれました。放射能の危険性の理解。地球規模で考える必要性。宇宙船地球号などの概念。核兵器の使用禁止。国際連合。温暖化やオゾン層の破壊などの環境問題。

使用を誤れば、人類どころか地球が壊滅するだろう原子力エネルギーを得たことで、人類は地球規模で物事を考えるようになりました。考えたら当たり前でしょう。

道具は便利で必要だから作り使用する。マイナスになるなら意味がない。でも道具が便利であればあるほどプラスは大きいが、マイナス面も大きくなる。

例えば高級な自動車は便利だけれど、値段や維持費は高くなる。ビニールは便利だけれど、不法投棄による海洋汚染の原因になる。スマホは便利だけれど、使い過ぎによる子供の視力低下を招いているらしい。とか…

同じ原子力エネルギーでも、核融合によるそれは核分裂によるそれより、はるかに凄いし有益だし高性能である。

重水素などの資源量は無尽蔵で、エネルギー量も大きく、放射能問題も軽減される。
⭐詳細はよく分からない

そして宇宙規模での自然界においての核エネルギーとは核融合によるものである。
⭐詳細はよく分からない

太陽は水素原子核が4つ結合してヘリウム原子核になる核反応での質量減が膨大なエネルギーに変換される。
⭐詳細はよく分からない

核融合炉とは、人工的に太陽を創り出し制御してエネルギーを得るという正に夢のシステムなのであると思います。
⭐これが言いたいこと

人間が全ての源である太陽を創り制御する。もの凄く恐ろしい。もし悪用されたら水爆を含めた現存の核兵器の比ではない。

兵器に応用されればどうなるのか想像もできない。そして核融合炉の実現自体に、人間が謙虚さを失くし理性すら失うかもしれない。

プラス面が桁外れ大きいとマイナス面も同じく桁外れに大きくなると予測できるからです。

開発するのは科学者です。いつか実現できるでしょう。私もできてほしいと願っています。
でも人間がこの究極のスーパーパワーを手に入れる前に、絶対に正しく利用するための人類共通の倫理ができていなければならない。

逆に言えば、その究極の倫理ができない内に核融合炉の実現は不可能であろうと私は考えています。なぜなら私は人類が滅亡してほしくないと思っているからです。

さて… 問題はその『究極の倫理』である。
この文章を書き始めた時は全く見当もつきませんでした。つい最近一応思いつきました。私自身は良いなと思っています。
では書いてみましょう。核心を突いてる気もするが、即効性はまるでない。

核融合エネルギーを得るための倫理

人間を含めて生命は、元々地球には存在しなかった。生命の誕生、起源はまだ解明はされていない。メタン、アンモニア、二酸化炭素などの無機物や隕石などにも含まれている有機質から生命は誕生したと考えられている。

いずれにしろ、現在地球上で高度な文明社会を築き繁栄している人類も、元々は地球の物質の一部だったである。

人間は元々地球の一部なのである。

元々地球の一部だった人類が、地球そのものを破壊しかねないスーパーパワーである核融合エネルギーを間違えて使用をする訳がない。

思いついた時は割と興奮した。
書いてみればイマイチか… いやダメか…
でもこの文章を終えるにはこれしかない。

私の思う『究極の倫理』
人間は元々地球の一部なのである。

バック誘導
2022年8月8日記載

私が前に警備員をしていた時の話。
ある病院の駐車場の守衛をしたことがありました。主な仕事は入口の管理やトラブル処理、身障者用の駐車スペースの確保、満車時に空きスペースへの案内、救急車の出入り時の交通誘導など結構忙しかったのを覚えています。

ところでその病院の駐車場は、とても駐車スペースが狭いことで有名です。
車路も狭い。特に軽自動車用の駐車スペースはとても小さい。まさにギリギリ。私自身が停めたくないなと思うくらいである。

満車間近に空きスペースを案内しても、
「あんな狭いトコ停められない」
という返事をよく耳にしました。停め方が下手だとその周囲の駐車スペースが駐車できなくなってしまう。また2度ほど車同士がモロに接触した状態で停めてあるのを目撃しました。車の接触音も何度か耳にしました。
大袈裟ではありません。とにかくひどい。

しかし交通誘導は必要最低限が基本です。
普通はよほどのことがない限り、駐車場などでの一般車のバック誘導はしません。することは見守る程度。余計なことをすると言い争いや接触事故を起こすなどトラブルを巻き込められる可能性があります。

しかし兎にも角にもひどい状態。
どうしても我慢できなくて、一度だけ一般車のバック誘導をしました。

30代くらいの女性の方。
とにかくできない。バックで駐車しようと4回5回と繰り返すもダメ。近くで見ていて、もう我慢できない!「誘導しますよ」と声を掛けてしまいました。

その女性は右からバックで駐車させようとしていました。車を運転する人は分かると思いますが、当然運転者は左後方がよく見えない。そのため右にハンドルを切りすぎて、右側が詰まってしまい、右隣の車に接触しかけるの繰り返しでした。

*この説明分かりますか?真上から見たイメージです。

そこで私はこう言ったのです。
「ハンドルを左に切ってください」
「ハァ…ひだり…?」
その女性は私を見て、何を言っているんだろうこの人?という表情。何を隠そう言った私も、何を言っているんだろう?と思いました。

私とその女性(推測)の心の中
私… なんでこんなこと言ったんだろう?まあ言ってしまった以上仕方がない。面倒くさいし、このまま押し通そうっと…
女性… こんな訳のわからないことを言う人なんか相手にしないで早く停めよ…

兎にも角にも誘導する人される人。
双方の頭の中に?マークの付いたバック誘導が始まりました。

果たしてその結末は… なんと!
びっくりするほどスムーズに駐車することができたのです。双方さっぱり分からない。双方がキツネに抓まれたのです。

「ハイ!そんなもので…」
誘導が終わると、私はすぐその場を立ち去りました。不思議で不思議で… すぐになぜ上手くいったのだろうかと考えました。

結論としては、
その女性は、ハンドルを右に切り過ぎていた。そこに右に曲がるのに左に切ってくれという訳の分からないアドバイス。
無視はしたけど左にハンドルを切れという言葉が頭にこびりつく。そのためにハンドルを右に切りすぎることなく、上手く駐車することができたのではないか?
もちろん後ろを見ていてくれるという安心感もあっただろう。

こんなところかなと思いました。
その日はこの誘導のことをずっと考えていました。そして上記の結論を更に推し進めた最終結論に達します。

『上手く誘導するために上手く誘導すればいいというものではない』

人は誰でも指図や命令をされたくない。
命令されると反発したがる。意図した訳ではないが、その心理を逆に利用していた。そして偶然にもピタリとハマってしまったのだ。

そしてこんなことも思いました。
私はこの誘導のことを印象深く記憶している。だからその女性もそうなのかも…

これから先、その女性がバックで駐車するたびにあの日のことを思い出すとする。
ハンドルを右に切るのに左に切れと訳のわからないことを言う警備員のことを… そして見事なほど上手くいったバックでの駐車のことを…

しばらくしてその女性は旦那さんにこう言われるのかもしれません。
「あれ?駐車上手くなったんじゃないか」

さすがにその想像は『上手く行き過ぎている』でしょうか?

簡単と困難
2022年8月14日記載

月面を歩くことと100m走ることでは、どちらが難しいのか?
最近私の頭にふと浮かんできた問いかけ。

答えは簡単。月面を歩くことのが難しい。100m走るなんて簡単です。

では月面を歩くことと100m走を極めることでは、どちらが難しいのか?
答えが分からなくなりました。

金さえあれば一般人も宇宙に行くことができる時代。火星への有人飛行計画が本格化すれば、月面に行くことは一般人でもできそうだ。べらぼうな金さえあれば… なくても抽選で当たる運さえあれば…?

100m走を極めるとなれば、少なくともオリンピックに出場、9秒代では走らなければ…
持って生まれた資質に努力。そして100m走に人生をかける気概が必要になる。

どんな道でも、
簡単でもあり、困難でもある。
簡単に思えるし、困難にも思える。
人はそれぞれ違う。それぞれの人が、
どんな道の中で、
簡単ではなく、困難なこと。
簡単には思えず、困難だと思うこと。
そういう道を選んで、人生を楽しんでほしい。最初は苦痛だし苦労するが、将来必ず楽をするための糧となる。
そして面白いと思うのです。
自分が困難だと思う道を歩むことは…

対決
2010年5月16日記載

対決とは誰かと勝負することです。人生は一度しかない。毎日をただボーッと過ごすだけでは全然面白くありません。

たとえ金持ちでも、社会的な地位や名声を確立していても、満足してしまえばもう生きる理由がないとさえ私は思います。

そういう人を私は何人も見てきました。そしてこう思います。
こんな人といてもつまらない。

言葉は悪いかもしてません。
でもこれでもう満足だという人と接することは私にはすごく苦痛に感じます。そんな人を相手にしたくはないのです。

私は今の自分に満足していません。
と言うか…出来るわけがない。

目標なり夢がある。今の自分をよりそれの実現に近づけるために、今の自分に必要な人を相手に互いに競い合い、そしてお互いが今より高いレベルになるようにする。

四字熟語でいう『切磋琢磨』である。

そういう生き方を一生続けていきたい。
生きている間は満足をしたくない。

そして人生のピークが死の直前になれることが私の目標であり夢なのです。

新型コロナ感染記録
2022年8月29日記載

ついに… である。
感染してしまった。
昨日から熱っぽく今朝病院でPCR検査にて感染しているとのこと。
感染したことは仕方ない。
この事実をどう捉えるか?である。
幸い症状はさほどでもない。
薬を服用、10日間の自宅療養である。
とにかく周りに感染させないように、そして自身の完治が最優先である。
10日間をどう使うか?
… 書こうと思ったが、今朝陽性が判明したばかりである。熱もあり、精神的にもつらい。今日のところはこの辺で。
22年8月20日記

感染2日目。昨晩は39度4分まで上昇。
私は物心がついてからインフルエンザになったことが記憶にありません。だからここまでの高熱は経験したことがない。
最近のコロナはそれほどではないとニュースには出ていたが、不安でした。部屋を片付けて万が一に備えたり…
今朝になると7度台前半に。峠は越えた。でも風邪特有の身体の節々が痛く、喉も少し痛い。まだまだ回復には程遠い。
大事には至りそうにない。まずは安心。でもまだ油断は禁物である。
22年8月21日記

感染3日目。平熱になる。朝起きると汗がにじむ。発熱時はなぜか汗が出ない。冬場トイレが近くなる現象と同じく不思議な現象だと思う。
とにかく医師から熱は数日で下ると言われていたが、その通りになった。一安心である。しかし喉は依然として少し痛い。そして肺かな?違和感がある。回復にはまだまだのようである。
10日間をどう使うか?と陽性初日に書いた。まずは禁煙である。煙草は身体に絶対に悪い。続けることは全てにおいて最悪である。これを機に煙草を絶対にやめなければならない。30年近くの習慣に依存症。簡単ではないがするしかない。
まだ一週間以上ある。絶対に実現する!
22年8月22日記

感染4日目。少し喉が痛いくらい。症状はほぼ治まる。結局はインフルエンザになったようなものでした。保健所から連絡があり、29日まで自宅待機。身体に問題なければ仕事復帰してもよいとのこと。
さて… どうしよう。暇である。昨日から禁煙はスタートしている。昨日は10時間に成功、今日は11時間の予定。
まだ何かをする気にはならない。夏場の疲れもある。今日はダラダラ過ごそう。
22年8月23日記

感染5日目。症状は変わらず。精神的には落ち着いてきた。テレビのニュースでは相変わらずの感染者数である。私もそのうちの一人。ニュースに対する感覚が以前とは違う。
さて今日は14時間の禁煙に成功である。本当は12時間の予定だったが、寝てしまって記録が延びてしまった。良いことではある…
少しやる気が出てきた。今日からホームページの文章作成を頑張ろうと思う。
22年8月24日記

感染6日目。ほぼ完治となる。24日の徳島県の感染者数は三千人を超えている。自分には感染しないと予防接種は2回だけでした。自分にも非がある。感染は必然かもしれません。
これを前向きに考える。この10日間を人生最後の大型休日としました。禁煙活動を継続しつつ今日は部屋の掃除をしよう。
なんだか引きこもり時代を思い出す。もうすぐ社会復帰後の第二章が始まる。
その準備をしたいと考えています。
22年8月25日記

感染7日目。暇だ。早く仕事復帰したい。さすがに部屋の中にいるだけでは持て余す。気晴らしに車でドライブに行く。ただコンビニとか店には入れない。禁煙活動頑張る。今はそのくらい。早く復帰したい。
22年8月26日記

感染8日目。暇だ。暇だ。暇だ。暇だ。暇だ。暇だ。あと2日の辛抱。何もしない日々には慣れているが、さすがに飽きた。
22年8月27日記

感染9日目。体調はすっかり全快。
明日は仕事再開の準備である。なので感染日記は今日までにします。折角なので新型コロナに感染しての感想をまとめてみたいと思います。
22年8月28日記

自宅待機最終日

新型コロナに感染して思うこと。
結果的には大事には至りませんでした。感想としてはすごく暇でしたね。

最近のコロナは無症状か軽症が多いとニュースで知っていましたが、私の場合は熱がかなり高くなりました。

ただ熱以外の症状はほとんどなく、インフルエンザになったという感覚。自宅待機の特に後半は暇で暇で…

しかしPCR検査で陽性だったときのショックと、熱が9度4分まで上がったときは、さすがに不安でした。

感染前と後で何か変わったか?熱が出ているときはいろいろ考えました。人生観が変わるのかも… とか。自宅待機最終日の今は別に… という感じであります。

ただし一つだけ変わったことがあります。30年近くしてきた悪しき習慣の終止符が打てたこと。つまり禁煙です。ついに成功しました。

今は別に… でもこれから少しづつ変わっていくのかも… もしかしたら新型コロナ感染様々なのかもしれません。
2022年8月29日記載

猫もシャクシも発信
2022年9月17日記載

今年の1月ホームページ再開。
それからずっと毎日何かしらの文章を書いて公開している。趣味でもあるが、もはや私のライフワークとなっています。

今現在それは負担になっていない。
ネタが尽きないか?飽きていないか?書くこと自体苦痛になっていないか?今現在どれも答えはノーである。

YouTube TikTok Facebook Instagram? SNS上ってどういう意味?…はともかく…

誰もがスマホのネットの中で、自分を主張できる今の時代。ホームページで文章を書くことも然りだ。とりあえず時代に乗っかる自分をなんとなく誇らしく思う。

とか思ったが、最近YouTubeをよく観るようになりました。ホント猫もシャクシも誰でもどんなことでも、なにコレ?と思うことまで…

『石ゴカイを食べてみた』だって… 観なかったけれど。どこかの民族にゴカイを食べる風習があるらしいからだそうですが…

もちろん人のことは、絶対に言えません。書いた本人が、読む気にならないような文章も掲載していますのでね。

まっしかし… 何もしないよりかはマシ。
そうそう… ない訳ではない。いやないですよ!でも確率は0ではない。最近テレビでも観るようになった有名YouTuberのように…

ない訳ではない。もちろん今のところ兆しはまるでなし。でも確率は0ではない。本人は楽しんでいる。誰にでも夢をみる権利はある。いつの日にかブレイクしないかな…

誰にでも夢をみる権利はある。シャクシから猫になって… はしょりまくって、いつの日にかは有名人!なんてあるわけ無いか…

邪馬台国は何処に?
2024年2月12日記載

*ブログで9回に分けて書いたものを、編集してまとめました。


⭐PART①

邪馬台国はどこにあったのか?
日本歴史上最大の謎である。そんなミステリーを解く気などサラサラないが、このブログにてオチャラケに書いてみよう。

学生時代は日本史が一応得意でした。
それとテレビなどでの今ある知識のみで、特に調べずに書いてみるとどうなるか?

どうにもならないし、何の意味もない。そして特に面白くもないでしょう。

それなのになぜこんなもんを?
一番の理由はブログだし、あまり頭を使わずにお気楽に書きたいから…

ではお気楽に始めましょう。でも邪馬台国の弥生時代の少し前から書き始めます。

どうしてなのか?一応思いついたことはあるけれど、内容はかなり薄い。なので誤魔化しとボリュームアップが目的です。

数万年前の日本列島には、既に人が住んでいたらしい。その痕跡である遺跡や人骨、石器などが数多く発見されている。

またDNAの研究?から人々は、
北の樺太からと南の沖縄からと、中国大陸や朝鮮半島からやって来てきたそうで、主に狩猟生活をしていたそうである。

ほら穴や岩かげなんかに住み、
ナウマン象など大型の哺乳類を狩って焼いて食ってるイメージ。長野県の塩尻湖の遺跡が有名でしょうか?でもまだまだ、

邪馬台国とは関係ありませんが…

⭐PART②

よく日本列島に人が住み始めたのは、数万年前からと云われています。それ以前の化石や遺跡がほとんど発見されていないから。

でも数十万年前にも人は住んでいた。
と私は思っています。日本列島は火山活動が活発で、特に9万年前?の阿蘇山のカルデラ大噴火で列島は壊滅状態。

それ以前にいた人々は全滅。
その後環境が落ち着いて、また人がやって来たと考えるのが自然な気がします。

日本列島には数十万年前の人の痕跡が、ほとんどないのも説明できる。でも人が住んでなかったと考えるのは不自然。

明石原人の化石なんてあったかな?
確か… 戦時中になくなったとか?調べたいけど調べないで書くと決めたので…

… ナンダそりゃ😁

日本は島国だけど大陸に近い。
氷河期には海面が下り、大陸と陸続きにもなったそうだし気候も温暖。ずっと以前から人が住んでいたと思うのですが… まあいいか!

邪馬台国とは何の関係もないし…

⭐PART③

そして時を経て一万年程前に、
日本列島は土器の発明と道具の進化などにより、縄文時代となりました。

ナウマンゾウやヘラジカなど大型の動物を狩り尽くして困った祖先。暮らしていくためにより工夫が必要になる。

この時代の遺跡で有名なのは、竪穴式住居に縄文式土器。そして貝塚である。

貝塚には、貝殻だけでなくタイやクジラやマグロの骨。他にはアザラシとか?

そして漁をするための、骨で作った釣り用の針やモリ先。舟の遺構まである。

またドングリをスリ潰す用の道具。
パン状にして焼いて食べていた形跡など、食料も道具も進化、多様化が目覚ましい。

前時代と違う部分。それは海の食材が格段に増えたこと。海に囲まれた日本列島らしい。

でもその変化って、単に陸の獲物が減ったことが原因?かもしれないが…

同時代の中国大陸では、より文明が発展していたはず。世界四大文明の一つである黄河文明は、海はあるがすぐ近くである。

海の食材を獲るための道具。
もしかしたら土器や竪穴式住居なども、ひょんなことから、中国大陸から来た人によって、伝えられたと考えるのが自然な気がします。でもそれって考えてみたら…

邪馬台国とは何の関係もありませんが…

⭐PART④

さてと… ついに弥生時代。
私が学生の時は、紀元前3世紀頃から始まったとか?研究が進み現在ではもっと前から、になったと記憶しています。調べませんが…

この時代の最大の特筆。稲作の始まり。
大陸から伝わり、百年くらいで日本中に広まったそうです。人々は稲作を中心とした農耕生活を始めることになります。

基本は現代でも同じだけど、最大の問題である食料確保が、前時代の採集や狩猟生活に比べて、格段に安定し豊かになります。

また現在でも使用している食器類や金属製の道具なども伝わる。う〜ん… 多分自己創作あっただろうな。それはともかく、

既に国家が出来ていた中国大陸から、優れた文明が伝わり、一気に日本人の生活水準が進歩したのが弥生時代です。

でも新たな問題が発生する。
貧富の差、そして争いである。土地を持つものと持たぬ者。支配する者とされる者。村同士の争いから小さな国家が誕生。

その国家同士も争う。争いは拡大の一途。
生活水準の上昇、人々の結びつきも増した反面、日本の秩序は乱れていきました。でも、

… じゃない。邪馬台国そろそろか。

⭐PART⑤

邪馬台国は何処に?の謎に、
今ある私の薄っぺらな知識だけで書いてみるとのコンセプト。では、

中国大陸からの、優れた文明が最初に伝わったのは、朝鮮半島にも近い九州北部である。

そこから優れた文明は、日本各地に伝わっていくのだから、文明が一番発展した地域は、当然九州北部になる。

日本で国が生まれ、争いが生まれたのも、九州北部が一番早かったと考えられる。

文明が一番発達していたのだから、九州北部の国は軍事的にも強かったはず。

廻りの地域を征服していったが、
どうしてもまとまりに欠く。分裂や反乱が絶えない。日本史草創期のこと。自由に生きてきた。誰だって支配なんてされたくない。

でも争いが激化の一途では困った。
そこに男による力の支配でなく、神に仕える巫女の卑弥呼を女王に立てた邪馬台国。

時代背景にマッチして、争いを抑えて国々を統一していった邪馬台国にしても、少なくとも九州北部に誕生したと考えるのが自然でしょう。

*何だか普通の話になってしまった。でもまあいいか。真面目に書く内容だし…

⭐PART⑥

そして畿内説は何となく不自然です。
邪馬台国は『日本史上初めての国家』ということにすると、畿内にある理由がない。

大陸の優れた文明が伝わるのが、九州北部なのだから、初めての国家が、遠く離れた畿内にある理由がないと思います。

邪馬台国は九州北部の何処かにあり、
そこを基盤に、九州や本州の中国地方を支配していたと考えます。

支配が進むと、本州は九州より広大なニューフロンティアだとの情報が入ってくる。

そして九州北部は、大陸の巨大国家がすぐ近くの玄関口。侵略されないか?との不安。

これが後の日本統一国家である大和朝廷が、畿内にできた理由だとして、

大陸の魏から使者には、上陸地からすぐ近くにある邪馬台国の場所を悟られないように、嘘の情報を伝えていた。

さらに九州南部には隼人がいたため、九州を支配できないでいたため、畿内方面に移りたくてもできなかった。

吉野ケ里遺跡の立地って、福岡の海岸から山を隔てた盆地っぽい場所にある。何となく隠れ蓑っぽい気がしません?

吉野ケ里遺跡が卑弥呼のいた場所か?は、もちろん分かりません。だとすれば… です。

こんな感じで、合点のいく気がします。

⭐PART⑦

次に邪馬台国と大和朝廷の関係。
これも謎です。魏志倭人伝に書かれた邪馬台国から空白の2世紀を経て、登場した日本の統一国家である大和朝廷。

私は関係あると考えています。

卑弥呼の死後、男の王が支配したが、反対派がいて国内は多いに乱れてしまう。壱与という巫女を女王にしたら、邪馬台国は再び治まったと魏志倭人伝には記録されていたはずです。

また卑弥呼の死後、巨大な塚が造られ、侍女が数百人も殉死させられたという。

卑弥呼の住まいは男子禁制。身の回りのお世話をしたのは全て女性。死後の卑弥呼が困らないように… との理由。

何となく引っかかる。男の王が卑弥呼の痕跡を無くそうとしたのではないか?

卑弥呼は巫女で神の使い。
神からの指示を自分の弟に伝えて、国を支配していた。でも実際に国を支配したり、武力で領土を拡大するのは男の役目。

神の使いの女など傀儡にして、
国を支配すべく男の王が登場することは、自然の流れである。実力ある者が国を支配する。それは後の歴史が証明している。

⭐PART⑧

表向きの理由は、死後の卑弥呼の世話をさせるためにと、侍女を全て惨殺。巨大な塚を造って埋葬はしました。

でも日本史草創期であっても、
いきなり実力主義の男の王が、再び支配することは、反発を招いてしまう。そこで女王として、壱与を立てて時間を稼ぐ。

根回しや武力行使、弾圧などで、
支配者は実力ある男の王であるべきだという認識を民に植え付け、巫女の女王を完全に排除することに成功する。

そして塚も卑弥呼の住まいも、取り壊して更地にする。見せしめもある。壱与は残酷で不幸な最後を迎えたのかもしれない。

近隣住民には厳しく口留め命令を敢行。
歯向かえばバッサリの恐怖政策。巫女の女王など存在しなかったとして、支配していく。

*これなら北九州説の決定的な証拠は見つからないのも頷ける。

北九州には、信頼する部下を配置。
後の世に反乱を起こす磐井でしょうか?中国大陸や朝鮮半島との渡来人の受け入れや高度な文明の導入など交流を管理。

そして不都合だとの理由で、
弾圧を強めて、徹底的に女王卑弥呼の影響や記憶を無くしていく。江戸時代のキリシタン弾圧に似ているかな…

⭐PART⑨

中国から得た高度な文明を武器に、
優秀な渡来人を部下にして、卑弥呼の影響が少ない東方向に支配を広げていく。

そして畿内、肥沃で広大な大地、今の近畿地方に大和朝廷を成立させた。さらに東へ支配を広げて日本を統一していった。

古代の日本史は、こんな感じに考えるのが自然な気がします。あっ… それと、

後に大和朝廷を成立させた王は、
邪馬台国の時代、関門海峡を超えて東を攻撃していた王であろうと推測します。

実力があり、関門海峡を隔てているため、
卑弥呼の影響も薄れている。だから独立の下地も育ちやすい。そして海峡があるために、邪馬台国の軍隊も攻めにくい。

以上です。最後は何だか中途半端な感じ。
でもここら辺で終わりにしたい。私が考えたことだけど、邪馬台国の悲惨な最後。書いていてつらくなってきました。

日本初の国家らしい国家である邪馬台国。
魏志倭人伝に記述がある以上、存在したことに間違いはない。でも日本史草創期とは云えど、これだけの国家がどこにあったか分からない。

日本にまだ文字のなかった時代。
でもそれはいかにも不自然で変。
そこを考慮して出した私の答え。

自信は結構あります。でも邪馬台国はどこにあったのか?そしてどうなったのか?

永遠の謎であってほしいと思います。

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